(3)


『本当に、あの人だけで大丈夫なんですか?』


 満天の星空の下、村の入り口に構えている楼閣の屋根の上から『村』を見下ろしていた宵は、不安そうに問い掛けて来るハスズの顔を思い出しながら冷笑を浮かべていた。

 既に『村』は大混乱を来していた。仮面を付けた男たちが慌てふためいて逃げ惑う。半裸の姿で逃げ惑う。顔を隠さず逃げ惑う。我先にと逃げ惑い、遅れて夜の蝶が吐き出されて来る。

 そして、また一つ建物が倒壊する。ハスズの心からの願いを聞き入れた鬼雨が暴れ回っている所為だった。

「……まるで水を得た魚のようじゃないか。これを見ればあの子も自分の危惧が取り越し苦労だったと気付くだろうね」

 自分が腰を下ろす屋根の下。宵の術によって部屋に保護されているハスズの反応を想像して苦笑が浮かぶ。

「本当に、あの子たちはどこか似ているよね」

 夜道に逃げ出して来た娘たちに向かって小さな人型の紙を放り投げながら呟く。

 人形代と呼ばれる紙はひらりひらりと舞い落ちながらも、身を寄せ合って何が起きているのかと戸惑い混乱している娘たちの背中にしっかりと張り付いた。

「鬼雨もそうだけど、『助けて下さい!』って言った後に、自分の行動は見張られているから……って今更のように蒼褪めるんだからね。それを言うならワタシが現れた時点で部屋の外で見張っていた人はどうなったのかと疑問に思ってもいいようなものなのに。指摘されて初めて気が付いたような顔するんだから可愛いものだよ」

 だが、ハスズが置かれていた状況は決して笑えるものではなかった。

 ハスズは語った。ハスズを見張っていた男が意識を手放し、縄で縛り上げられて猿ぐつわをされている様を見た後、鬼雨が部屋の窓から飛び出して行った後、宵に促されて堰を切ったかのように語り出した。



 科之がハスズの暮らす村に現れたのは今から一年半ほど前の事だった。

 ふと気が付くと、村の入り口に旅姿の男が蹲っていた。夕暮れ時だった。畑から家に戻る途中ハスズは見付けた。家に帰る途中不意に足を止めたハスズに、村の娘たちもどうしたのかと声を掛け、村の外で蹲っている男の存在に気が付いた。

 村は、よそ者が立ち入ることを酷く嫌がっていた。昔々、病に侵されていた旅人をそうとは知らずに招き入れ、乞われて一晩泊めたとき、旅人が死んで病が流行り、村の半分の人間が命を失った過去があったためだ。

 その話を聞かされ続けて来た村人たちは、よそ者は良からぬものを持って来ると警戒していた。元々村に旅人が立ち寄ることがなかったことも、旅人を忌避する原因だったかもしれないが、そのときも村の娘たちは心配するより迷惑そうだった。ただ、その中でハスズだけは違った。旅の途中で具合が悪くなったのだと心配したのだ。

 困っているかもしれないからと、男の許へ行こうとするハスズを村の娘たちは止めた。しかし、とうとう男が地面に倒れてしまえば、ハスズは制止の声を振り切って駆け寄っていた。

 大丈夫ですか? と声を掛けるとハスズは見た。蒼褪めた顔でありながら、魅惑的な微笑を浮かべる科之を。


『一目惚れかな?』と宵が訊ねれば、ハスズは悲しげな微笑みを一瞬浮かべた後、『馬鹿でした』と自嘲した。


 ハスズは何とか一晩だけでも泊めてやれないかと父親に頼んだ。父親は村長を継いでいた。村の人間たちは難色を示した。よって、父親の平蔵も難色を示した。

 それは苦しんでいる人間を見捨てると言うことだった。それも、実際に苦しんでいる人間の前での宣言に、ハスズは酷い裏切りを見たような気がした。

 自分以外に苦しむ人間を助けてやろうとする気持ちの人間がいないことに愕然とした。

 悲しさのあまり涙が滲むと、科之は苦しそうな息の下、微笑みを浮かべて『構わない』と呟いた。自分のせいで争う必要はないと。一晩ここで休ませてくれればそれでいいと。

 苦しむ人間に気を遣われ、ハスズは生まれて初めて抗議した。父親の決断に逆らった。村人たちを説得した。

 結果、村は科之を受け入れることとなった。

 翌日、すっかり回復した科之は気前よく滞在費と称して破格の金を平蔵へ支払った。その金額に眼を剥いた平蔵は受け取りを辞退したが、科之はそれだけの価値があると無理矢理置いて村を出て行った。見送る一人一人に心からの感謝の言葉を送り村を出て行けば、その微笑みに村の女たちは溜め息を吐き、もっといればいいのにとさえ口にした。

 現金なものだとハスズは思った。それから数日経った頃、再び科之がやって来た。

 ハスズは喜び、村人たちは両手を上げて迎え入れた。仕事の用事の途中で立ち寄ったと言う言葉を誰も疑わなかった。女たちは科之と近づきになるために。大人たちは破格の礼金を期待して。

