第一章【思惑を巡らすことには慣れている】

 ふーん、と俺の書いた日記帳をぱらぱらと繰りながら優一は呟いた。そこには何の他意も無いのかもしれない。だが、俺はその訳知り顔の表情と一言に確実に苛立ちを覚えてしまっていた。


「なかなか、洞察力と文章力はあるのですね」


 俺はますます以て苛々としてしまう。それが顔に出ていたのか、優一は僅かに口角を上げて笑った。


「ああ、失礼。そのままの意味で他意はありません。やはり私の目に狂いは無かったと、嬉しくなってしまったものでね」


 ぱたん、と日記帳を閉じて優一は言った。その足元にはいつもの子供が甘えるように頼るように纏わり付いていた。


「話は変わりますが、今日は祭りの日なんですよ」


「祭り?」


「そう、お祭りです。一年に一回のものでね、この子はとても楽しみにしていたんですよ」


 ふ、と表情を柔らかくして優一は足元の子供の頭に手を載せる。それを嬉しそうに子供は見上げた。


「どうでしょう、この子を連れて祭り見物に行ってくれませんか?」


「はあ……」


 溜め息に近いものが俺の口から生まれる。


「嫌ですか?」


「別に……」


 俺は優一の思惑が分からず、心の内側で首を捻った。俺が此処にいるのは友人の智也を助ける為だ。祭りとやらがそれに関係しているのだろうか。


 すると俺の考えを読み取ったかのように優一は言った。


「そうですね、これも仕事の内ですと言えば簡単に話が進みそうですね」


 にこ、と嫌味の無い微笑を浮かべて優一は俺に告げた。


「では、仕事です。今日の夜の祭りにこの子を連れて行って来て下さい」


「はあ……」


「よろしくお願いしますね」


 俺は無言のまま、子供に視線を移した。そういえば、この子の名前も知らなかった。特に興味が無いと言えば無いが。


「どうしたの? 悩み事?」


 ててて、と優一の傍を離れて子供が俺の足元に駆け寄って来る。来ないでくれ。俺は誰とも関わりたくないんだ。俺がそう思っていることなど露知らずと言った風に、子供が俺を見上げて言った。


「よろしくね、ゆーじさん」


 ぱっと邪気の無い笑顔で子供は笑って言った。






 ――その夜、俺は優一に言われた通り、祭り見物に出た。そういえば工房から外に出たのはこれが初めてだ。特に外の世界に興味は無かったが、月明かりと星明かりに照らされた街並みがそこには広がっていた。


 子供の道案内で祭り会場とやらへ向かいながら、俺は一体、何をしているのだろうかと思いを巡らせた。夕暮れ時になると自室に優一が現れる。そして工房に移動する。そこで子供の話を日記に書き留め、気が向けばお茶を飲んだ。夜になると俺は自室に戻る。その繰り返しで日々は過ぎていた。


 あれから俺は夕暮れになる前に智也の家に何回か行き、智也と少し会話をしたが特に何も異常無いように思えた。優一は狐か何かで俺は化かされているのだろうかと非科学的なことを思ってしまう。だが、あの時に見た、石の中に閉じ込められた小さな智也のぐったりした様子が俺の脳裏から離れない。


 ――もし、もしもこれが俺一人の見ている夢だったとしてもだ。智也の入った石を優一から取り戻すまでは。それまでは俺は此処に来るだろう。そう思った。


「あ、神社だー。着いたよ、ゆーじさん」


 不意に子供が俺の名前を呼んだ。その声で俺は知らず俯いていた顔を上げた。そこには数多くの出店が立ち並び、正面には赤い鳥居のある神社があった。


「わあ、いいなあ。りんごあめ」


 早くも子供が林檎飴の出店を見て、言った。


 そういえば、と俺は思った。俺は財布を持って来ていないし、優一から金を預かったりもしていない。俺は欲しいものなど無いが、この子供に買ってやることも出来ないのか。子供は未だ見上げるようにして林檎飴を見ている。俺は別に子供の機嫌など心底からどうでも良い。しかし、優一は「仕事」と言っていた。そして優一は、この子供のことを大切に思っているようである。子供の機嫌を損ねることは俺にとってもマイナスになり兼ねない。


