(3)
ざっざっざっざと、地面を踏み締める複数の音が坑道に木霊していた。
どれだけ地上が火の海と化していようと、地下通路まで下りて来ることは無く。
漆黒の闇の中。点々と灯る松明の灯りを伴って科之は足を進めていた。
背後に続くのは、ハスズと共に連れて来た娘たち。その数十五人。下は十四。上は十八。
ハスズが苦しみながら守り抜いた娘たち。
万が一のことが起きたとき、すぐに使えるように読み書きや芸事を教えて来た。
着物の着方。化粧の仕方。話し方や振る舞い方は『商品』たちに付けることで身に付けさせた。
ただし、男の相手はさせてはいない。
それがハスズとの約束だったから。
それなのに、ハスズは同村の娘たちに憎まれ疎まれた。
ハスズがいたからこそ身売りなどせずに済んでいたと言うのに、娘たちはハスズを許さなかった。
無論。そう言う流れに持ち込んだのは科之だったが。
(本当にあの娘は良く頑張ってくれていた)
自分の親切心が村を不幸にしたことに責任を感じ、娘たちを守るために他の村の娘たちを攫う片棒を担がされ、娘と言う娘に恨まれた。
決してハスズが望んだことではない。むしろ拒絶していた。あらゆる面で板挟みになり、吐き戻しながら耐えて来た。
どこまで耐えられるのかと試しに試した。態と他の娘たちと差別した。差別すればするほどハスズは孤立した。
これまで同じことをして一年保った者はいない。
誰もが早々に音を上げた。
我が身可愛さに仲間を見捨てた。
それ故に『商品』とされた娘たちは激昂した。
守られている間も憎しみ恨みをぶつけておきながら、いざ逃げ出せば逃げ出したで罵り憎む。
その様を見るのが楽しくて仕方がなかった。
あの苦しみに歪んだハスズの顔が堪らなかった。
それでも耐え忍ぶ姿が愛おしかった。
だが、それも今日まで。
ハスズは科之を裏切った。
裏切り者は必要ない。
滅んだ村も必要ない。
幸い手元には『商品』があった。
元々見目の良い娘を見繕っていたかいがあった。
これまではまともな食事をあえて与えて来なかった。あくまでもハスズが特別だと印象付けるために。
しかし、次の『村』を作るためには髪や肌艶も良くしなければならなかった。
これまでの掃除や洗濯などの家事や雑用のせいで荒れた手の手入れも必要だ。
(良い温泉の湧く土地が良い)
どこがいいかと科之は考えを巡らせる。
既に科之の頭の中は次の『村』創作の為に向けられていた。
地下通路の入り口はハスズにも教えていない。
ぐずぐずする奴はこの場で殺すと脅してやれば、何事かが起きていることは分かっていても、詳しい情報を得られなかった娘たちは蒼褪めて、怒鳴られ小突かれ怯えながら移動した。
それまで見たことのない殺気立った男たちの憤怒の形相も大いに役に立ったのだろう。
もしくは、逆らわない限りは無事でいられると言う事実がすっかり根付いていたか。
然程の混乱もなく、科之を先頭に一行は粛々と地下通路に下りた。
それでも念には念を入れ、万が一逃げ出されて地下通路の入り口に気が付かれては堪らないとしっかり見張らせて。
(まったく。良くないことが起きると占いに出てはいたが、まさかこんなことになるとは夢にも思わなかった)
思わず忌々しげに舌打ちを一つ。
役人ですら抱き込んで、これまでも随分と稼がせてもらったが、金の生る『村』が一夜にして滅びることになろうとは。
とんでもない疫病神を招いたものだと内心で不満を爆発させた後、ふと科之は気が付いた。
(疫病神……むしろそれはあの娘の方だったか)
気が付くと、不意に笑いが込み上げて来た。
