第19話 エピローグ



▼桑原香織のレポート



あの「緑の聖夜」から、一年がたった……はずだ。


今となっては、日付を確認することは簡単なことでなくなったのだけれど、おそらく間違ってはいないと思う。


得たものと失われたものを比較することはできないけれど、少なくともまだ私――そして信一郎は生きている。島田君は、ずいぶん前に実家に戻ってみると言って出ていった。無事でいてくれると良いのだけれど……


今の私たちにできることは、もう多くはない。でも、もしかすると、将来――遠い未来かもしれないけれど――私たちが残そうとしている記録を必要とする日が訪れるかもしれない。


だから……一年前の聖夜の日に何が起きたのか(過去)、現在の世界がどうなったのか(現在)、そして、将来に希望があるのか(未来)を書き残しておきたいと思う。



最初は「過去の話」から……



あの日に何が起きたのかについてだけれど……あの時、私はオリビアさんの方で監視しているデータを、リアルタイムで共有してもらっていた。


グラフィックを使って表示された磁気圏やヴァン・アレン帯の変化の経緯は分かりやすく、何が起きたのかは見ているだけだったけれど、おおよそ把握ができていた。あの後、信一郎と、何度もこのことについて話をしたけれど、私たちの結論に大きな誤りはないはずだ。


まず、起きたこと。


植物が作り出していた巨大な磁気のかたまりが地球磁気圏に干渉することで、ヴァン・アレン帯が消失の危機を迎えた。次に、ポールシフトが発生して地球磁気圏は、ほぼ消失する状況になった。この段階で、モニターを見ていた私たちは、ヴァン・アレン帯、地球磁気圏ともに失われつつある姿に、「地球の終わり」を覚悟した。


でも、地球が終わりを迎えることはなかった。


なぜなら……


植物はヴァン・アレン帯を消失するために磁気を作り出していたのではなかった。ポールシフトにより失われる「地球磁気圏」を代用するための磁気を自分たちで作り出していたのだと思う。


さらに、その維持された磁気圏内で、一度は大きく変形して失われつつあったヴァン・アレン帯も生き残ることができた。結果的に、地球磁気圏もヴァン・アレン帯も、元の形は維持できなかったけれど、その「機能」を失うことはなかった。そして、それを成したのが「植物」だった、ということだ。


これが、あの日起きた真相だと思う。


この、植物が維持している地球磁気圏――いや、植物磁気圏の方がしっくりくるかもしれない――は、おそらくポールシフトによる磁極の移動が安定、再び地球の地磁気が復活するまで続くと考えている。


なぜ、そう考えるのか?


それは、地球の磁気圏を失わないようにすることこそが、植物が望んだことだと思っているから。


植物は、人類を滅ぼしたかったのではなかった。そして人類を助けようとしたのでもなかった。人類が助けられたのはたまたま。植物は、ヒト種を特別視してはいなかった。


植物が行いたかったのは――おそらくだけれど、地球上の生命体の「保存」ではないだろうか?


ポールシフトによる地球磁気圏、そしてヴァン・アレン帯の消失によって、地球上の生命体が失われること、これを避けたかったのだと思っている。


植物は「神」の代行者ではない。でも、「個」としての植物ではなく「全」としての広義の植物種光合成を行う生命体は、もともと地球上の生命体を、食物連鎖のピラミッドの底辺で支えてきた、いわば「地球の生命体の奉仕者」だ。


何も、植物が崇高すうこうな使命の下に、地球磁気圏の代わりとなる磁気圏を形成したのではない。単に「種」としての植物が持つ本能の部分で、地球上の生命体を維持生命体の保存しようとしたのではないだろうか?