 一体どうしたものかと俺が思案していると、


「はいよ、お嬢ちゃん」


「ありがとー!」


 という遣り取りが聞こえて来た。


 その後、俺の足元に戻った子供の手には一本の林檎飴が握られていた。


「見て見て、りんごあめ!」


 嬉しそうに林檎飴を掲げて俺に見せる子供。いや、代金はどうした? そう、俺が尋ねようとした矢先、子供は別の出店の方に走って行ってしまう。


 俺は不本意ながら林檎飴の出店の人間に話し掛けた。


「すみません、代金は受け取られましたか?」


 すると、威勢の良い声で店員は答えた。


「代金? 馬鹿言っちゃいけない、今日は一年に一度の巡り祭の日だよ。金なんかいるもんか。さ、お嬢ちゃんと一緒に存分に祭りを楽しんで行きなよ!」


 はっはっはと笑い、店員は子供の走って行った方向を指差した。


 俺は疑問に思いながらも、どうもと告げて林檎飴の出店を後にした。






 案外と素早く人の隙間を擦り抜け、子供は神社の鳥居の下に座って林檎飴を舐めていた。俺が子供の傍に立つと、ぱっと子供は俺を見上げて言った。


「ねえねえ、ここ。座ってよー」と。


 立っているのも疲れるので、俺は子供が示した階段の上に座った。


 こうしていると、出店の間を埋めるようにしている人々の姿が目に入る。ざわざわと耳障りな声も耳に入って来る。人の多い場所、騒がしい場所は嫌いだ。早く自分一人になりたい。


 俺は思い、はあ、と溜め息をつくと、まるでそれを合図にしたかのように「ねえねえ」と隣から子供が話し掛けて来た。


「ゆーじさんはさ、いつまでここに来てくれるの?」


「いつまで?」


「うん」


 かりかりと林檎飴を齧って、子供は言った。


 いつも俺の目を見て話し掛けて来る子供だったが、この時は心なしか俯いているように見えた。


「ゆーじさんはさ、お客さんでしょ? ここの人じゃないでしょ? 私はいつまでゆーじさんとお話出来るのかなあって思って」


「さあ……」


 俺の気の無い返事にもめげないのか、子供は尚も話し掛けて来る。


「私ね、ゆーいちさんのことも好きだけど。きっといつか、お別れするんだろうなあって思うんだ。きっといつか、ゆーじさんともお別れするんだと思う。だけど、急にそれが来たら嫌だから。準備、しておきたいから。ゆーいちさんは教えてくれないけど。ゆーじさんは教えてくれるかなって思って聞いてみた。ゆーじさんは、まだしばらくここに来てくれる?」


 俯き加減のせいか、髪に隠れて子供の表情が見えなかった。


 俺が黙っていると、


「もし、お別れする時はちゃんと言ってね。またねって、言ってね」


 と、子供が何処か独り言のような小さな声で言った。


 俺はどう返したら良いのか分からなかった。子供はそれきり黙ってしまい、かりかりと手元の林檎飴を齧り続けた。


 ふと空を見上げると、半月がくっきりと輝いていた。幾つもの星も見えた。人のざわめきを縁取るように祭囃子が聞こえている。


「……林檎飴、美味いか」


 何故、こんなことを聞いてしまったのか俺にも俺のことが分からない。子供のことに、特に興味関心を抱いていたわけでは無かった。優一に頼まれたから。仕事だから。智也のことを助けたいから。だから俺は、此処に来た。それだけの筈だった。


