コスモスの便箋

増田朋美

コスモスの便箋

何故か9月も終わりなのに、ものすごく暑くて、何処か他の県では大雨が降っているというおかしな日であった。杉ちゃんとジョチさんは、製鉄所の利用者である、佐藤佳代さんという女性が、一月も頭痛が治らないということで、製鉄所の近くにある病院で検査を受けさせてもらおうと言うことになり、野川病院というところを三人で訪れていた。とりあえず野川病院の若手医師に8月からずっと頭痛が続いていることを伝え、薬を飲んでもちっとも良くならないと伝えると、それなら脳のCTを撮ろうと言うことになり、患者である佐藤さんは、CTを撮るために検査室へ行って、杉ちゃんとジョチさんは、待合室で終わるのを待っていたところだった。

不意に、警察官がたくさんはいってきた。中には武装した者も居る。警察官たちは、急いで入院病棟に飛び込んで行った。この病院はいわゆる総合病院で、いろんな病気の人が居る。中には重大な病気とかしている人もたくさん居るだろう。その中に警察官が飛び込んで行くとは、おかしな話だ。

その中に、華岡が紛れ込んでいたため、

「ちょっと華岡さん。」

と急いで声をかける。

「一体どうしたんですか?」

とジョチさんが聞くと、

「なんでも、入院患者が殺害されたそうだ。」

と華岡はそれだけ言って、病棟へ走って行ってしまった。それと同時に、佐藤佳代さんが戻ってきた。

「今日は、事件が起きてしまったので、私の診察は中止にするそうです。また日を改めて来てくれと。」

「でも、頭痛が酷いのは変わらないんだろ?」

杉ちゃんが心配そうに言うと、ジョチさんは、警官隊が病棟に飛び込んで行くのを眺めながら、

「そうしたほうがいいかもしれません。事件が起きてしまったのは仕方ない。何処か別の病院で見てもらいましょう。」

と言った。確かに、そのとおりだと思った。警官隊ばかりではない。報道関係者まで続々とはいってくる。そうなったら、ただでさえ、精神にちょっと異常がある、佐藤さんがパニックを起こしてしまうかもしれない。

「幸い、インターネットで予約を取れば、すぐに検査を受けさせてもらえるはずです。こういうときは、すぐに予約しましょう。」

ジョチさんは、すぐにタブレットを出して、他の脳神経関係を標榜する病院を探し始めた。そうすると、富士市内ではかなり遠いところにある、神谷クリニックという病院が佐藤佳代さんを受け入れてくれることになった。ジョチさんは急いで小薗さんに電話をし、神谷クリニックに連れて行ってもらった。

幸いクリニックは、まだ時間が早いと言うこともあり、さほど混んでいなかった。ジョチさんが、佐藤佳代さんという女性の検査をお願いしたいというと、しばらくかかりますが、お待ち下さいという指示が出た。三人は椅子に座って待つことになった。待合室にはテレビが付いていた。

「臨時ニュースを申し上げます。今日朝9時頃、静岡県富士市の野川病院で、入院患者一名が刺殺される事件がありました。殺害されたのは、野川病院に長期入院していた、若田裕子さん30歳と見られ、犯人の女もその場で首を刺そうとしましたが、病院の職員に取り押さえられました。」

「はあ、、、殺ったのは女か。」

と、杉ちゃんは呟いた。

「それで犯人の女は、ちゃんと逮捕されたんでしょうね?」

ジョチさんがそうつぶやくと、神谷クリニックの職員が出てきて、

「すみません。物騒な事件が起きてしまいまして、すぐにチャンネルを変えますね。すこしお待ち下さい。」

とテレビのリモコンを操作してくれたのであるが、あいにく、何処のチャンネルも、この事件のニュースを報道してばかりいていた。

「全く、それ以外に報道することは無いもんかな!」

と杉ちゃんが苛立ってしまったくらいである。こわいと訴える患者さんも居ることから、職員はテレビを止めてしまった。その間に、診察は終了して、まもなく、佐藤佳代さんが呼ばれた。

「お待たせいたしました。佐藤佳代さんどうぞ。」

親切そうな中年の看護師だった。佳代さんは杉ちゃんに促されて診察室へはいった。

「佐藤佳代さんですね。それでは今日はどうされましたか?」

もう80近い男性のお医者さんだった。

「はい。頭痛が酷いのです。今まで風邪だとか、疲れだとか、そういう事は言われて、薬はもらったんですけど、それでも一ヶ月も頭痛が続いてしまっていて。それで、大きな病院で、しっかり見てもらおうと言うことになったんですけど、そうしたら、変な事件が起きてしまって。」

