第3話 夜

 その日は気づけば、寝てしまっていた。

 制服を中途半端に脱いだまま、枕に顔を埋めて。


「う、ん……?」


 付いたまま眩しく部屋を照らす電気に目を焼かれながら、うめき声をあげて重い体を起こす。


 重い瞼を擦り、判然とし出した思考で自分の恰好を見るとまだ制服。


「うわ、制服皺になってる……」


 しかも長い時間そのまま眠っていたせいでかなり皺ができてしまっていた。

 このまま学校に行くことは憚れ、眉を寄せて息を吐く。


 普段なら母の下にでもすぐ持っていくのだが、今はそんないい子でいられるような気分でもない。何処か投げやりな気持ちで制服を脱ぐ。


「……どうせクリーニングに出すでしょ……」


 吐き捨てるように呟くと、皺のついた制服をカーペットの敷かれた床に放り捨てる。


 直後には既に制服に意識はなく、コリを解すように背伸びした。


「うぅーん……っと、外くら……どんだけ寝てたんだろ……」


 ふとカーテンの隙間から見えた空は何処までも吸い込まれていきそうなほどに暗かった。

 一体どれだけ眠っていたのかと、時計を見ると既に十時。

 ざっと五時間は寝ていた計算だ。


「起こしてくれればいいのに……って無理な相談か」


 自分で言っておいてなんだが、バカげた愚痴に自嘲に笑う。


「着替えよ……今日はもうちょっと寝たい気分だしね」


 気を取り直すように、柔らかい服装に着替え始める。

 暗い気分なんて少し寝ていたらどうでもよくなるものだ。今日だって同じだ。


 そう思い、いつものジャージに着替えると再びベッドに横になる。


「お風呂入ってからにしようかな……明日でいいか」


 体を洗いたいという思いが脳裏を過るが、それすらも煩わしい。


 眠たいわけではないが、起きて面倒なこと考えたくないのだ。

 

 しかし、生理現象は止められない。


 ——ぐぅ。


「お……」


 お腹が良い音を出してくれた。


 そういえばご飯食べてない。お腹がすきすぎて寧ろ腹が痛いくらいだ。

 これでは眠れない。


 僕は小さく息を吐くとベッドから這い出る。


「仕方がないか。コンビニでなんか買いに行こう」


 眠れないのでは本末転倒。腹を満たし気持ちよく何もかも忘れることにしよう。

 

 そうして僕は家を出て、近場のコンビニに向かった。


 暗い夜道。


 中々この時間に外に出ることがなく、心かしか新鮮な気持ちになる。


 わくわくすると言い換えることもできる。いやなことも少しは忘れられるというものだ。


「何食べよっかな。今日くらいはいいもの買っても許してくれるよねぇ」


 誰に許可を求めているのか、我ながら不自然なくらいにテンションを上げている。


 臭い物に蓋をする。僕の悪い癖だ。

 でも、我ながら嫌いになれない。


 嫌なことなんて世の中には腐るほどある。それを全部が全部向き合っていたら壊れてしまう。

 その取捨選択は、本人の手にしかない。誰かに何を言われる筋合いもないのだ。


「さて、さっさと買ってさっさと帰ろ———」


 そんなことを考えているうちに、コンビニに着いた。

 買うものここに来るまでに決めてある。寒いしさっさと帰りたい。


「離してよ!」


 しかし、正に中に入ろうとした時、僕の行く手を阻むように、酷く聞き覚えのある少女の声が、耳朶を叩いた。



 どうも切迫した叫び声。

 ただならぬ様子に、声の発生源であるコンビニの裏に走り寄る。


「ん? 何だ——あ」


 そこで僕は、案の定、今は会いたくない人に出会ってしまった。


「いいじゃん。何か悩みでもあるんでしょ? おごるからさ、俺なんでも聞くよ?」

「ちょ、ちょっとやめてよ……っ」


 麻色の髪を激しく振り、迫る男を振り払おうとする幼馴染。


 思い人がナンパをされていた。


 強く手首を掴まれ、顔を顰めて振り解こうとしているなずな。


「痛い、離してよ———あ、陽介、こんばんは」


 裏に顔を出した僕に気づいたなずなが、僕だということに気づき、呑気に挨拶した。


「こんばんは」


 返事しといてなんだけど、言ってる場合じゃないよね?


 僕は面倒くさく思いながら小さく息を吐くと、なずなの手を掴む男を睨みつける。


「——っな、なんだよ」

「その子僕の連れなんで。悩みも僕が聞きますからどっか行ってください」

「——っ」


 とりあえず訝し気にこっちを見てきた青年に、そんなことを言っておいた。

 こんな言い方をするから僕は友達が少ないんだと分かっているけど、どうもやめられない。


「す、すんません……」


 だってこういう時効果覿面だしね。


 意外とこういう人ほど強く言われたら引き下がるの速いよね。


 僕は気を取り直すと、眉を寄せて手首を摩る彼女に近づき、声を掛ける。


「大丈夫だった? ていうかこんな時間に何してんの?」

「あはは……ちょっと、ね」


 言葉を濁すなずな。


 言いづらそうに頬を掻く彼女は、いつもの笑みを浮かべていて、どうも空元気に思えた。


 大方振られたショックで特に何も考えずに、ふらふらしてたんだろうけど。


 聞いておいてなんだと、わかっていながら、ついつい聞いてしまった僕が悪い。


 でも、そんな悲しそうな顔してるから、あんな性根のない男に掴まるんだ。


「話、聞かせてよ」

「…………うん。そうだね、どうせもう終わったことだし」

「…………」

「陽介にも謝らなきゃ……」


 そう、なずなは似合わない悲し気な笑みを僕に向けた。

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