(4)

 そこでハスズを待ち受けていたのは更なる悪夢だった。

 見るからに遊郭然とした建物たち。見た瞬間に娘たちは理解した。自分がこの先どんな目に遭わせられるか。

娘たちは泣き叫んだ。ハスズのことを罵った。鬼の形相で罵り呪いの言葉を吐き出した。

科之はそんなハスズを庇い、娘たちに言った。

『早とちりはいけないよ。確かにこの村は君たちの想像通りのことを生業としているけどね、何もいきなり君たちを『商品』にするつもりはないよ。そうだね、『商品』にするのは罪を働いた者や反抗的な態度を繰り返した者たちだね。後は……『商品』が欠けたときかな。だから安心してもらって構わないよ。良い子にしている限り『商品』にはしないから。それは約束できる。じゃあ、どうして君たちを連れて来たのか……』


『あの人は、私たちに雑用をさせました。『商品』と呼ばれている人たちの世話をさせたんです』


『村』には既に『商品』がいた。ハスズと同じような流れで科之を受け入れ、連れ去られて来た娘たちが。

 そして、ハスズは一人だけ別な仕事を与えられた。勧誘と言う名の人攫いの片棒を担ぐ仕事を。

『男の自分より、君のような女の子の方が村人たちも警戒しないで受け入れてくれるだろうからね。と言うか、人員を割き過ぎてね、これ以上人を割けないんだ。だから少ない労力で『商品』を調達しなければならなくなったんだ。そこで君だよ。君にはね、ちょっと他の村の中に入り込んで、年頃の娘たちを唆して村の外へ連れ出して欲しいんだ。そうすれば後は私の仲間がこの『村』まで連れて来る。ああ、分かっていると思うけど、君には拒否権はないからね。だって君は断らないだろ? 断ると村の仲間が『商品』になるだけだから』

 笑顔で刺される釘がハスズを貫いた。返事など出来なかった。出来るわけがなかった。

 断れば生まれたときから付き合いのある仲間たちを裏切ることになる。だが、引き受ければ見ず知らずの娘たちが自分たちの身代わりにされるのだ。

 その葛藤を見ながら、殊更優しく科之は告げた。『期待しているよ』と。

 結果、ハスズは従わざるをえなかった。心の底から謝り、どうしてと泣きじゃくる声や騙したのかと罵る声を耳を塞いで遮りながら、ハスズは死を望むほどに苦しんだ。

 だが、死ぬことすら許されなかった。全てを見透かしている科之は、ハスズが死んだら娘たちを全員『商品』にするし、親たちも手に掛けると逃げ道を潰した。

 その上でハスズだけは部屋を与えられ、綺麗な着物を与えられ、化粧も施して貰えた。汚れ仕事は一つもしない。水仕事も、世話係も何一つしない。食事も他の娘と違うものを与えられ、寒ければいくらでも火鉢を与えられた。

 それだけの差を見せつけられれば、他の娘たちのハスズに対する憎しみは簡単に殺意へと変換されていた。お陰でハスズは誰にも泣き付くことも相談することも出来なかった。仲間から向けられる罵詈雑言を甘んじて受け止めることしか出来なかった。

 そうやって耐えながら自らの手を汚し続けるハスズに、ある時科之は言った。酷く同情めいた顔で、労りの籠った声で。

『君は本当に良くやってくれているよ。今までの子はすぐに根を上げて、仲間を裏切って逆上したよ。皆のために手を汚していると言うのに、何も知らない仲間から疎まれて責められて、耐え切れずに仲間を見捨てて逃げ出した。でもお前は違う。この一年ずっと見捨てずにやって来た。私はね、君のような子が大好きだよ。だからね、これからも頑張っておくれ。君が私の許へ必ず帰って来る限り、君の仲間は誰一人も『商品』にしたりしないよ』

 こうしてハスズは仲間と家族、二重の人質を守るために『商品』補充の片棒を担がされ続けた。

 鬼雨が古寺に乗り込んで来たのは、そんな仕事の途中の事だった。村の娘ともども攫われた設定で、夜中のうちに連れて来られた古寺の奥座敷。不安と恐怖に疲れて眠っている娘たちを泣きたい気持ちで見守っている最中、ハスズは本堂の騒ぎに気が付いた。

