第五話 ハロー・フレンド


「ねぇ、ここでしょー? 式部しきぶぅ」


 妙に間延びした声が外で聞こえて我に返る。変な人がいる、と思ったが、木葉は素早く硯箱を脇に避けて、くるりを身を返して局の入り口へと向いた。


伊勢いせ、そうやってのろのろ話すのやめなって言ってるでしょ。みっともない」


 どうやら外にいるのは二人組の、察するに女房だろう。後から言葉を放った人物は、女房としては粗野な口ぶりで面食らう。

 鄙の地ではやはり女房の質に不十分があるのだろうか、と訝る内、咳払いでおとないがされた。


「もし、こちらの方。いらっしゃいますか?」


 同じ声が一転してもったいぶった声。式部と呼ばれた人のようだ。すべて丸聞こえなのだが——。


「――はい、おります。どうぞ」


 木葉もよそ行きの声を作る。

 どぎまぎと訪問者を待ったが、遣戸やりどが開かれるといきなり何かが飛び込んできた。度肝を抜かれる。


「……な? は?!」

伊勢いせ!」


 木葉が茫然とすると同時に絶望的な悲鳴が響いた。

 見ると転がり込んできたのは小柄な人で、どうやら入口でつまづいて派手に転んだらしい。

 戸口には背の高い女房が片手を額に当てている。こちらが式部らしい。心臓が飛び出そうな木葉が二の句が継げないでいると、取りなしてきた。


「ごめんなさい、新しい人よね。私は式部しきぶ、こっちは伊勢ね。こちらのお邸の姫様のお付き女房よ。今日から貴女の同僚になるわ」

「あ……、私は木葉よ。よろしくお願いします」


 予想外の出来事に会話が上滑りしたが、とりあえず挨拶をする。


「よろしくー」


 やはり、ゆったり間延びした声でむくりと起き上がった伊勢が、てらいなく声を上げた。笑顔に気取りがない。愛嬌のある人だ。


「伊勢、だからもっとしゃっきりして。――それで、木葉。早速だけど姫様にご挨拶できる?」

「あ、うん、大丈夫」

「お文をしたためてたのぉ?」


 伊勢がマイペースな人なのは一瞬で察した。かつ目ざとい。

 木葉の文机に目を向けている。ちょっと蓋を開けて、中を確認しただけだったが、墨の匂いがしたのかもしれない。


「……ええ。まあ」

「都が恋しくなったのぉ? それとも恋人? 前いたのはどこのお邸い?」


 物おじしない性格のようだ。矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。どう答えたものか目を白黒させていると、式部が引きはがすようにして伊勢を押しとどめた。


「伊勢! 木葉がびっくりしてるでしょ。質問はあとでゆっくり時間のある時に。今はお役目」


 まるで女童に言い聞かせるような式部に、伊勢は思い出したかのように目を見張った。


「そうだった。行こいこー、姫様がお待ちだよ」


 三人連れ立って姫君の御前に向かうことになった。

 道すがらひどく緊張してくる。新たな女房仕えだというのに、自分の思惑にばかり気持ちが向いて頭がいっぱいになっていた。本末転倒である。


「んー? 大丈夫? 木葉ぁ」


 横並びに歩きながら伊勢が顔を覗き込んできた。反射的に口の端を釣り上げて無理やり笑い顔を作る。


「うん……、ちょっと緊張しちゃって」

「初めてはそうよね。でも心配しないで。姫様はとても穏やかでお優しい方よ」


 式部が励ましてくれるのに頷きながらもあまり効果はない。脂汗さえ浮かんでくる。

 それでも、出合い頭の事故のためか、ざっくばらんな率直さのためか、伊勢と式部とはなし崩しに距離が縮まっていている。幸先いいと己を鼓舞する。


「新参を連れて参りました」

「――入りなさい。こちらへ」


 簀子縁すのこえんひさしとの間に下ろされた御簾の前で三人座り、式部の呼びかけに言葉が返される。肌が粟立つ。恐ろしい程に緊張が募った。尼君と対面した折の比ではない。


 御簾が内から掲げられ、招じ入れられる。

 喉を絞められた鶏の気分だ。

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