万が一、村に異常事態が起きたとき、客を匿い逃がすために掘らせていた坑道の中に不気味な笑い声が響き渡る。
陰々と広がる笑い声に、ぞろぞろと後ろを付いて来た娘たちの怯える気配を背中に感じた。
だが、笑わずにはいられなかった。
科之を村に招き入れて、ハスズの村は娘を失い村人たちが互いの人質となった。
そして今、ハスズによって連れて来られた鬼雨と宵のせいで、科之の『村』は壊滅させられた。
全てはハスズによって招かれた者たちが、その村に不幸をばら撒く。
決してハスズが望んだわけではないと言うのに――
(本当に不幸に愛された娘だ。それ故に愛おしい娘だったが……)
二度と会うことはない。
思うと同時に笑いは途絶えた。
再び坑道にはざっざっざっざと、複数の人間の土を踏む足音だけが響き渡った。
娘も、付き従う松明を持った男たちも、一言も口を利かなかった。
決して規則正しくはない足音。
周囲は変わらぬ闇と、松明の灯りに照らされた雑に均された地面のみ。
漂うのは緊張と不安と恐怖。
それらを飲み込み松明は燃える。剥き出しの土壁に異形の影が浮かんで流れる。
時折風が唸り声を上げて通り抜け、すすり泣く女の声が聞こえて来たかと思うと、
「ぐぁっ」
『?!』
明らかに不自然な音が響き渡った。
科之は足を止めて振り返った。
振り返った科之の持つ松明に照らされて、娘たちの怯え切った顔が浮かび上がる。
そんな中、断続的に男の悲鳴が近づいて来ていた。
まさか――と言う可能性が科之の脳裏を過ぎったのはそのときで。
しかし科之はすぐに頭を振った。
あり得るわけがなかったのだ。
地下通路の入り口を知らぬハスズから情報が漏れることはない。
人質にして来た娘たちも、『商品』として生かされて来た女たちも知らぬ道。
そこに、あの死にぞこないがやって来られるはずがない。
そう思い込もうとして、否定し切れぬ可能性だと直感的に科之は確信していた。
(確かにあのときは死に掛けていたはずなのに)
脳裏に蘇った鬼雨は、確かに体を起こすことすら出来ないでいた。
だからこそ、荒くれ者たちに後を任せたのだ。
(もしやあのふざけた男が? いや。仮にそうだとしても動けない芝居をさせる理由が思いつかない)
あの瞬間、確かに科之は自分の死を察していた。
這い蹲った鬼雨が睨み上げて来た眼を見たとき、科之は己の死を幻視した。
報告は受けていた。翼の如く翻る長い袖の下に隠された鋭い五本の鉤爪の存在を。その高い身体能力のことを。
それでも初めは疑った。ねぐらに踏み込まれ、失態を晒した自分たちに非はないと言い訳染みたことを言っているだけだと。
だとしても、邪魔をされたのは面白くない。誰の邪魔をしたのかとしっかりとその体に叩き込み、後悔の先に死をくれてやると思っていた。
だが、あの瞬間。開け放たれた窓の外。赤々と天を焦がす炎と崩れゆく『村』を目にしたとき、頭を強く強く殴られたような衝撃を確かに覚えた。
相手はたった独り。いや、二人だったとしても、誰にも気付かれずに『村』を壊滅させられるとは思いもしなかった。
嘘ではなかったのだと察したとき、確かに科之は鬼雨の視線に貫かれた。
だが、鬼雨は起き上がれなかった。
宵は薬のせいだと言っていた。
その薬を手に入れることが出来れば新たな事業が興せるかもしれないと思う一方で、下手に逆らわれたら堪らないと手に入れることを瞬時に諦めると同時に、その副作用のお陰で科之は死なずに済んだことを理解した。
油断は出来ないのだと見せつけられた以上、長居は無用とばかりに後を託したが。
(まさか本当に仕留められなかったのか? 芝居だったのか?)