おそらく人類は、偶然・・その「生命体」の一つに含まれていただけに過ぎない。


今回、まず植物が行ったのは、生成している有機化合物を変えることだった。今になって考えてみれば、植物の「最終目的」が有機磁性体の生成にあったことは確かなはずだ。


おそらくだけれど、アルカロイドの生成は、本来、生成できるはずがないと思われていた有機磁性体の生成に至るために必要な過程ステップだったのではないだろうか?。そして、そのテスト試作は一年前から始まっていたのだと思う。


そう、カナダで起きた渡り鳥の異常行動。あれこそが、全ての「始まり」だったように思えてならない。


植物が、どうやってポールシフトを感知できたのかは分からない。けれど、ポールシフトが起きること、地上の生命体が全滅する危険に晒されてさらされていることを知り・・、「対策」を始めたのではないだろうか?それは、植物の「個」の意識ではなく「全」の意識として……


そして植物は、結果的に・・・・人類を救ってくれた。


でも、大きな……とても大きな代償がそこにはあった。



それは――人類が「電気」を失ったこと。



正しく言えば、「電気」自体が失われたわけではない。


雷は普通に発生しているし、生体内の微弱電流も失われていない。人は細胞内に静止電位を持っている。もし「電気」がこの世界から完全に失われたならば、シナプスニューロンの接合部も働かなくなることを意味するから、今の生体の仕組みでは、心臓も動かせないし、脳の活動も停止する。したがって、生体活動は維持できなくなる。


だから「電気」は世界から失われていない。失われたのは、「電気が流れること」だ。それも、極端に微弱か強いか両極端な部分を除いて、一定の強さの電気の流れのみが失われたようだ。


磁気と電気は密接な関係にある。


地球の内部、外核部分から作られる地磁気は、ほとんど失われた状態になった。そして植物が創り出している「地磁気」だけで、地球磁気圏が維持されている中で、磁場を作り出す「元」=「植物」が地球上に分散していることは、安定した磁力の方向性が統一されている、という部分が喪失した状態だ。


実際、今、コンパスカード方位磁針は、ゆっくりと動き続けて、北や南を静止した状態で指し示すことはない。


昔から、磁場が安定しない地域で方位磁石がでたらめな動きをする、という現象は起きていたが、今は世界中の全てがその状態になっている……と思う。


少なくとも、ここ一年で私たちが訪れた場所は、どこも同じ状況が見られた。


地球磁気圏は維持されているようだけれど、地表での磁場は乱れている。そしてこの乱れが、電気の流れを阻害していることに関係していると考えている。


私も信一郎も電気の専門家ではないから詳しいことは分からなかったが、アナログの検査機器を探しに大学に行ったとき、電気に詳しい知り合いに会ったので、今回のことを尋ねてみる機会があった。


そして今、地球に起きていることを説明した上で、意見を求めてみた。


彼は何度も、そんな現象が起きることは信じられないと言っていたが……もし無理やり理屈を考えるとすれば、地表に「永久磁石」となった植物が無数に点在して、さらに磁場の方向を一定に保っていない場合、その影響を受けて電気が流れなくなっている可能性は否定できない、という話だった。


中学生の理科の実験で行われることがある、磁石をコイルに入れたままでは電気が流れない誘導電流が発生しないという現象と似ているそうだ。


そして彼は、いろいろ電気について説明してくれた。


電流とは、マイナスの電荷を持つ電子が、原子の中からプラス極に引き寄せられて、飛び出し移動することで発生する。凧を用いた実験で雷が電気であることを明らかにしたのはアメリカのベンジャミン・フランクリンだが、当時、電流はプラスからマイナス方向に向かって流れている、と勘違いされていたそうだ……


そして「電磁誘導において、1つの回路に生じる誘導起電力の大きさはその回路を貫く磁界の変化の割合に比例する」という法則(電磁誘導の法則)を発見したファラデーは、時間的に変動する磁場に限り電流は発生し、永久磁石のような変動しない磁場では電流が発生しないことを発見した、という話も教えてくれた。