 その日の夜は盛大な歓迎会を行った。贅沢にも酒を飲み、料理を振る舞い、誰もが浮かれて楽しんだ。

そこに、奴らはやって来た。開け放たれていた庭先から無遠慮に雪崩れ込んで来たのは山賊たち。

 楽しかった雰囲気も、浮かれた気持ちも、酔いも全てが吹き飛んだ。

 刃物をチラつかせて座敷の奥に寄せ集められる。科之ごと寄せ集められ、村長である平蔵が勇敢にも口を開いた。

『金なら払えるだけ払う。だから村の者には手を出さないでくれ』

 しかし、山賊たちは笑うだけで応えなかった。応えたのは巻き添えを食ったはずの科之。

『欲しいのは、娘たちです』

 誰もが科之を見た。科之は美しくも冷たい笑みを浮かべ、村人たちに背を向けて歩き出すと山賊の前で踵を返し、満面の笑みを湛えて言ったのだ。

『聞こえませんでしたか? 私たちは皆さんの娘さんたちを雇いに来たのです』

 誰もが科之の言葉を理解することが出来なかった。

『いえねぇ。私どもはちょっとした商売を営んでいるのですが、生憎と働き手が少なくて、人員補充を余儀なくされておりまして、どこかに良い働き手がいないものかと方々の村々を回っていたのですが、これがまた見事に拒まれ続けまして。最近ではこの村だけだったんですよ、私を受け入れてくれたのは』

『え?』と思わずハスズの声が漏れていた。

 科之はそんなハスズに飛び切りの親しみを込めた笑みを向け、

『そう。あなたですよ。あなたが私を受け入れてくれた。お陰で私はこの村に入ることが出来たのです。私はですね、決めていたんですよ。弱った私を受け入れてくれた村の娘を連れて行こうと』

 捕らわれた村人たちの視線が一度に突き刺さった瞬間だった。

 ハスズは震えていた。理解していた。この状況が自分の招いたことだと。

『勿論、大人しく差し出して下さるのであれば手荒なことは致しません。きちんと報酬も支払わせていただきます。ですが、もしも拒めば……後悔することになるでしょう。では、ご理解いただけたところで――やれ』

 科之が顎を上げて指示を出し、山賊の一人が笛を吹いた。村中に山賊は入り込んでいたのだろう。あちこちから悲鳴や怒号が上がった。当然のことながら、ハスズの目の前でも。

 娘を連れて行かせまいとした父親が腕を刺された。室内は恐慌状態に陥った。

『大切な親を傷付けられたくなければ大人しく付いておいで。逆らえば逆らうほど、生き残る可能性は減ってしまうよ』

 泣き叫んでいた娘たちが叫ぶことを止めた。

 それでも抵抗を試みる親がいれば、既に山賊の手に落ちた娘の喉元に刃を突き付けて、

『どうしてもと抵抗するなら、とりあえずこの娘を手に掛けるけど、いいかな?』

『やめろ!』

 人質に取られた娘の父親が悲鳴を上げる。

『だったら、その煩い男を押さえておいてくれるかな。勿論、他人の娘の命なんてどうでもいいと言うのなら、いくらでも抵抗してくれても構わないよ?』

 実に愉快そうに科之は煽った。

『ああ、そうだ。君たちにも条件を付けようか? 君たちが私に逆らったり抵抗したときは、村の誰かを手に掛けよう。それがどう言う意味か分かるかい? 私の仲間がこの村に居座り、君たちの動向次第では制裁を行うと言うことだよ。つまり、君たちが私の言うことをよく聞いてさえくれれば、君たちの家族には指一本触れさせないと約束しよう。それどころかこの村を他の山賊や無理な取り立てをしに来る役人から守ってあげるよ。野良仕事で人手が足りないときは手伝わせるし……ああ。こいつらは元農民の出の者も多いんだ。だからね、君たちが言うことを聞いてくれる限り村は安泰だし、あなたたちがおかしな真似をしない限り、娘さんたちを大切に扱うと約束するよ』――と締めくくった。

 逆らえるわけがなかった。誰もが誰も、誰かの人質となったのだ。人々は怒りと憎しみの籠った眼差しをハスズに向けた。全てお前が招いたことだと無言で責め立てた。

 ハスズはいまだかつてないほどの憎しみを向けられて慄いた。足が竦むほどに恐ろしかった。 

 堪らずハスズは父親に無言で救いを求めたが、父である平蔵は実に複雑な表情でハスズを見返した。あたかもそれは怒りや心配などあらゆる感情が順番に押し寄せては消えて行くようなものだった。

『当然、君のことは一番大切にするよ』

 科之自身の手で引き寄せられたハスズを引き留める人間は一人もいなかった。同時に、助けを求めることも出来なかった。出来るわけがなかった。この事態は誰でもない、ハスズの我が侭が招いたことだったのだから。

 たとえそれが人助けと言う名の善意だったとしても、村の人々の反対を押し切って災厄を招いたのはハスズ。

 こうしてハスズは村の娘たちと共に、科之たち山賊が営む隠し村へと連れ去られた。

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