第四章『村の終わり』
(1)
「お前か!」
殺気を滾らせた手下の一人が駆け寄り様に鬼雨を蹴り上げたのを見て、ハスズは声なき悲鳴を上げていた。両手を口に当てて眼を見開く先で、鬼雨の体が蹴り起こされる。
鬼雨は抵抗の一つもなく体を躍らせた。舞い上がる獲物に群がる野犬の如く、鬼雨を取り囲んだ手下たちが容赦のない暴行を加える。
怖気の走る重い音を聞く度にハスズの体は震えた。心の臓が締め付けられ、瞬きなど出来なかった。声すら上げられず、視線を逸らすことも出来ず、ただただ見ていることしか出来なかった。
それだとて、見えているのは一重二重に鬼雨を取り囲んだ手下たちの姿ばかり。
鬼雨が殺されてしまう!
そのきっかけを作ったのは自分だと言う事実に胸が潰れそうになる。
駄目だった。あってはならないことだった。
自分が、縋ったために。
自分が、願ったために。
唯一ハスズの本心を聞いてくれた鬼雨が殺されてしまうと言うことは。
「!!」
そこに思い至り、ハスズの心は打ち震えた。
(そうだ……そうだった……)
上辺の願いを聞き入れてくれなかった。
しつこくしつこく聞いてくれた。
そんな人間はこれまで周りにいなかった。
小さい頃から、本当に望んでいることがあったとしても、周囲の目を気にして、周りに嫌われないように、両親の期待を裏切らぬように、望まれた答えを口にして来た。
別に聞き分けの良い子供だったわけではない。
ただ、嫌われたくないだけだった。独りになりたくないだけだった。
他人が望んだとおりに振る舞っていれば、一人になることはない。
だからいつも押し殺して来た。周囲の望みと自身の望みが一致しない限り、違えた望みは口にして来たことは無かった。
それでも含むところがあると言うことは、歳経た者たちには知られていただろうと言うことは分かっていたが、あえて誰もハスズの本心を窺おうとはしなかった。真意を知ろうとはしなかった。
別にそれでもいいとハスズは思っていた。
生まれて死ぬまで村で生きて行くならば、余計な波風は立てぬ方がいいに決まっている。
意地を通して人間関係に罅を入れてしまうぐらいなら、意志を隠し、望む答えを返して生きる方がずっと楽――そう思って生きて来た。
実際そうやって生きて来た。あの日、科之を助けると意地を張るまでは。
結果がこれだった。
意地を張って己の願いを貫き通した結果、初めから常にハスズの本心を、心からの願いを訪ねてくれていた鬼雨が殺されかけている。
嫌だった。許されないことだった。あってはならぬことだった。
死ね! 死ね! と殺意の籠った怒号と共に足を踏み下ろす音がする。
嬲り殺し。
身動きが出来なくなると言う不利益を承知で、ハスズの願いを叶えるために『村』を破壊し尽してくれた鬼雨。
それが今、ハスズの目の前で蹴り殺されようとしていた。
「……い……や」
か細い悲鳴を口にして、ハスズは手下たちに向かって手を伸ばす。
「鬼雨……さん。だめ……」
助けなければ死んでしまう。
呼吸が浅く速くなる。胸が締め付けられて苦しくて。背筋を走る悪寒が止まらない。
耳の奥で音が鳴る。視界が揺れる。グラグラ揺れる。
涙は出ない。頭が痛い。
恐い。怖い。恐い。
人一人が嬲り殺しにされる様を見るのが――ではなく、ハスズ自身のことをちゃんと見てくれた鬼雨が殺されてしまうことが何よりも怖ろしかった。
「死なないで!! 鬼雨さん!!」
届かない手を懸命に伸ばし、あらん限りの声で叫んだ一拍後。
――任せろ。
「?!」
すぐ耳元でハッキリと鬼雨の声がした。
ハッと息を飲み、閉じた瞼を押し上げて顔を上げれば、ハスズは見た。
「え?」「は?」「なっ」
妙に間の抜けた声を上げ、突如態勢を崩す手下たちの姿を。
一拍後。聞いた者の怖気を呼び起こすような悲鳴が唱和した。
言葉にもならない獣の叫び声を上げ、手下たちが畳の上を転げ回る。
その度にボタボタと紅の飛沫が飛び散った。
まるで幾重にも折り重なりあっていた花が開くが如く、無事だった手下たちが背後に退き、その間を脛から先を失った手下たちが転げ回り、その中心に、ゆらりと立ち上がるモノがいた。
阿鼻叫喚の悲鳴と鉄錆びの臭いが漂う真っ只中。
頭に巻いた布が取れ、長めの髪が顔を隠し、ぬらぬらと光る五指の鉤爪を備えた両手をだらりと下げた怪鳥――《渡り鳥》の鬼雨、その人が。
体を起こすことが出来なかった。
手下の怒りに任せた蹴りを躱すことが出来なかった。
取り囲まれ、なされるがままに痛めつけられていた。
絶体絶命だと思っていた。それが。
ギッと上げられた顔。長めの前髪の間から覗く鋭い眼光がしっかりとハスズの眼を貫いて。
「俺の仕事は、終わっていない」
低く唸ると、飛び出した。
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