もっとも、彼の話を聞いても、どういった原理によって電流が失われたのか、それも一定範囲の強さの電流だけが選択的に失われたのがなぜなのかは、いまいち良く分からなかった。ただ、植物、という永久磁石が地表と海中、地球上のどこにでも存在している今、その「植物」が原因となったことは確かなのだと思う。



さて……どういった理屈があるにしろ、少なくとも電気を使う「機械」は、その全てが動かなくなった、という「事実」だけは覆らないくつがえらない


これは、コンセントで使用する電気製品だけではなく、バッテリーや電池で動く「機械」も同じだった。


「緑の聖夜の日」――日本では日付が変わっていたのだけれど――私たちが、USGSアメリカ地質調査所と共有していたデータを見ながら、地磁気が維持されている理由について議論を始めた時、「バチッ」という乾いた音とともに、パソコンのモニターも照明も全てが一度に突然消えた。


その時は、単なる停電だと思ったのだけれど、懐中電灯も使えず、照明代わりに使おうとしたスマホも電源が入らなかったとき、何かがおかしいと感じた。


おそらく、あの瞬間、世界中で同時に全ての電気製品が動かなくなったのだと思う。


言うまでもなく、私たちの生活は激変した。



ここからは、その激変した結果、私たちの生活がどうなったのか――「現在の話」をしたい。



まず、スマホも電話も通じなくなり、通信手段が全て失われ、外部からの情報は完全に遮断されることになった。さらに、車も飛行機も船も、電気で稼働する輸送手段は全てが失われた。


全世界の状態を把握できているわけではないけれど、ここ一年間、どこからも救援活動の手は届いていない。世界中が同じ状況に陥っているのは間違いないと思う。


生活していく中で最も大きな弊害は、インフラが失われたことだ。


田舎では、まだ代替え手段があったかもしれないけれど……都市部は悲惨な状況になった。水道、ガス、そして電気が失われた都会で、いったいどうやって生活していけるのか?


水道は――水道局のポンプは電気がなければ動かせないから、供給が絶たれた状態になった。当然、供給がないのだから、やがて水道は出なくなる。


井戸も、使えるのは手押しポンプのものだけ。都市部で手押しポンプの井戸など探す方が大変だろう。万一、見つかったとしても都市部全域の需要を満たすことなど望めるはずもない。


川や池の水も、そのままでは飲料用には使えない。個人レベルでいくら浄水や煮沸で処理しても、その分だけでは、同じく需要を満たすことはできない。もちろん給水車が来ることもない。


仕方なく人々は、身近で手に入るペットボトルの飲料水で凌いだしのいだわけだけれど、それも何か月も持つものではなかった。在庫限り。入手可能な範囲は、自動販売機を壊してでも手に入れていた人がいたが……それで維持できたのはわずかな間だけだっただろう。


ガスも同じだった。


都市ガスは、電気がないので供給元の製造所が稼働できない。LPガスはガスコンロで使う分には電気がなくても使えたが、いつまでも持たなかった。ガスボンベの交換が不可能だったからだ。通信手段が失われていたから、交換の業者に連絡することができない。仮に連絡できたとしても車が動かない以上、業者もボンベを持ってこれない。リヤカーなどで無理やり人力を使って運んだとしても、在庫がなくなれば終わりだ。LPガスの製造所も、電気がなければ動かせない。


携帯用のガスコンロも、すぐになくなったみたいだ。ホームセンターも、そんなに多くの在庫を持っていない。それで助かった人はわずかだし、助かった期間も長くはなかった。


電気については言うまでもないだろう。


パソコン、スマホ、タブレット、テレビ、冷蔵庫、エアコン、ヒーター、電子レンジ、トースター、照明等々、家の中の全ての家電製品が使えなくなった。特にちょうど冬を迎える時期だったため、暖房の手段が奪われたのは、多くの人にとって深刻だった。


