第十一話 ガールズトーク (2)

「えー。ん、とねぇ……。トキめいたから」


 伊勢はこだわりのない口ぶりで首を傾げ、外記を見る。するとつられて衛門も目が向く。


「外記に?」

「ん。こうやってねー、胸に抱えるみたいにしてさー。笑ってて、夢中で」


 その仕草は自分のまねなのか。外記は身の細る心地だが、すぐに痛いところをつかれたことに気づく。途端にばつが悪くなって萎れた。


「ああ……。それは……私の悪い癖よ。つい、頸を持ち上げて弾いてしまうの。よく注意されるんだけど、熱中すると頭から飛んじゃって……」


 琵琶は、弦を水平に保って構えるものだが、外記は油断すると、ネックを支える左手に力が籠って、楽器を起こしてしまう悪癖があった。


「まるで、天竺渡りの弁財天様みたいだったぁ」


 きまりが悪いのに、伊勢はそれには少しも頓着しない。

 ちょっと腹立たしくなって、ふてくされた気分になる。


「なによそれ」


 ぶっきらぼうに口を尖らせると、衛門がハラハラと気にかけて口を挟んできた。


「い、伊勢は、見たことあるんだ? そういうの」

「ん、ずっと前にね、母さまが持っていらしたの。小さなお像。お顔立ちが少し違っててさー。琵琶をね、さっきの外記みたいに胸に抱いてた。夢見るみたいで。素敵だったの」


 てらいなく言う。外記は閉口した。

 痛いところを突かれて、ようやく、何となく理解するような気がした。


 見苦しく耽溺する外記の姿を、伊勢がだと指摘しているのだ、と。

 そして、伊勢に悪意がないこともまた理解する。

 当惑と含羞を覚えて押し黙るが、目を細める伊勢から汲み取れるのは、あくまでも、外記への好意だ。


 外記の気持ちが頑なでないことを確認してから、衛門は口を開いた。


「——少なくとも、伊勢は外記のこと、イイな、って思ってるのよね」

「そーだよー」


 念押しのように確認してから、とりなすように外記に目配せしてきた。すねた態度を取った自分に格好がつかず、外記はなかなか目が合わせられない。けれど、小さくごめん、と言った。

 衛門は少し笑い、伊勢は理解しない風に首を傾げた。


 尻切れトンボだが、衛門は話題を引き取るだろう。

 外記は申し訳なさを感じて、とまどいながらも口を開くことにした。


「……ねえ、伊勢。でも、琵琶を弾く女が見苦しいと言う男君の感覚は、また別じゃない?」


 外記には、伊勢の感覚はやはり特殊だと思う。見苦しいものが魅力に映るとは思えない。


「そー?」

「違うの?」

「さー。私、男じゃないから」


 話を広げておいてそれはないが、そもそも論である。

 しかし、伊勢も助け舟を出すように、思いついた、というような顔になる。


「じゃ、男の前で琵琶を弾いてみたらいいよー」

「そうすると、どうなるの?」

「んー、夢中になってる外記に、腹を立てるかもー。おい、それもうやめろよってさ。――こんな風に」


 言うが早いか、普段のおっとりとした姿勢と打って変わって、伊勢は素早く外記に取りついた。避ける間もなく、外記はそのまま押し倒される。


「――俺のこと見ろよ。……ってねー」


 馬乗りになった伊勢がくすくす笑っている。

 突拍子もない空想にあっけにとられたが、外記も苦笑いで応える。


 もつれた拍子に敷き込んだ互いの髪を掻きのけて、二人とも身を起こした。衛門が身なりの乱れを指で示しつつ、ためらいがちに口を開いた。


「――あのね。琵琶を弾いてる外記が素敵なのは、私も同意するわ」


 はにかんで言う。瞠目する外記にさらに続ける。


「だから、男の前で琵琶を弾くなら、気をつけてね」

「え?」


 一瞬だけ憂鬱そうに、そして妙に大人びて衛門は笑った。

 衛門はこれまでに、いくつもの邸を勤めては変わってきたと聞いている。きっと外記よりもずっと様々な経験をしてきて、思うところがあるのかもしれない。


「外記に夢中になるかもねー」


 伊勢がのんきに同意した。それからすぐに話題が変わる。


「けれど、何であっても、貴人あてびとの前で弾く時は、ただ必死だわ」

「あ、それー。めっちゃ脇汗かくー」


 今度は渋い顔で伊勢が全面同意した。外記も苦笑いで頷いてから、浮かんだ疑問を口にする。


「伊勢でも? そんなことあるの? 御前で緊張なんてする?」


 数日のことだが、外記が見る伊勢は誰よりマイペースで、身構えるそぶりを感じたことはない。


「あるよー。姫様の御前じゃないけどねー」

「違うんかい」

「へへー。自分のこと良く思われたいって願ってる人の前だとね」

「そっか……そうだよね」

「ねえ、外記。この文机、脚ガタついてる。書き物しづらくない?」


 先程から気になっていたのか、衛門は話の脈絡なく問う。


「え。あー、まあ多少は。そんな気にはしてないけど」

 

 木っ端を当ててからも、文机は完全に固定はされず、いくらかガタついていた。


「私のと換えてあげるわ。外記、よく書き物するんでしょ? よく墨の匂いさせているし、料紙もたくさん持ってるんじゃない?」


 温かく油断していた身体が、冷水を浴びせられたようにはっと強ばった。動揺が知られないよう、瞬時に口の端で少しだけ笑う。


「別に、そんなたいしたこと……」


 衛門に他意はなさそうだが焦る。文机に向かう姿は極力見られてないようにしているが、局を連ねている以上、ある程度は筒抜けだ。


「ガタつかないの、いらない?」

「そりゃ、あったら便利だけど、そんなの衛門も同じでしょ?」

「平気。私、あんまり書き物しないから」


 それはあんまりだが、重ねて勧める衛門の好意に甘えることにした。

 正直ありがたい。

 ここしばらく、誰を想定して、というのでもなく手蹟の修練をしていたが、文の偽造に細心の注意が必要なのに、道具に煩わされるのに気を揉んでいたのは事実だ。


 伊勢の合図に合わせて衛門と二人で入れ替える。


「全然ガタガタしない。ありがとう衛門」


 新たな文机の使い心地を確認しながら礼を述べる。疲れた、とだらしない格好で衛門が答えた。伊勢は大して何もしてないが同じくだらけている。


 その時、開け放っていた入り口に影が差したのに、外記は気づかなかった。


 背を向けていたからだが、他の二人がさっと身を起こす。低く唸るような声が聞こえ、一拍遅れて外記が振り返った。


「……伊勢、あんたねぇ……」


 式部が立っていた。

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