 何かが起こった。本堂から離れたこの場所にまで聞こえて来る山賊たちの怒号。

きっとどこかの村が役人に伝え、ようやく役人が重い腰を上げたのだと思ったとき、ハスズは喜びよりも前に、いっそのこと自分もろとも皆、殺されてしまえばいいのにと願っていた。

 実際は役人でも何でもない鬼雨が、たった一人で山賊たちを亡き者にしていたのだが、相手は誰でも良かった。自分を楽にしてくれるならば誰でも良かった。ただ自分が帰らなければ仲間たちの安全を保障する約束が消え失せる。

 だから救いを与えてくれる手を取れなかった。一方で、蜘蛛の糸のように細い細い希望の光を見たような気がした。赤の他人だったからこそ、生きたいかと訊ねられたからこそ、縋りたいと思ってしまった。話を聞いて欲しいと思った。思ったが、鬼雨の存在は既に科之の知るところとなっていると気が付いた後は、ただひたすら巻き込むまいと思っていた。

 縋りたいが縋れない。追いやりたいが追いやれない。結果ハスズは、科之によって鬼雨の殺害命令を与えられたのだった。



「ようはあれだね。ほんの少しの出来心……それも、善意から来る出来心で行ったことが後の悲劇に繋がった。結果周囲から責められて、居場所を無くし、人としての幸せを奪われた。内容は全く同じとは言えないけれど、どっかの誰かと似ているねぇ~。自由を奪われて捕らわれて、檻を抜け出す手段を失って。それでも檻の外が見えるからついつい自由を望んで夢見て打ちのめされて。だからかね――あの子がハスズちゃんに執着したのは」

 宵は見る。また一つ煌びやかな光を宿したまま崩れ落ちる遊郭を。

「さもなければ、出会って早々『生きたいか?』なんて選択肢突き付けない……。きっと本人は否定するだろうけど、あの子だって馬鹿じゃない。他人と関わり合いなど持つつもりはないとは言ってるけど、ハスズちゃんの様子を見ていれば察しは付いたはず。と言うか、あんな露骨に苦しんでるハスズちゃんを見て本心に気付かない人間もいないだろうしね。

 あの子はハスズちゃんを救うことで自分を救おうとしているんだろうね」

 そこかしこで悲鳴が上がる。建物が崩れる。火の手が上がる。座敷で灯していた火が引火したのだと言うことは明白だった。

「でも素直にそうは言えなかった。良かれと思って行動しても、必ずしも相手のためになるとは限らないから。だからあの子はいつも訊ねる」


 ――それは、本心か?


「それによって紡がれた願いが自分の想像と合致したとき、あの子は普段以上の力を発揮する」

 倒れ掛ける館から五本の鋭い鉤爪を装着した鬼雨が飛び出して、通りを挟んで建つ館に入り込む。

 通りの左右に灯る浄化の炎。闇夜を照らし赤く染め、『汝も踊れや』と手を伸ばす。一つ二つ三つに四つと誘いの言葉を受けたなら、『我も倣おう』と炎を纏う。身を焦がし、炎の袖を振り回し、『我を見よ』と火の手を上げる。天に届けと炎を上げる。

 人々は逃げ惑う。我先にと逃げ惑う。『村』の外を目指して一目散に駆けて来る。袢纏を来た男たちが『商品』を逃がすまいと手を広げるが、到底捕まえられるものではなかった。混乱に乗じた娘たちの眼には、見張りのいない村の出口が両手を広げているのが見えているのだ。立ち止まる者は一人もいなかった。それまでならば絶対にしなかっただろう。髪も着物も振り乱し、自らを掴む手に噛み付いてでも逃げ出した。