考えたところで答えは出ない。芝居だったとすればあまりにも意味がなさ過ぎる。
思いの外、宵の腕が立つのかと思うも跡を付けられたとは思えなかった。
娘たちが異変から逃れようとするかのように科之の方へ身を寄せて来る。
代わりに松明を持った手下たちが後方へ集結する。
そこに、それは、やって来た。
「うわっ」「何だ?!」
手下たちが驚きと動揺の声を上げ、被さるように悲鳴と苦鳴が沸き起こる。
後はもう恐慌状態だった。
瞬く間に地下通路には血臭が立ち込め、娘たちは悲鳴を上げて通路の奥へと逃げ出した。
科之はそれを止めなかった。
押し寄せる娘たちの波に逆らい、松明を前方に突き出してその場に留まる。
立ちはだかる手下たちのせいで襲撃者の姿は未だに見えない。
それでも、襲撃者は確かに居た。
手下たちの怒号と悲鳴が絶えず上がり、刃物同士がぶつかり合う耳障りな音が上がる。
松明が手当たり次第に揺れ動き、一人、二人、三人と命を取られて消えて行く。
持ち主を失った松明が地面に落ち、倒れた手下に燃え移る。
肉の焦げる不快な臭いが立ち込めて、坑道の中が明るく照らされれば、娘たちの悲鳴が響き渡った。
折り重なるように倒れた手下たちに燃え移った炎が松明のように燃え上がる中、科之は見た。
逆光になり、黒い影として浮かび上がる襲撃者を。鬼雨を。
刹那、科之の胸に去来したものは恐怖か畏怖か驚愕か。
頬を引き攣らせながら科之は口の両端を吊り上げていた。
呻き声の代わりに笑い声を上げたくなり、上げていた。
「お前、動けないんじゃなかったのか?」
我知らず科之は問い掛けていた。
黒い翼をダラリと垂らし、地獄の業火を背中に背負った影に対し。
だが、鬼雨は何も答えはしなかった。
影が揺らめいて見えるのは、鬼雨が揺れているのか、燃え盛る炎の影響か。
科之は覚悟を決めて腰に佩いた脇差を抜いて構えた。
元は武家の生まれ。家督を継げぬ三男坊。剣の腕は立つものの、家にいては自分の自由になるものはないと、ふらりと家を捨て数年。見た目と身なりを見て金づるだと思い込んだごろつきを返り討ちにし、命が惜しければ手下になれと命じて手下を作った。仕事を与えて成功すれば報酬を与えた。酒でも女でも金でも、成功に応じて振る舞った。
気が付けば、ちょっとした悪党のまとめ役になっていた。それらを使い、もっと力を得ようとして思いついたのが『遊郭(むら)』だった。
力のある者を顧客として招き入れることで信用を勝ち取り弱みを握る。
女の前では男はどこまでもだらしなくなる。醜態を晒す。金を弾み情報を漏らす。
そうして科之はさまざまな弱みに付け込んで勢力を拡大して来た。
今では家にいた頃より羽振りは良くなっていた。
時に金や物で釣り、時に刃を抜いて脅し、力を誇示して生きて来た。
そうしないことには裏切るものが現れかねない。そのための鍛錬は欠かさず行って来ていた。
それでも、科之には解っていた。相手が決して油断できぬ相手だと。
村に置いている手下たちはそれなりに実力のある者たちだった。
それが赤子の手をひねるようにアッサリと殺されたのだ。
ここまでなのかとふと思う。
別に何が何でもやりたいことがあったわけではなかった。
その日その日、退屈しなければそれで良かった。
全ては自分がどこまで出来るか確かめるため。
それが今日、ここで終わりを告げられたところで未練はない。
だが、
「それでも、おいそれとくれてやるつもりはないんだよ!」
叫ぶが早いか科之は地を蹴り、立ち尽くしたま動かない鬼雨との距離を一気に詰めた。
常に自ら手を下すことをしなかった科之。
人を操り自分の思い通りに事を進めることを良しとしていた科之。
それが今、受け身ではなく自ら先に打って出た。
それは全て焦りのなせるものだった。
本人にその自覚はない。だが、本能が訴えていた。
目の前の襲撃者は、確実に自分の命を狩るものだと。
背を向けた瞬間、死の爪は科之を捕らえると。
生き残るためには討ち取るしかないと。
本来の科之であれば決して起こさなかった愚行。
そう。それは愚行以外の何ものでもなかった。
鬼雨(かげ)は動いた。
いや、倒れ込んだ――ように科之には見えた。
ぐらりと体を倒れさせ、もしや動けないのを無理に動いてとうとう力尽きたのかとさえ思った。
(獲れる!)
