(2)
誰もが想像などしていなかった。死にぞこないの鬼雨が、一足飛びで手下との距離を詰め、その首をアッサリと刎ね飛ばしてしまうなど。
故に、誰一人声を発することは無かった。
ハスズは目を丸々と見開いて。手下たちは呆然と血飛沫を噴き上げる仲間を見て。
あらゆるものの視線を集めながら、首を失った体がガクリと膝を付き倒れ伏すまで、座敷の時は動きを止めていて。
だが、鬼雨を前には失態以外の何ものでもなかった。
鬼雨は止まらない。待つことはしない。絶好の好機とばかりに鉤爪は獲物に襲い掛かり、次々と血の雨を降らせて回る。
手下たちが我を取り戻す頃には半数以上が座敷に倒れ、残りが血相を変えて逃げ出した。
我先にと廊下に殺到してつっかえる。
慌てふためいて罵り合い、襖を外して転がり出る。
その背中を、首を、怪鳥の爪は逃さない。
斬りどかし、踏み倒し、無事に廊下へ逃れたはずの獲物を追い掛ける。
追うはずの鬼雨の足音など一つもハスズには聞こえなかった。
それでも、階下で『ギャッ』と言う悲鳴が聞こえ、逃げ惑う悲鳴が聞こえ。
ハスズはただただ呆然としていた。
何が起きたのかしっかりと理解出来ないでいた。
殺されてしまうと思っていた鬼雨は死ななかった。
それどころか、瞬く間に状況をひっくり返した。
「どう、して?」
ほぼ無意識に問い掛けていた。
あり得ない事態を目の当たりにして、ハスズは酷く動揺していた。
鼓動が早鐘の如くハスズを叩いた。
ハスズはずっと震えっぱなしだった。
ハスズの危惧をものともせず、鬼雨は立ち上がり手下たちを皆殺しにした。
足を切断されてのたうち回っていた手下たちも、一体いつ止めを刺されたものか、すっかり静かになり血の海に沈んでいた。
むせ返る血臭の中、鬼雨が願いを叶えてくれたことにハスズの心は打ち震えていたが、同時に言い知れぬ不安に呑み込まれかけていた。
鬼雨は立ち上がった。決して短くはない暴行を受けた後で。傷付けられた痛みなど微塵もないかのように、初めてハスズの前に現れて山賊たちを屠ったように。科之の前で起き上がれなかったのは演技だったのだろうかと想わせられるほどに。
だが、ハスズは見たのだ。
立ち上がった鬼雨の顔が血に汚れていたことも、顔に青痣を作っていたことも。
甚振られたのは演技ではなかった。
そもそも、動けるのならばわざわざ科之の前で動けない振りをする理由も、手下たちに嬲られる必要も無かった。
あのときの鬼雨は、本当に動けなかったのだ。
それが突如猛威を揮い、瞬く間に座敷を飛び出し手下を追った。
あり得ないことが起きたと言うことはハスズにだって解ることだった。
動けるはずがないのだ。
「よ、宵さん……」
「なんだい?」
震える声で呼びかけるハスズに対し、宵は酷くのんびりとした声音で応えた。
「き、鬼雨さんは、大丈夫なんですか?」
「ん~。どうだろうねぇ。多分大丈夫ではないかな」
どこか苦笑を交えた答えに、ハスズは弾かれたように宵を見上げた。
「薬で己の限界を超えた動きをした後は、指一本動かすにも全身がバラバラになりそうな痛みを覚えるからね。その後にあれだけの人数に蹴りつけられたんだ。着物の下に鎖帷子を着ていたとしても、あばらの一本や二本は折れているかもしれないね」
「だったら!」
欠片も笑えない内容に、ハスズは悲鳴染みた声を上げていた。
「どうして助けて下さらなかったのですか!」
「どうしてと言われてもねぇ」
抗議を受けた宵は悪戯っ子のように肩を竦めた。
「ワタシは女の子以外は助けない主義なんだよ」
「そんな……。鬼雨さんは仲間じゃないんですか?」
「仲間……と言えば仲間だけどね。でもいつまでも鬼雨とは一緒にいられないんだよ。いつかはあの子が一人で生きて行かなければならない。そのとき、自分がとった行動でどんなことが起きるのか。どういう風に対処するのか、それは今の内に学んで行かないといけないことなんだ」