ストーブを使用していた家も、新たな灯油を手に入れることができない。スタンドから給油する方法がなかったからだ。


上水道だけでなく、下水道も機能しなくなったのは、入浴が可能な環境にない大勢の人々の心を折っていた。


ゴミの回収車を動かすことができないから、当然だけれどゴミ収集が行われることがなかった。流せないトイレ、そして使用した簡易トイレも簡単に処分することもできない状況は、衛生面の悪化もそうだけれど、人々の精神に大きな傷を与えた。


処理できない汚物やゴミが家の中にたまる。車が通らなくなった道路で燃やす人もいたが、悪臭と煤煙が広がると、そうした人は自然といなくなった。燃えないゴミはどちらにしろ処分できない。身の回りの環境は悪化する一方になった。


そして、水もない、もちろんお湯もないから、入浴はもとより、体を拭くこともままならない。そんな中での生活を余儀なくされては、心が折れても仕方がなかった。


悲劇だったのは、誰も――個人だけでなく、行政も――こうした事態を救える行動が起こせなかった、ということだろう。


発生当初は政府も自治体も対策を行おうとしていた。職員の人たちが慌てずに待機しておくように各家庭を巡回していた。


しかし……主な連絡手段は、口頭に頼るしかなく、暗くなれば明かりがないので外に出られない。人々から食糧や水を求められても、それに対応することができない。医療や介護、行政に求められる需要に何一つ答えることができない。さらに、職員も住民と等しく「被災者」の立場だった。


やがて、一週間も経たないうちに職員の姿を見ることはなくなっていた。


これまで災害救助の際に活躍してきた自衛隊も一度も見かけることはなかった。活動するための隊員たちを支える補給線は、各部隊が備蓄していた分だけだ。おそらく10日も持たなかっただろう。車両が使えない以上、人力だけで補給線を恒久的に維持することなどできるはずがない。活動ができなかったことを責めることはできない。


そして、一年たった今、日本は事実上の無政府状態になっている。


おそらく日本だけでなく、元から電気を使うことなく自給自足をしていた未開の地に住む人々以外は、世界中の国のほとんどが同じ状況に陥っているはずだ。


直前まで続いてた植物のアルカロイド生成により、食糧事情が世界中で逼迫していたことが、問題を一気に深刻化させたことは確かだった。


北半球は、そこに「冬」という気象条件が加わった。もっとも南半球も冷房が一切使えない中で暑さの対策を行わなければならなくなったはずだから、北半球よりも条件が良かったとは思えないけれど……


「国家」を成り立たせるの基本は、領土と国民、そして「統治組織」が必要だ。その中で「統治組織」が機能しなくなった。統治組織は人が運用しなければ機能しない。機械に任せておくことなどできるはずがない。危機的状況の中、運用していくための「人」の生活が維持できない以上、統治組織が自然と機能しなくなったのは致し方がなかったのだと思う。


日本でも――地方の状況は分からないが――少なくとも東京で今、政府や自治体、公共の活動は一切行われていない。警察、消防、救急も全く機能していない。それらに連絡をとる手段がないし、連絡をとったとしても、動ける人がおらず、動くための車両もないのだから無理もない。


ちょうど真冬のころ、東京都の東部では、大火災が発生した。


どうやら冬の最中さなか、庭で焚火をして暖を取ろうとした家から延焼したらしい。もっとも、その話情報を聞けたのは、夏前になってからだったけれど……


火災が起きたのは、もともと住宅が密集する地域で、火災旋風のリスクも言われていた地域だった。当時、私の事務所からも遠くに、広範囲の空に黒い煙が一週間近く見えていた。消火活動ができない中で、被災した人たちがどうなったのか……大勢が亡くなったことだけは確かなようだ。


もっとも、こうした悲劇は日本中――いや、世界中で起こっていたはずだ。おそらく先進諸国の方が自活できる手段が少なく、また人口も多い分、混乱は大きかったはずだ。もちろん日本も混乱した国の一つに該当していた。


