(4)


 娘たちはただ見ていることしか出来なかった。

 自分たちを恐怖で支配して来た男が突如目の前で殺される瞬間を。

 思いがけずアッサリと終わりを迎えた瞬間を。

 しかし娘たちに歓喜の笑みは浮かばなかった。歓声の一つも上がらなかった。

 誰もがただ、見ていた。悪臭を生み出す業火を背負い、ゆらりと影のように立ち尽くす襲撃者の存在を。

 本来であれば喜ぶべきだろう。助けてくれてありがとうと感謝するべきだろう。

 だが、娘たちは呻き声の一つも上げることが出来ないでいた。

 足が竦み、腰を抜かす者もいた。

 そんな娘たちの視線の先で、ガクリと襲撃者が崩れ落ちる。

 まるで張りつめていた糸が切れたかのように。力尽きてしまったかのように。

 娘たちはどうすればいいのか分からなかった。

 突如現れた襲撃者は科之を殺してくれた。だとしても、襲撃者が娘たちにとっての味方だとは安易に信じることが出来なかった。

 現に襲撃者は無言だった。科之のして来たことを糾弾するわけでもなく、娘たちに安否を訊ねて来ることもなく、ただ男たちの命を問答無用で奪い去った。

 仲間割れでも起きたのかと考えるほどに、娘たちは自分たちを救ってくれる者がやって来るとは思わなくなっていた。

 故に娘たちは即座に喜ぶことはしなかった。ぬか喜びほど虚しいものはない。苦しいものはない。管理者が代わるだけならば意味はない。

 相手が一体何を目的として娘たちの前に現れたのか、真意を知るまでは動けない。

 そう思っていたのだが、襲撃者は怯えと警戒心がない交ぜになった娘たちの視線の先で、両手を地面に付いていることすら苦しくなったのかドサリとその身を横たえた。

 娘たちは思った。まるで大きな鳥のようだと。

 農村の娘たちだった。罠に引っ掛かり命を落とし掛ける鳥の姿を一度ぐらいは見ていた。

 逃げ出すことに精根尽き果てて、ぐったりと翼を投げ出し、ただ浅く速く呼吸を繰り返す様子を。

 目の前の襲撃者はまさしくその状態だった。

 もしかしたら、科之の一刀も襲撃者に深い傷を負わせていたのかもしれないと言う可能性が俄かに浮かび上がる。

 娘たちは互いに眼を見合わせた。その眼には怯えは残っているものの、一つの意志が宿っていた。

 娘の何人かが意を決したかのように頷き、動き出す。

 そろりそろりと、襲撃者の様子を窺ないながら、壁伝いに元来た道を戻り出す。

 置いて行かれては堪らないと、次々に娘たちは動き出す。

 涙に濡れた顔で、震える膝に鞭打って。壁に背中を擦りながら、一歩一歩確実に、自由と言う名の出口に向かって歩き出す。

 人を焼く業火に全身を炙られながら、熱と臭いに顔を背けつつ、灯り一つないままに。

 時に躓き、時に倒れ込みながら、気が付けば互いの手を取り合って、漆黒の闇の中を突き進む。

 誰かがすすり泣く音を響かせながら、今にも誰かが追い掛けて来るかもしれない。現れるかもしれないと不安と恐怖に押し潰されそうになりながら、汗ばむ手を握り締め、互いの存在を確かめつつ鼓舞して進む。

 立ち止まっている暇はなかった。

 誰もが分かってはいた。この機を逃しては次はないかもしれないと。

 これまで娘たちですら知らなかった。屋敷の隅々まで常に掃除をして来た娘たちですら。

 まさか自分たちが寝起きしている部屋の壁に隠し扉があることなんて。

 どこへ連れていかれるのかと思っていた。

 何が起きているのかと戸惑った。

 だが、問い掛けることは出来なかった。許されるような空気ではなかった。

 その道を再び戻る。

 戻った先に何があるかなど解らない。

 大部屋に戻った瞬間、手下たちに取り囲まれるかもしれない。

 科之をどうしたのかと問い詰められるかもしれない。

 その返答次第ではどうなるか分からない。

 だとしても、見知らぬ道を進んだ先の、見知らぬ場所に放り出され、誰の指示も庇護もないままに生きて行かなければならないことに比べたら、どんなに理不尽な理由で連れて来られたとしても、見知った場所の方がまだマシだった。

