第5話 猫又と成る

先代ご隠居のご友人の頼みともあらば、断る訳にも

まいらず、かくして筆を取った甚平衛でございます。

思えば父、吉平衛の子として産声をあげたその日にも、

白百合のみならず、多くの猫たちに囲まれて幾歳か。

わたくしも成人となり、未だ猫屋敷の評判も高い

この家に暮らして参りましたが、猫の寿命の短さ。

にゃあにゃあと足元に擦り寄っては甘えてきた子らが、

私らを残して先立つたびに心寂しい思いを

してまいりました。

朝顔、紅花、桜、春菊…、それらが逝くたびに

ああ、短くも我が家族である事に何ら相違ないと

家中で泣き、喪に伏しては、塔婆も立て、

手厚く供養もしてまいりました。

しかしまた新生の喜びもそこりあり、

朝顔の子、昼顔やら桜の子、李やらと親から子へと

猫とはいえ新たなる命との出会いを数多く見ては、

その喜びもかみしめる毎日でございました。

そんな中―

先々代の申していた通り、白百合だけは

いつまで経っても白雪のようにしろく

つややかな毛並みを輝かせて

年を取っている事には相違ないものの、

まったく年による衰弱の気配もない事は何とも

摩訶不思議で仕方ありませんでした。

それからはつつがなく毎日も過ぎてまいりました。

いつしか私も細君を持ち、子も生まれ、

神田川に沐浴しては笑われた父も隠居の身となり、

まこと月日の経つのの早さ、昔より言われている通り

光陰矢のごとしをまざまざと感じておりました。

そんなある日、あの出来事が起こったのでございます。

火事と喧嘩は江戸の花―

それも他人さまの事ならば、そのように悠長な事も

言えましょうが恐ろしいのは人の嫉妬。

芦屋家のささやかなる繁えに妬いたものが、

我が家の納屋に火を放ったのでございます。

それも丑の刻であったので、

なかなか気付かなかったものの

さすがに、きな臭いにおいも充満すれば目も醒めて、

重い目をこすり、障子戸の外を見れば

赤々とゆらめく炎の影。

「これ、皆起きよ!火事じゃ!火事じゃ!

猫どもをつれてさっさと逃げよ!」と細君を起こし、

我が子を起こし、父を起こしてみたものの既に時遅しか。

すっかり炎の中に我ら取り残されて、もはや助かるすべも

ございませんでした。

子は泣きじゃくる。

細君はおびえて私の手にしがみつく。

父とて、もはやこれまでかと静かに瞳閉じてつうと

涙を流す。

ああ、芦屋家も我が代でおしまいであろうかと

思うていた時でございました。

赤々と炎の影を映す障子に二又に割れた尾の影がゆらめき

「ぬるなぁぁおう!」と地の底から響くような声をあげて

全身の毛も逆立てた白百合。

それも両の目はらんらんと青緑に輝き、

まさに猫又そのものの姿もままに、一段と

「ぬるなぁぁぁぁおおお!!」と獅子のごとく

再び吼えたのでございます。

すると―

これは夢でありましょうか。

はたまた幻のたぐいでございましょうか。

我らを取り囲んでいた炎の柱ども、

次々にしおれた花のごとく急にその勢を失い、

さながら白百合にたしなめられては

打ちひしがれるがごとく、

皆、ちょろちょろと情けない火となっては

次々に息も途絶えるように消えてゆくのでございます。

もうもうと立ち込める白煙も朝霧が陽光に霧散するが

ごときにたちまち視界の曇りも晴れ、

これこそ祖父の予見していた猫又誕生の刻であるのかと、

感動に身打ち震わせて、ただただ神々しいまでに

白く輝く白百合に一同、目も奪われては、

ありがたやありがたやとひれ伏すばかりで

ございました。

やがて芦屋の家は何事もなかったかのように、

きな臭いにおいも消え、あたりはすっかり静寂を取り戻し

ただしんしんと夜の闇がふけてゆくばかりで

ございました。

「おお、白百合よ!」

我が一家、もう誰彼もなくただ白百合の

ふさふさとやわらかい白雪のごとき体毛に

頬を押し当てては、先代より養ってもらったご恩返しを

してくれたのであろうと、涙も流しては

愛でるばかりでありました。

にもかかわらず白百合とくれば、普段どおりの

猫のありさまにすっかり戻り、皆からの寵愛を受けて、

ただごろごろごろごろと、喉を鳴らして

我らに甘えるのでありました。

それからはまた以前のように何事もなく―

つつがなき日がただ静かに過ぎてまいりました。

白百合の話は江戸の町にてはずいぶんなほら話として、

人々の失笑を買うばかりでしたが、何の。

先々代の云うとおり、猫又はあの一夜、夢幻のごとく

私らを救い、その忠節と奉公を示してくれたので

ございます。

白百合でございますか?

ええ、その後はどうした事か、

二又に割れていたはずの尾もいつしかひとつになっており

いつも通り縁側にて、ごろごろと喉を鳴らして

寝ておりまする。

平穏の中にあって決してその本性を見せぬ子では

ございますが、この物語は我が芦屋家においては

末代までも語り継がれ、猫と人間の断ち得ぬ絆を

物語るのでございます。

嗚呼、猫又夢日記―

これにて一切終了とさせていただきまする。

ご静聴ありがとうございまして候。

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猫又夢日記 @yumasoul

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