通信と運送が機能していないのも、致命的だった。


情報が伝わってこないから、自宅で待てばよいのか、助けを待てばよいのか、あるいは、どこかに避難しなければならないのかが分からない。


運送が機能していないから、食糧も日常生活品も店舗に新たに補給されることがない。店舗や自宅で備蓄している分を消化した後は、どこからそれを手に入れればよいのか、誰も分からない。


ちょうど冬を迎えた時だったから、「自然の恵み」は期待できない。田舎であっても保存食以外、食べ物の入手は困難だっただろう。都市部は言うまでもない。


そして、もともと、新種アルカロイドの影響で食糧は配給状態が続いていたわけだけれど、その配給すら行われなくなった。


なぜ配給が行われないのか、どこに行けば配給がまだ可能なのか、といった情報も伝わってこない。物もないし、情報もない。人々が集まって、食べ物をどうしようかと話し合いをしても、そこに何かの提案を出せる人はいなかった。


もちろん、中には食物を略奪しようとした不届き者もいたし、店舗が破壊されている光景も見た。でも、イナゴが大量発生して野を食い荒らした蝗害こうがいと同じで、新たな供給が見込めない以上、略奪できるものはすぐになくなり、そうした行為もやがて見ることはなくなった。


当初は、東京でも地域ごとの小規模のコミュニティーが存在していた時期もあった。私の事務所にも地域の自治会の役員の人から声がかかったことがある。でも、コミュニティーを支える根幹――食糧や水、生活インフラなどを、そのコミュニティーを指導する人たちが用意することはできなかったことで、コミュニティーに属する意義を人々が失っていった。私が知る全てのコミュニティーが今は自然消滅している。


もし、コミュニティーが存在するとすれば、ある程度自給自足が可能で、元々住民同士のつながりも維持できていた田舎や諸島ぐらいだろうけれど、人力でしか移動手段がない今、それを窺い知る術うかがいしるすべはない。


医療や介護もガタガタになっていた。


高度な医療機器は、電気がなければほとんどが使い物にならない。そして、医療を「運用」するためのソフト人員もそのスタッフが同じように被災していて集まらない。医療スタッフを確保できず、さらに備蓄した医療品がなくなった状態で、十分な医療活動が続けられなかったのも仕方がないことだった。水道だけでも使えれば、もう少し長い期間、維持できたのだろうけれど……春を迎える前に、知る限り、近場にある全ての医療機関が閉鎖していた。


手術も行えないし、入院を支えるスタッフもいない。車両が動かないので交通事故はなくなったけれど、代わりに救急車も出動できなくなっていた。慣れない生活で怪我する人は多かったし、公衆衛生が維持できなくなったことで冬の間は抑えられていた感染症や食中毒も、気温の上昇とともに、瞬く間に増加していった。


持病を抱えていた人は、さらに深刻な状況だった。


命をつなぐ医療を継続して受けられない。人工透析も受けられない。酸素吸入も受けられない。生命維持装置は使えない。AED自動体外式除細動器も動かせないから緊急時の蘇生もできない。症状を抑えるための医薬品も、すぐに底をついた。


治療を必要とする持病を抱える人は、決して少なくない数の人がいたけれど……医療を支えていくための「ハード医療機器や薬」も「ソフト医療従事者」も、何もないところで、それらの人々を支え切ることは不可能だった。


「医療」という「業務」は、死を迎えていた。ここ一年間で、「医療の死」を原因として、東京だけで数十万人が亡くなったはずだ。


さらに不幸だったのは、亡くなった人を火葬することができなかったことだ。埋葬するために必要な穴を掘る重機も動かないので、全てが人力に頼るしかなく、道端で亡くなった人を普通に目にするようになったとき、心が締め付けられるようだった。


それでも……どんなに嘆いても、誰も助けてはくれない。


運送、通信、生活インフラ、当たり前のように利用してきたものが――それらの生活基盤が、電気に支えられていた脆弱なものであったことを、私たちは知らなかった。いや、知識としては知っていたのだろうけど、電気が失われることが現実となることを誰も想像――想定していなかった。