「うん」


 子供はそう返事をして、林檎飴を食べ続けた。


 ――ただの、気紛れだ。そう俺は自分自身に前置きをして、子供に尋ねた。


「お前、名前は何て言うんだ」


 ぴた、と子供の動きが止まった。そして、俺を見上げて言った。


「みんな私のこと、香澄かすみって呼ぶよ」


「……そうか」


「うん」


 俺達はしばらく鳥居の下に座っていた。やがて半分程、林檎飴を齧った子供――香澄が俺に言った。


「眠たくなってきちゃった」


「帰るか」


「うん」


 俺が立ち上がると、香澄も立ち上がった。


 帰路に就く俺達を見守るように月と星が光っている。そんな柄にも無いことを俺は思った。






 ――時々、不安になる。俺が工房に通うようになって二週間近くが経つが、その間に俺がしたことと言えば工房でお茶を飲みながら香澄の話を聞いて日記帳に残すことだ。優一は、一日の終わりにその日記帳を読み、ぱたりと閉じると俺を自室へと送る。その繰り返しだ。こんなことで本当に智也を助けられるのだろうかと、俺は不安になるのだ。






 ある日、いつものように真っ赤な夕焼けの降りる時刻に優一が俺を迎えにやって来た。俺もいつものように優一の後に付いて工房へと居所を移す。しかし、そこにいつものように椅子に座っている筈の人物の姿が見えなかった。さして広くない、殺風景な部屋だ。人一人、隠れられるような所も無い。


「香澄?」


 そう言葉にした優一の声には不安が滲んでいた。


 そのまま、優一は隣の部屋に行ったが、すぐに戻って来た。その顔には焦燥が浮かんでいた。


「すまない、香澄がいない」


 優一は俺に言い、顎に手を遣って考え込んでいる。


「悪いが、探して来てくれないか。私は仕事で手が離せない。以前に行って貰った祭りが催された辺りにいるのではないかと思う。そう遠くには行っていない筈だ。此処を出て左手に向かえば良い」


「分かった」


 俺は端的に言って玄関扉へと向かった。


「万一、見付からなかったとしても遠くには行かないでくれ。その時は一度、戻って来て欲しい。念を押すが、以前に行った祭りの辺り以外には足を運ばないように」


「ああ」


 玄関扉を開けると、燃えるような夕日が山奥の方へと落ちて行く所だった。俺は優一に言われた通り、左手の方角――以前に行った祭り会場――へと向かった。一応、其処彼処そこかしこに目を配りながら通りを歩いたが、香澄はいなかった。それどころか、人が誰もいない。しんとした街並みは何処か不気味に俺には映った。


 やがて神社が見えて来た。以前のような出店は一軒も無く、人の姿も無く、辺りは静まり返っている。俺の靴音だけが響いていた。


 俺は祭りの日のことを思い出して、神社の方へと歩いて行った。鳥居の下に座って、香澄と話したことを思い出す。


 やがて、遠目に誰かが鳥居の下の階段に腰掛けているのが見えた。俺がそのまま近寄って行くと俺の足音に気が付いたのか、その人物が不意に顔を上げた。


「ゆーじさん」


 やはり香澄だった。俺が香澄の前に立つと、ただじっと香澄は俺を見上げている。


「優一が心配していた。帰ろう」


 俺がそれだけ言うと、香澄はぐっと泣くのを堪えているような顔になった。


「帰りたくない」


 ぶんぶんと首を左右に振って、香澄は絞り出すように言った。


 俺は何となく、香澄の隣に腰を下ろした。深い意味は無い。立ちっ放しは疲れる。それだけだ。


 俺は手持ち無沙汰に其処にいた。香澄が何か言って来るのかと思い、それを待つとはなしに待っていたが、香澄は未だ何も言わずに俯いている。俺は、早く連れ帰った方が良いのだろうと思ったが、正直な話、どうしたら良いのか分からなかった。子供の相手は――人間の相手は、どうしたら良いのか全く分からない。それが本音だ。


