第3話 白百合のこと
さて明和といえばこの時代、
特に火事の多かった頃である。
火事と喧嘩は江戸の花などと言われているが、
まさしくその通り。
明和の大火は天をも焦がす勢いで、
昼は黒煙、白煙入り混じり、
夜には紅蓮の妖光が空を真っ赤に染める。
そのような大火も含めて小火などは
数十から百件ほどに至るまで
空っ風の吹く日にはあちこちで、火の手があがり、
町火消し達も安まる日々がない。
はたしてお江戸の町には火神でも憑いているのか。
あまりにも火事が多いので、我が家が無事なものなどが
さきの言葉のように「火事と喧嘩は江戸の花」などと
皮肉って言ったのであろうか。
ともかくにも我が家はいたって無事ではあったものの、
芦屋家は蔵などが幾つか焼失してしまった事もあった。
それでもなお芦屋の一家は猫の無事ばかり考えるもの
だから、火が出たとなれば―
真っ先に猫たちをかごの中に入れては
やれ「紅花がおらぬ」
「朝顔は何処だ?」などと猫の名を口に出しては
兄家族の庄平衛などまで駆けつけて一族郎党みな総出で
一匹たりとも火災に巻かれぬように息も切らし
顔もすすまみれになって走り回る。
ある時などは、「白百合」という全身も白雪のように白い
子猫のために吉平衛が、炎もかえりみずに
火事場へ飛び込んだとか。
何とか大事には至らなかったものの、白百合を抱きかかえ
戻ってきた吉平衛の顔といえば、元旦の羽根つきで
大負けした者のよう。
ただ目だけがぎょろぎょろと動く黒い面でも
つけてるようであった。
にもかかわらず不思議にも白百合は、
その美しい白の毛もそのまま一切、
すすに汚れた気配もなく、ただ蒼く光るその瞳が
何とも不思議な輝きを放っていた。
「不思議な事もあるものだ」と兵平衛も腕組みしては
うむうとうなったが、何を思ったのか、
皆を集めて急に突拍子もない事を言い出した。
「よいか、皆の衆。
この白百合は恐らくただの猫ではないに相違ない。
かねてよりこのように摩訶不思議なる猫なれば、
今はまだぴいぴいとしか鳴けぬ幼い猫ではあるが、
将来にはきっと百年生きて猫又となる事もあたうで
あろう」
「何、猫又ですと?」
吉平衛は驚いて庄平衛に尋ね返した。
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