第三章 老女を巡る人々(1)

「どういう話だったの?」

母が訝しげに聞く。二日続けて通って来た刑事のことを言っているのだ。

二人の刑事は母には特に何も聞かず、娘さんにお話を伺う事はできますか、とだけ言ったらしい。田舎の人間は「交番のお巡りさん」には柔和だが「刑事」になった途端毛嫌いする傾向にある。年配の連中がよく言うのは「ヤクザと刑事は紙一重」と言う言葉だ。異端者を相手に出来るのもまた異端者だけである、と言う意味である。

私は刑事に聞かれたことをそのまま母に伝えた。

「ミツノさんの家の周りをウロついてた人のことを聞かれたわ。いつ頃からこの辺りで見るようになったのかとか、どこに住んでるのか知っているかとか」

私はまたあの写真を思い出してゾッとする。

何度か親族の葬式にも出席したが、棺に収められたその面立ちは精巧に作られた人形のように思えた。魂さえ戻せばすぐにでも息を吹き返しそうに見えることが殆どだった。

しかしあの写真の熊凝は完全に世界から断絶されていた。「殺した側」の人間の怨嗟が彼の人生そのものを否定してしまったのだ。二度とこちらには戻って来れないように。

母は溜息を吐き、「こんな田舎に刑事が来るようなことが起こるなんて・・・・」と呟いた。「テレビの向こうのことだと思ってたのに」

確かに私の記憶の中にもこの地区に警察や刑事が来て聞き込みをするような事件があった記憶がない。平穏というよりは騒ぎを起こせばすぐ噂になるので(下着泥棒や万引きが見つかれば向こう数十年は言われ続けることになる)、住処を追われたくなければ大人しくしているしかないのだ。

「あの男の人が殺されてしまったのは本当にびっくりしたけど、あんな空き家に住もうとしていたことも驚きだわ」

私がそう言うと母は「手を入れて住むには不便すぎるわね。おそらく畳も腐ってるだろうし、きっと白蟻の巣だらけよ」と呆れたように続ける。「お風呂もないしトイレは汲み取りだし」

今まで考えたことも無かったが、あの家に住んでいた老女が私の実の祖母なら母も父も何かしら付き合いがあったはずだ。もしかして、と私は母に訊く。

「あまり気にしてなかったんだけど、ミツノさんとは行き来があったの?私、あそこの息子さん(私の実父だ)のことも全然知らないんだけど。今は岡山県に住んでるって言ってたよね?」

一気にまくし立てる私に母は重い口を開いた。

「・・・・時々あなたの様子を聞きに来てたわ。何か困ったことがないか、我儘を言ってないか、ってね。あなたが眠った後にお風呂を借りに来る時もあった。いつ頃からか来なくなったけど。ヨシキさんは高校を卒業してすぐ岡山へ行ったわ。多分そこであなたの母親と知り合ったのね」

やはりそうだった。私が彼女に興味がなかったから気付かなかっただけで、両親は隠していたのだ。私と老女の関係を。

「私がこの家に引き取られた理由は何?母親が死んだとか?」

私の疑問を聞いて母は驚いたように言葉を続けた。

「物騒なことを言わないでちょうだい。あなたの母親はヨシキさんと離婚して実家に帰ったのよ」

「なんで離婚したの?」

私が次々と質問を浴びせると、母は困ったように顔を曇らせた。

「・・・・そこまでは知らないわ。ミツノさんも何も言わなかったから」

離婚、と聞いてふと思い出したことがあった。

私が小さい頃にあの家に通って来ていた男性。いつも目深にキャップを被った恰幅の良い年配の男性。一度だけお菓子をもらった記憶がある。子供の記憶だからどれくらいの頻度で通っていたのかは定かでないが。

そのことを母に聞くと、案外すんなり答えてくれた。

「ああ、あの人はミツノさんが昔働いていた会社の社長さんよ。もう亡くなられたから構わないと思うけど、ミツノさんを気に入って定年してからも時々遊びに来てたのよ」

・・・・ね。今になって思えば下衆な勘繰りをしてしまうけれど、それを母に聞くのは躊躇われた。どうやらヨシキという私の実父に会って直接聞いた方が早そうだ。

美憶みお・・・お願いだから警察のご厄介になるようなことは止めるのよ?そんなことになったらここには住めなくなるわ」

何故田舎の年配者はこういう思考回路の人間が多いんだろう。

都会へ行けば「田舎者は騙される」と思い、外国へ行けば「銃で撃ち殺される」と思っている。刑事が聞き込みにくれば私はもう事件の関係者だと思っているに違いない。

「警察の厄介になるようなことはしないけど、ヨシキさんに会うくらいはいいよね?どんな人なのか知りたいし」

それを聞いて母は私が事件には興味がないと思ったらしい。どう考えても一度会っただけの知らない人がどこで殺されようが真相解明に乗り出すような人はいない。自分が犯人として疑われているなら話は別だが。

「・・・・分かったわ。明日、ヨシキさんに連絡してみるから。そのかわり向こうが嫌だと言ったら諦めてちょうだい」

奇妙な交換条件もあるものだ。自分の娘に会いたくないと思うような男なのか、と思うと腹が立ったが母もまだ何かを隠している。

そんな気がしていた。

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家にまつわる奇妙な話 睡雅 @Alexandria

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