「何で見張りがいないんだ!」

「女どもを逃がすな!」

「何が起きてる?!」

「火を消せ!」

 悲鳴と怒号と大声が混じり合い、劫火の炎が地を舐め、建物が崩れ落ちては火の粉が舞う。

 その中を、鬼雨は駆る。地に下り立ち駆け抜ける。袢纏を纏う男たちの間をすり抜け五本の白刃を閃かせ、紅の飛沫を撒き散らせて地に落とす。

 逃げ惑う人々の間を風のようにすり抜け、次なる獲物の懐へ。

 二階から袢纏を纏った男が落ちて来る。『村』は混乱に飲み込まれていた。まだ火の手が上がっていない建物にいた人々も、『村』の異変に気が付いて我先にと逃げ出し始める。

 一つまた一つと、ハスズたちを閉じ込めていた籠が壊れ崩れて行く。

 一人また一人と、ハスズたちを苦しめていた人々が吐き出されて行く。

 天を焦がす大火が、風に導かれて『村』の奥へと運ばれる。炎が躍る。競い合う。どこまでも高く、どこまでも遠くに。

 それを見て、それを聞いて、宵は笑う。眼を細めて満足げに笑う。

「戸惑ってる戸惑ってる。それはそうだろうね。本来指示を出す『人間』が、この状況にまだ気が付いていないんだからね。気付かれたら娘たちが自分の足で逃げられないからねぇ」

 そもそも、この楼閣そのものがもう火の手に包まれているように見えているだろうから、わざわざ館の中に入って『お頭』捜す手下もいないだろうし……とほくそ笑む。ただ、勢いよく倒れて行く館を見て、この調子だと半刻と経たず本当に『村』中の遊郭を倒壊しかねない鬼雨を見て、

「……破壊の限りを尽くすのはいいけどね、あの勢いで建物を壊して行って、中の女の子たち大丈夫なんだろうね……」

 一抹の不安が過ぎった。

 非常にマズイ気がすると思ってしまった。

 ハスズの願いを思い出し、一字一句を思い出し、宵は冷や汗を掻かずにはいられなかった。

 ハスズは言った。


 ――この『村』を山賊ごと『滅ぼして下さい』と。

 ――私たちをこの『村』から『解放して下さい』と。


 鬼雨はそれを引き受けた。

 しかしその文言の中には、『連れて来られた皆を無事に助け出して下さい』とは入っていない。

「……これは……非常ぉぉぉに、まずい気がするよ」

 それまで楽しげに見ていた宵だったが、気が付いてしまえば頬が引き攣った。

 普通に考えれば、ハスズの願いを叶える=『村』を滅ぼし山賊を狩り、連れて来られた娘たちを『無事に』救い出す――と言う流れになるはずだが、

「あの子に関して言えば『村』を山賊ごと滅ぼせば女の子たちを解放することになるって考えてるに違いない。となると、逃げ遅れた子は助からない」

 導き出した可能性に、堪らず宵は頭を押さえた。

「……本当にあの子は物事を深く考えないと言うか、言われた言葉に忠実と言うか……。これじゃあハスズちゃんも気が気じゃないだろうに……。仕方ない。ここは一つ少しばかり手を貸してやろう」

 宵は軽く頭を振ると、懐から再び一枚の人形代を取り出して空中へ弾き飛ばした。

 人形代は宵の目線より高い位置で停止すると、命令を待つ犬のように頭の部分を少し倒し、

「ワタシが向かうまで、生きているすべての女の子たちを炎から守りなさい」

 主からの命令を受けた瞬間、その躰を震わせた。

 ぶるぶる、ぶるぶると震えていると、その躰は二つに増えて。更にそれが四つに増えて。更にそれが八つに、十六に三十六にと倍々に増えて行き宵の視界を埋め尽くすと、

「さあ、行きなさい」

 宵の号令のもと、一斉に飛び出した。

 ざあっと羽虫の飛び行く音共に、炎が群れ踊る地上へと、季節外れの雪が降る。

「はてさて。まだ生きていてくれるといいんだけれど……」

 と、悩ましげに眉をひそめたときだった。

「ハスズ!」

「っひ」

 鋭い男の声と息を飲んだ少女の悲鳴が耳朶を打つ。

 それが一体何を意味しているものか。

 宵はすぐに察し、額に手を当て溜め息一つ。

「くれぐれもと忠告をしたはずなんだけどねぇ。まぁ、このありさまを見れば大人しく見ていることなど出来なかったんだろうけれど。どこまでも気のいい娘だねぇ」

 くすりと笑い、宵は地獄絵図と化した地上を見下ろして屋根の上に立ち上がった。


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