「それでも! 本当に殺されていたらどうするつもりだったんですか?!」
「そのときはそのときだよ」
どこか悲しげな即答に、ハスズは『そんな……』と息を飲んだ。
「でも、あの子は一度引き受けた仕事は必ずこなすよ。たとえその命と引き換えにしたとしても」
「そんな……じゃあ、私は」
突き付けられた事実に、ハスズは血の臭いが増したような気がした。
指一本動かすだけでも全身がバラバラにされそうな痛みを覚える中で、あれだけの人離れした動きをしたのだ。
呻き声を上げることもなく、痛みに顔を歪めることもなく。ただただハスズの声に応え、ハスズの願いを叶えるために駆け出した。
満身創痍。命を懸けて。痛みに耐えて。ハスズの為だけに、死を自ら引き寄せている事実。
命と引き換えにしても願いを叶えてくれようとしていることに、ハスズは罪悪感に押し潰されそうになった。
償えなかった。償えるものではなかった。命を懸けさせてまで叶えさせるべき願いだったのかと、自分だけが耐え続けていれば良かったのではないのかと思わずにはいられない。
座敷の中で事切れている手下の姿が、見るも無残な屍を晒す鬼雨の姿に重なった。
目の前が暗くなる。屍だけが浮き上がる。
轟轟と燃え盛る炎の音が耳朶を打つ。
忌まわしき『村』を飲み込み浄化を促す炎。
全てを飲み込む炎が幼馴染の上に落ちた光景まで思い出す。
(全ては私が願ったから――)
――違うよ。
「!」
ともすれば光の射さぬ奈落の底に沈み込みそうになるハスズを引き上げたのは、労りの籠った優しい声だった。
「君は何も悪くない。君の願いは人として当然の物なんだから」
宵だった。
「それに君は、自分だけが楽になるために願ったわけじゃない。方法を間違えたのはあの子だからね」
「でも。でも!」
「大丈夫。君は悪くない。君の望んだ願いは、この『村』に連れて来られた女の子たちだったら誰もが願っていたことだろう。それをたまたま君が口にしただけだ」
「でも!」
「それにワタシは言っただろ? 君が苦しむことになると解っていても、それがあの子のためになると」
確かに宵は言っていた。
「だから君が苦しむ必要はない。止めなかったのはワタシだ。安易な方法に走ったのはあの子だ。結果がどうなろうと、君は人として当然の願いを口にしただけなんだから。恨むならワタシを恨むと良い」
「でも!」
「だからこそ、君には信じていてもらいたいんだよ」
「え?」
「少し前にも言ったけど、見事願いを叶えて貰えたら、ありがとうと言って欲しいんだ。救われたと。嬉しかったと。あの子の頑張りを労って欲しい。あの子のしたことが無駄ではなかったと。あの子の行為で救われた者が一人でもいるのだと言うことを証明して欲しい。あの子はね、そのために命を懸けるんだよ。全ては誰かに認めてもらうため。不器用極まりない方法で、自分の存在を許してもらうため。だから、後悔しないで欲しい。止めないで欲しい。後悔し、願いを取り下げることは、あの子にとって存在の否定に繋がるのだから」
酷く穏やかな口振りだった。
酷く優しい眼差しだった。
労りと友愛と親愛と。
残酷なまでの信頼を見せ付けられたハスズは、漏れ出そうになる嗚咽を押し込めるように口元に両手を当てて頷いた。
頷くことしか出来なかった。
否定することは鬼雨の全てを否定することになると言われたから。
自分のような身勝手な人間でも、認めることで救われる人がいると言われたから。
自分よりもはるかに強い鬼雨のために、ハスズが必要なのだと言われたから。
ハスズは何度も何度も頷きながら、『はい』と震える声で受け入れた。
そんなハスズの頭を、ありがとうと言いながら、宵が優しく撫でて抱き締めた。
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