確信の下、袈裟懸けに斬り付けて。
シャアアアアアア!
「え?」
噴き出す液体の音が、強く科之の耳朶を打った。
目の前が朱に染まった。
痛みは微塵もなかった。
ガクリと崩れ落ち、自分が地面に膝を付いたことすら気が付いていなかった。
何が起きたか分からない。
ただ、科之の脳裏には今の置かれた現状とは関係のないことが蘇っていた。
花嫁衣装を着た美しい女がそこにいた。
ずっと相思相愛だと思っていた女がそこにいた。将来を誓い合った女だった。
それが、愚鈍な兄の隣にいた。
晴れ渡った空の下、押し付けられた使いから一か月ぶりに返って来た蝉のうるさい時期だった。
何の祝い事かと訝しみつつ庭に回れば、開け放たれた座敷の中で祝言が執り行われていた。
何故そこに娘がいるのかと、科之は眼を見張り立ち竦んだ。
意味が解らなかった。何が起きているのか分からなかった。共に育んで来た日々を思い出して混乱し。
ふと目を上げた女と目が合った。祝いの席に呼ばれた人越しに、ハッキリと眼が合った。
女の顔は強張って、気まずげに視線を逸らされた時、科之の心は怒りによって紅蓮に染まった。怒りによって体が打ち震えた。愛情を掛けた分、憎しみが膨れ上がった。
同時に、想いを通わせていたことを知っていたはずの父と兄に対して殺意が芽生えた。
科之のいない内にことを済ませてしまおうとしたことも気に入らない。
科之の怒りは黒雲を呼び寄せ、突如激しい雨を降らせた。
白く煙るほどの激しい激しい雨だった。
『鬼雨(きう)だ!』
誰かが叫んだ。鬼の仕業だと思えるほどにいきなり降る激しい雨の意。
科之は瞬く間に濡れ鼠になった。
だが、怒り心頭の科之にとって、燃え盛るほどの憎悪を纏った科之にとって、寒さも冷たさも何一つ感じなかった。
祝いの席で起きた凶事。
庭に立ち尽くす鬼の形相の科之。
それを見た客たちが表情を強張らせる。
父が、母が、兄たちが、動揺も露わに眼を泳がせる。
(そうか)
科之は走馬灯を見終えて帰って来た。
(そう言うことか)
鬼雨が倒れ込んだと思い込んだのが間違いだった。
鬼雨は倒れたのではなく、倒れ込むほどに低く踏み込んで来たのだと。
科之の右手を払い除け、逆袈裟懸けにざっくりと斬り裂かれたのだと。
地面に倒れ伏し、自らの血潮に浸りながら科之は力のない笑い声を上げていた。
何故自分が家を出たのか。
何故自分がハスズに異様な執着を抱いていたか。
かつて科之が想いを交わし、裏切った女。その女にハスズが似ていたからだった。
ハスズはその女の代わりだった。
憎くて憎くて堪らない女。それでいて愛おしい女の代わり。ずっと傍に置いて置きたかった唯一の物。
その女は鬼雨が降った日、愚鈍な兄に宛がわれて祝言を挙げた。
全てに見限った日に降っていた雨が鬼雨。
鬼の如く人外離れの力を発揮し、永劫に続くかと思われた科之の『村』と科之自身に突如終わりを突き付けて来た襲撃者の名。
(やはりあの女が疫病神か)
何ものにもこだわりは持たないつもりだった。
そうして生きて来たつもりだった。
(それがどうだ)
一人の女に、知らず執着し続けた。結果がこれだ。
(あー、寒いな)
あのときですら寒さを覚えなかったと言うのに、このとき科之は生暖かい血潮に身を浸しながら寒さを感じていた。
(寒い……)
赤々と燃え盛る炎の傍で、科之は思いのほか静かに息を引き取った。
そのとき最後に科之の脳裏に過ぎった笑顔の少女が果たしてどっちだったのか。科之ですら判らないままに、ただただ静かに眼を閉じた。
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