と、佐藤佳代さんは、申し訳無さそうに言った。

「そんな、申し訳無さそうな態度を取らなくていいんです。あなたが頭痛で苦しんでいることは紛れもない事実ですからね。そこは、医療関係者として、お伝えして置かないとね。それでは、どんなときに頭が痛いと感じますか?」

神谷先生は、にこやかに笑っていった。

「緊張したときとか、ちょっとつらいことがあったりとか、そういうときに痛いんです。」

佐藤佳代さんが答えると、

「そうですか。ちょっと目を見ますね。」

神谷先生は、佐藤佳代さんの目を確認した。

「わかりました、瞳孔には異常はありませんね。それでは、ストレスとか、そういうものだと思いますよ。軽い不安薬でも出しておきましょうか。」

「あの、それはデパスですか?それはやめてください。あたし、それのせいで酷く眠くなってしまうので、使いたくないんです。」

佐藤佳代さんは、急いでそう言うと、

「わかりました、じゃあ別の薬にするから安心してください。それで、まだ痛みが取れないようであれば、またこちらに来てください。必要があれば、他の専門医を紹介いたします。」

神谷先生はにこやかに言った。

「ありがとうございます。また何かあったら、こさせてもらうかもしれないんですけど、そのときはよろしくお願いします。」

「はい、わかりました。承りました。」

佐藤佳代さんもにこやかに笑い返して、ありがとうございましたと言って、診察室をあとにした。

「良かったねえ。優しそうな先生じゃないか。それなら、なんでも言えそうな先生だな。ちょっと遠いところにあるけどまあ良かったじゃない。」

杉ちゃんに言われて、佐藤佳代さんはにこやかに笑った。

「こういうのは、亀の甲より年の功というべきですね。あの野川病院の若手の医者じゃ、そういうにこやかな診察はできなかったかもしれないですよ。」

ジョチさんがそう言うと、

「ホントだホントだ。それで、今は頭痛はどう?」

と、杉ちゃんが言った。

「ええ、少し軽減されたような気がします。」

佐藤さんはそう答えた。

「佐藤佳代さん。会計です。」

受付係が、佐藤佳代さんに声をかけた。佐藤さんは急いで診察料を払った。

「先生が、ストレス相談をしたかったら、こちらに電話するようにと伝言されました。こちらの窓口は、富士市が用意している窓口ですが、無料で相談できるからって。」

と、看護師が彼女に一枚の紙を渡した。佐藤佳代さんは、ありがとうございますと言って受け取った。それは、富士市が市民のための相談を受け付けているというチラシで、いくつか電話番号が書いてあり、希望すれば、面接も受けられるという。

「良かったじゃないか。そこで相談すれば、また楽になれるかもしれないぞ。」

と、杉ちゃんが急いでそういうと、

「はい。ありがとうございます。体調のこととか、色々相談できますよね。今日は、あれこれいろんなことしていただきまして、ありがとうございました。」

と佐藤佳代さんは、受付に頭を下げた。

「はい。お大事にしてください。」

受付もにこやかな感じで言った。その後、処方箋を渡されたため、杉ちゃんたちは、隣の薬局で薬をもらって、小薗さんの運転する車で製鉄所に戻った。製鉄所までは1時間近くかかった。富士市も広いものである。

「只今戻りました。」

と、ジョチさんと杉ちゃんが製鉄所に戻ってくると、製鉄所ではまだ先程の病院の事件のニュースをやっていた。新たに事件の詳細がわかったらしい。なんだか偉そうな評論家も交えて、すごく大変な事件になってしまったようである。

「ねえ、理事長さん。若田裕子さんって、こちらに来たことありませんでしたっけ?」

と、利用者の一人が、ジョチさんに言った。最近利用者の入れ替えが激しいので、おとなしい利用者は、忘れられてしまうこともある。どの利用者もそれぞれの訳があって、時にはそれが強烈に印象に残っている事もあるのであるが。