 中には戻りたくないと思った娘もいただろう。だが、置いて行かれたくは無かった。その気持ちで付いて行く者もいた。

 道のりは長かった。焦りだけが積もり行き、震える足はなかなか前に出ず、一瞬でも気を抜けば簡単に倒れてしまうことは解っていた。

 それでも娘たちは歩いた。様々な感情に耐えかねてしゃくりあげる者もいた。歯を食いしばる者もいた。進むしかなかった。

 少しずつ、少しずつ、一歩一歩確実に。お陰で娘たちは光を見た。小さな小さな光だが、漆黒の闇の中にあって、その光は何事にも替え難い安心感を娘たちにもたらした。

 踏み出す足に力が戻り、前に出す速度が増して行く。

 引っ張られるように娘たちは早足になり――

 程なく娘たちは外に出た。

 あの襲撃者が開け放っていた隠し扉のその先へ。

 帰りたい帰りたいと思っていた。

 生まれ育った村に帰りたいと。狭く隙間風の入る寒い家に帰りたいと。

 それでも、どことも知れぬ場所に移動させられそうになった今は、泣き暮らした大部屋でも娘たちに安堵感をもたらした。

 次から次へと地獄の口から飛び出した娘たちは、互いに抱き合い涙を零し、無事に戻って来られたことに喜びを爆発させた。中には安堵のあまり座り込む者まで現れたが、娘の一人が緩んだ緊張を引き締める。

「何が起きてるか知らないけれど、逃げるなら今しかないよ! 科之がいない以上、いくらでも誤魔化せる」

 娘たちは互いに頷き合い、部屋を出た。

 そして見た。屋敷のいたる所に転がる屍の数々を。

 ざっくりと体を引き裂かれ、廊下を血の海へと作り替えた袢纏姿の男たちを。

 堪らず吐き出す娘たち。

 予想を裏切る現実に、誰もが言葉を失った。

 本当に、何が起きたのかと立ち竦む。

 娘たちは互いの体にしがみ付き、行くか戻るか逡巡する。

 進む方が正しいのか。留まる方が正しいのか。

 どちらが安全なのかと考えて。

「行こう」

 誰かが震える声で背中を押した。

 血の気を失わせた娘たちは、恐々と進み出す。足の裏を血に浸し、その感触に身震いしながら、足を滑らせながら、建物から抜け出すために廊下を進む。

 早く速くと気持ちを焦らせながら、恐ろしい形相で息絶えた男たちの顔を視界に入れないように。

 生きている人間は一人もいなかった。

 戦々恐々としながらも娘たちは進み、大きな玄関を目にした瞬間、駆け出した。

 その足を止めることはもうないと、娘たちは思っていた。

 思って、飛び出して、大地に足が縫い付けられた。

 突如先頭が立ち止まり、勢いを殺せなかった後続が次々とぶつかり倒れ、

「何……これ……」

 不満を言いながらその身を起こした娘たちが一様に凍り付いた。

『村』が、無かった。

 豪華絢爛な錦絵のような建物たちも、その建物を照らし出す提灯の群れも。

 どこからともなく聞こえて来る三味線や鉦の音も。道行く男たちも、客引きする男たちも、眠らないはずの『村』が、お通夜の如く静まり返っていた。

 消し炭と化した残骸だけが並んでいた。

 物言わぬ倒れ伏した男たちの中で、髪を崩し、焼け焦げた着物を着崩し、半ば呆然とした女たちがそこかしこで座り込み、無事な女たちが寄り添っていた。

 その傍を、いや、『村』中を、ふわふわと明るく輝く狐火のようなものが漂っていた。

 この世のものとは思えなかった。

 一夜にして『村』が滅んでいた。

 見張りの男たちも死に絶えて。首謀者である科之の命も刈り取られた。

 これは夢なんだろうかと思わない方が不思議なほどだった。

 誰もが理解及ばず、誰もが倒れたままに変わり果てた『村』を見渡した。

 そこに、

「鬼雨さん?! 鬼雨さん?! どこですか?!」

 どこか怯えを含んだ聞き覚えのある焦り声が聞こえて来た。

「鬼雨さん?!」

 口に手を当て、辺りを見回しながら懸命に呼び掛ける娘は、娘たちの見知った人物だった。

 ハスズだった。

 今にも泣き出さんばかりの顔をして、懸命に聞き慣れぬ名を叫び呼ぶ姿に、一体何人の娘が襲撃者の名前だと察することが出来ただろうか。

「ミナカ! あの人は! あの人はどこ?!」

『村』に連れて来られてから常に人の顔色を窺っていたハスズが、誰に後ろめたさを覚えることなく膝を付いて目線を合わせ、きっぱりとした口調で問い掛けて来た。

 その様子は鬼気迫っていた。あの人が誰なのか。どうして教えなければならないのか。どうして命令口調で言われなければならないのか。様々な疑問や不満が噴出したが、動揺していたミナカは答えていた。

「科之を殺した相手なら、地下通路の中で倒れたわ」

 直後、ハスズの顔は恐怖に強張った。それがすぐに泣き顔に変わるも、

「どこ?」

「え?」

「地下通路の場所はどこ!」

 肩を掴まれ厳しい口調で問い掛けられたミナカは、戸惑いながらも答えた。

「あ、あたしたちの部屋の、壁の、向こう」

「ありがとう!」

 聞くが早いか、ハスズは駆け出していた。

 そこには娘たちの目に怯えていたハスズの姿は欠片もなかった。

 いつもおどおどしていた。後ろめたさから何を言われても甘んじて受け止めていた。

 それがまるで別人のように強い光を宿した眼で、意思を持った声で、譲れない想いを宿して駆け去って行った。

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