第4話 後事託す

それから幾歳の月日が流れたであろうか。

庄平衛もすっかり白髪も混じり、私のほうも朝夕に足腰、

どことなく痛みが出るようになってしまった。

江戸の町はあいも変わらず火事と喧嘩は絶えぬものの、

それ以外はいたって平穏無事なものであった。

平賀源内氏はじめ杉田玄白氏らなども、

つぎつぎ隠居の身となって老後の生活、

ただ静やかに過ごす日々となった。

そんなある日のこと。

吉平衛が血相も変えて私のところへ駆け込んできた。

「何事ですか?」と聞いてみたところ

「父が…庄平衛が倒れてしまいました」と息も切らして

私に告げた。

これはいかんと、私も早々に芦屋家へ赴いた。

見れば庄平衛のご隠居、床に伏せては、

すっかり顔色の様子も悪い。

「庄平衛、どうなされました」と聞けば

「いや、長年の無理もたたってか、どうやら五臓が

いかれてしもうたらしい。

玄白どのにも診てもろうたが、この先、そう長くは無い」

「何を弱気な」と私も返したが、

庄平衛ただ苦しげに首を振り

「いや、無理を言うな。

人の命には限りがある。

それより吉平衛…」

「へい」

吉平衛が枕元に座ると庄平衛は苦しそうに言った。

「わしももう長くは無いが、ほれ、白百合がおったろう」

「はあ、白百合が何か?」

「白百合はもう十五年も生きてきおった長寿のものじゃ。

しかしあれはまだまだ生きる。

吉平衛、お前の代だけでなく、お前の子、

わしの孫の甚平衛の代まで生きていくだろう」

「父上、それは幾らなんでも大げさ過ぎます」

しかし庄平衛、まるでその事を確信でも

しているかのように、しかと吉平衛の手を握り、

私のほうにも目をくべて言った。

「皆のもの、白百合こそは

まこと猫又になるにふさわしい妙猫じゃ。

わしの亡き後もやつの事をつらつらと書き記して

後世に伝えよ。

猫が猫又になれるのか否か、

この目で見れぬのはちと寂しいが、

やつならばなれるやも知れぬ」

居合わせた者達は、皆、うんうんと頷いて

庄平衛の頼みを聞き届けようとしていた。

しかしこうなれば芦屋家の物語も私一人では

語り尽くせぬ事となる。

私は吉平衛とその子、甚平衛を縁側に催促すると

小声に言った。

「これまで芦屋家の事は何一つ知らぬものもない私で

あったが、白百合の事ばかりはそうもいかぬ。

吉平衛と甚平衛さんよ、どうか私の後にも

ご隠居の願い通り、白百合の事をよろしく頼み申す」

吉平衛と甚平衛はしかと頷いた。

それから私が知っている芦屋の事は全て

つらつらと手記にまとめ、彼らに渡した。

かくして―

私もまた隠居の身となり、以後、白百合の事はじめ

芦屋家と猫たちの物語は彼らの手に

ゆだねられる事になった。

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