「あたしもなんか覚えてますよ。確か、すごい辛そうで、大変そうだった気がするんですが。」

と別の利用者がそういう事をいいだした。彼女たちがそう言うので、ジョチさんは、これまでの利用者名簿を調べてみると、

「ああ確かにありますね。若田裕子。3年前にこちらに来ています。しかしなぜ、そのような女性が、総合病院に入院していたのでしょうか?」

確かに若田裕子の名があった。住所は、富士市中里と書かれている。ということは、あの神谷クリニックの近くでもあった。

「理事長さん、それでは、ここにも警察が来るんですか?私こわい。」

ちょっと臆病な利用者がそう言うが、

「大丈夫です。警察も毅然とした態度を取っていれば、何も怖くありません。あなた方は平然とした態度を取ってください。怖がる必要は毛頭ありません。」

と、ジョチさんはすぐに言った。利用者たちはわかりましたといったが、まだこわいイメージが取り払え無い感じだった。まだテレビのニュースでは、野川病院で事件が起きたことを報道している。今度は、逮捕されていった女性の事を報道していた。その名前は、若田亜希子。顔つきを見て、すぐに親子であることがわかるほど、良く似ていた。多分、趣味が近いところがあるのだろうか、若田亜希子の着ている服は、映像で出ていた若田裕子の服と色柄がよく似ているところがあったので。年は、50代なかばだった。ということは、30歳の若田裕子に比べると、かなり若い年で、母親になったということになる。

「失礼するが、ちょっと聞きたいことがあるので、こさせてもらいました。」

と、玄関から声が聞こえてきた。当然のことがやってきたと覚悟を決めていたジョチさんは、

「はいどうぞ!」

と言った。

「おう、それでは入らせてもらう。全く暑いなあ、風呂にはいってさっぱりしたいところだけど、そんなこと、今はできないんだよ。」

と言いながら、華岡は部屋にはいってきた。

「ああ華岡さん。それで今日は一体どういうことでしょうか?ここには具合の悪い利用者さんもいますからね。それでは、手短にお願いしますね。」

と、ジョチさんは急いで言った。

「ええ。まあそういう事なんですけどね。それでは、そういうことなので単刀直入に話を聞かせてもらうな。それでは、彼女、つまり、若田裕子のことなんだが、彼女は、この製鉄所に来たことがあったらしい。それでその時の様子とか、そういう事を話してもらえないだろうかな?」

華岡は、急いで言った。

「もう少し、具体的な質問にしていただけませんか?その時の様子と言われても何から話したらいいのやら。」

ジョチさんが言うと、

「ああ、すまんすまん。つまりこういうことだ。彼女はまず初めにどういう経緯で、この製鉄所に来ることになったんだよ。」

と、華岡は聞いた。

「ええ、単にインターネットでここを知ったと言っていました。ただそれだけのことです。それ以上はいいませんでしたよ。何も。」

ジョチさんは答えると、

「何も言わなかった?じゃあ、何が原因で体調を崩したとか、そういう事は言わなかったか?」

華岡は聞いた。

「いいませんでした。もちろん、この製鉄所の利用者さんたちの中には、大した病気でなくても、体が痛いとか、頭が痛いと訴える方も散々いらっしゃいますが、彼女は、そういうタイプではありませんでしたね。中には、よく自分のされたことや、いじめられた過去を話したがる利用者もいますけど、そのような感じでもありませんでした。」

ジョチさんが言われた通り答えると、

「それでは、彼女の母親、若田亜希子については、どうだった?彼女は、若田裕子のことについて、なにか話していなかっただろうか?」

と華岡は答えた。

「ええ。お母様の方は、僕は顔を見たことがありません。若田裕子さんは、一人でこの施設に来ていましたし。この施設には確かに親御さんに送ってもらう人もいますが、彼女はバスでここに来ていたようです。」

ジョチさんが答えると

「それでは、どういう経緯で、やめることになったか、それも話してもらえないだろうか?」

と華岡は聞いた。

「ええ。単に引っ越しをされることで、もうこちらには来られないということでした。そのような言い訳はよくあることなので、それ以上は詰問しないのですが、それが裏目に出てしまったでしょうかね?」

ジョチさんがそう言うと、

「まあ、お宅も、非常に忙しい施設であることは疑いないだろうから、それはそうだと思うよ。だけど、こういう事件が起こることは考えていなかったのだろうか?」

と華岡が言った。

「ええ。まあ。非常に平和な日本ですからね。その中で、このような施設をやるというのも、楽じゃないんですよ。」

ジョチさんはしたり顔で言った。

「まあ、そのうち、若田裕子さんのこともだんだんわかってくるんじゃないですか。それがわかるようになってから、またこちらに結果報告に来てください。あんまり頻繁に聞きに来られたら、体調を崩される利用者さんもいますから、それはやめて下さいね。」