 しばらく二人して座っていたが、やがて空には一番星が光った。俺はいよいよ以てどうしたら良いのか分からなくなってしまう。しかし、このまま此処にいても非生産的だ。だからと言ってこの状況を打開するにはどうするのが正解なのか。俺は無意味に頭に手を遣り、考えていた。


「……お祭りの日のこと、覚えてる?」


 小さな声で香澄が言った。


「ああ」


「ほんと?」


「ああ」


 そこでようやく香澄が此方(こちら)を見た。その目には涙が溜まっていた。


「あのね。ゆーいちさんがね、順調だって言ってた。このままなら大丈夫だって。私のガラスが綺麗だって。でも、私はずっとここにいたいの。いつまでもいたいの。それがどうしても無理なら、もう少しだけでもここにいたいの。なんで、だめなの?」


 一息に香澄は言って、ぼろぼろと涙を零して泣き始めた。


 俺は一体、どうしたら良いのか――俺の頭の中は真っ白だった。目の前で泣いている子供に対して俺はどうすべきなのか。どう行動するべきなのか分からない。香澄の言っている内容も良く分からない。俺は困惑と混乱の中、辺りに響く香澄の泣き声を聞いていた。


「とりあえず、優一も心配しているし帰ろう」


 先程に言った言葉を再び俺が言うと、


「帰りたくない!」


 と、香澄は大きな声で言ってますます泣き始めてしまった。


 誰か助けてくれ――そう、俺は思った。だが、誰の姿も見えない。これがモンスターとの戦いであったり、ダンジョンでの立ち回りであったなら俺一人で最善の一手を打てるものを。対人間への対処法など俺が知るものか。半ば自虐的に俺は心の内で呟いた。






 ――あれから泣いたまま俯いていた香澄だったが、やがて泣き声が小さくなり、ゆっくりと俺の方を見上げて言った。


「ごめんね。帰るね」と。


 俺と香澄が優一の元に向かって歩いている間、香澄は何も言わなかった。俺と香澄の足音だけが誰の姿も見えない街の中に響いていた。


 そして、俺達が工房のある家の前に来ると優一が立っているのが見えた。


「香澄!」


 俺は優一が大きな声を出すのを初めて聞いたように思う。


「心配したよ」


「うん」


 優一は地面に膝を突く形で香澄を迎え、抱き締めていた。


 俺はそれを半ば茫然としたていで見ていた。これまで冷静沈着に見受けられる優一だったが、此処に来て初めて俺の前で感情を露わにしたように思う。人間らしいと言うか――そこまで考えて、俺は思った。優一や香澄は人間なのだろうか、と。


 夕焼けの頃に俺の自室に現れて、此処へと連れて来る優一。その工房で優一と共にいる香澄。この二人は一体、何者なのだろうか。だが、二人が何者であろうと俺にはあまり関係無いのかもしれない。俺は俺の友人、智也を救うことが出来ればそれで良い。その筈だ。だが、何故だろう。俺は目の前の二人に興味とでも言うべきものをいだき始めている。この工房で優一は何をしているのか。香澄が泣いた理由は何なのか。


 ――俺は俺の小さな生活だけ守れれば、それで良い。そして智也を助け出すことが出来れば良い。その筈だ。


「優二。ありがとう」


 立ち上がった優一は、香澄の頭に手を置きながら言った。


「別に」


「ゆーじさん、ありがとう」


 香澄の俺を見上げて来る目が、まだ涙に濡れている。俺は何と答えたら良いか分からないまま「ああ」と返事をした。


 優一と香澄に続いて工房の扉を開けながら、俺は何か説明の出来ない不可思議な思いに駆られていた。






 ――そう、時々、不安になるのだ。これで本当に俺は智也を助けられるのだろうかと。俺のしていることは、結果に反映されるのかと。


 石の中にいる智也は、いつ見てもぐったりと腕を下げて目を閉じている。一度、智也に会った時は特に異常が無く元気そうではあったものの、このままこの状態が続くことが良いことだとは思えない。早く、智也を助けてやりたい。

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メンタリック・ガラス 有未 @umizou

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