「はい。わかりました。それでは、そうさせて頂きます。」

と華岡は、大した収穫も得られなかったという表情で、大きなため息をついた。それと同時に華岡のスマートフォンがなる。

「はいはいもしもし。ああ、もう、そんなことか。急いで戻るよ。ちょっとまっててくれ。」

ジョチさんは、多分きっと部下の刑事が、捜査会議が始まるよとか、そういう内容の電話をかけてきたんだなとおもって、思わず笑いたくなった。

「悪いが、署に休養ができて。」

と、華岡は急いで、製鉄所をあとにした。

しばらくテレビや、新聞は、その野川病院の事件のことで持ちきりだった。ジョチさんは、そのニュースを怖がる利用者にわざわざテレビを見なくてもいいと言ったが、それでも塞げないくらいテレビもスマートフォンも、そのニュースをやっていた。その中でいくつかわかったニュースもあった。なんでも、若田裕子さんと若田亜希子さんの親子は、父親と離婚後、母一人子一人で生活していたようである。若田裕子さんは、大学に行ってから、都会生活に馴染めず精神がおかしくなったらしい。それで、あの野川病院に長期で入院したそうだ。いわゆる社会的入院というやつであるらしい。偉い人達は、医療費が払えないということで事件を起こしたのではないかという仮説を立てて、日本の医療制度の悪いところとか、議論していたようであるが、何よりも、容疑者である、若田亜希子が何も喋らないということが、不思議なところだった。警察で取り調べを受けても、弁護士が接見しても、何も話さないそうだ。それもまた強い信念を持っていると思われるが、彼女になにか話してもらいたいところだった。

「理事長さん。あの、おじいさんの先生はなんという名前だったのでしょうか?」

と、ジョチさんに、佐藤佳代さんが声をかけてきた。

「ええ、神谷とかおっしゃっていらっしゃいましたね。」

ジョチさんが答えると、

「私、先生に感謝の手紙を送ってもいいですか?痛みが軽くなったので、お礼をしたいんです。」

そう佐藤佳代さんは言った。

「それはどうしてですか?」

ジョチさんがそうきくと、

「ええ。富士市の相談窓口で相談したら、カウンセリングの先生とか教えてくださって、私、これから通おうと思ってるんです。その方に連絡を取ったら、なにかを始めようとしたときが変わり始めているんだって褒めてくれました。だから、一歩行動に出てよかったと思いました。そのきっかけを作ってくれた先生に御礼をしたいんです。電話はとても便利ですが、大事な連絡は手紙のほうがいいでしょ。だからですよ。」

と、佐藤佳代さんは言った。

「そうですか。それはこちらでも嬉しいですね。ぜひ、手紙を書いてください。それでは、いい方向に生きそうですね。より頑張って、より良い自分になってくださいね。」

ジョチさんは、にこやかに言った。それと同時に、あの事件の事を思い出した気がした。あの事件の親子は、誰にも娘さんの事を相談しなかったのだろうか。誰かに相談するのは恥ずかしいとか、やっては行けないとか、そういうふうに吹き込まれてしまったのだろうか?日本人は、相談したりとか他人に手を借りるとか、そういう事は、苦手な民族だと言われている。だけど、重大な事件を起こすのであれば、その前に誰かに頼ってもいいような気がする。

その時、製鉄所の固定電話がなった。

「はいはいもしもし。ああ、華岡さん。ああ、あの女性が、供述を始めたの?ああやっと重い口を開いてくれたのね。良かったねえ。やっぱり、思いつめられちゃったか。そうかそうか。その前に誰かに相談すればよかったのねえ。」

杉ちゃんの声は大きいので、離れたところでもよく聞こえてくるのである。それを聞きながらジョチさんは、やっぱり自分の予想していたことと、同じだなと考えていた。そういうわけで、誰でも頼る相手が居るとか、そういう事は必要なんだなということを知った。

「なるほどねえ。一人で思い詰めてしまって、それで殺害するしか無いと思ったのか。まあ、そうなっても仕方ないけどなあ。予防するというか、誰かに頼るということは、必要なんだねえ。」

杉ちゃんは、でかい声でそう言っている。反対方向を見ると、佐藤佳代さんが、一生懸命神谷先生に手紙を書いているのだった。便箋は秋らしくコスモスの花が可愛らしく印刷されていた。もうそういうものが似合う季節になったのだとジョチさんは思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コスモスの便箋 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る