おそらく、その電気が失われた生活とは、文明的に見れば、明治時代前半ぐらいの生活水準に戻っただけのはずだ。でも……その生活水準で生活を「続ける」ことは多くの人々ができなかった。


それは、技術的な面もそうだし、精神的な面も関係していた。


口にすることができそうな植物は、身の回りにあっても、それがアルカロイド生成の影響を受けていないかを調べる方法がなくなっていた。検査する手段の中には、電気を必要としないものも確かにあったが、試験できる資材の在庫がなくなれば終わりだった。それを補充する方法がない。さらに検査を行う技術者たちの生活を支えてくれるバック行政も機能していない。


何より、植物がアルカロイドの生成から有機磁性体の生成へと切り替えたことを知るのは、ごく一部の人たちだけだった。ほとんどの人たちは、植物がアルカロイドの生成をしなくなったことは聞いていても、それが恒久的なことかを確認する方法がなく、何より植物が食べられるようになった「理由有機磁性体に変化」を知ることはなかった。


私も最初のころは、近所で自然発生したコミュニティーの人たちに説明をして回ったが、ちょうど冬の時期で可食可能な野菜の露地栽培が難しいタイミングだったこともあって、その情報が役立つ機会はなかった。


なぜ機会がなかったのかというと、東京に住みながら冬を乗り越えられた人が少なかったからだ。水もない、食糧もない、暖も取れない、そんな生活環境に早々に見切りをつけざるを得なかったのは当然だったのだろう。


もっとも、人々が向かう先に、それらが揃っていることはなかったのだけれど……


東京から去った人々が戻ってくることはほとんどなく、それらの人々がどうなったのかは分からない。今年の冬は何度も大雪が、東京、おそらく関東地方――天気予報が機能していないのではっきりとは分からないのだけれど――を襲った。地方がどうだったのかを知ることはできないが、ごくたまに近くを訪れる人の話を聞くと、避難先を求めて田舎に向かった人たちの多くが、その雪の中で遭難したと聞いた。


何とか冬を乗り越えられた人も、その後、自然災害に巻き込まれたケースも良く耳にした。そうした自然の中での生活は、正しい「情報」があってこそ成り立つ。何年も異常気象の問題が言い続けられてきたが、その異常気象を誰も察知できなくなった。


天気予報をするためのハードも電気がなければ動かない。天気予報にかかせない気象衛星のデータも受信することはできない。何より、天気予報を伝える手段がない。


もっとも、気象衛星そのものが軌道上にあるのかは不明な状況だ。冬が終わる前に一度、少し離れた町に突然、上空から何かが落ちてきたが、後で伝わってきた話では、それは人工衛星が落下したものだった。何十人もの人が亡くなっと聞く。


現在の地球磁気圏が、最後に確認したレンズ状の状態のままならば、全ての衛星が、地上と同じく電気が使えない状況になっていただろう。当然、電気が使えない人工衛星は、全ての機能を失ったはずだ。簡単な軌道の修正もできないし、地上からのコントロールも受付けない。もっとも、地上から信号を送ることすらできなくなっていたわけだけれど……とにかく、軌道を維持し続けられた衛星があるとは考えづらかった。


天気予報の恩恵が受けられなければ、突然の台風、突然のゲリラ豪雨、そして突然の突風竜巻、全ての気象災害は予告なく人々を襲うこととなる。山崩れや高波も事前に察知できない。そうした影響を受けやすい海や山での生活は困難を極めただろう。そして、一度ひとたび自然災害に巻き込まれてしまえば、重機が使えない今、助けられる命は少なった。


さらに、もう一つ深刻な情報を伝え聞いたのだけれど――原発が爆発したようだ。


考えてみれば、電気が使えないということは、原子炉の冷却ができないことになる。制御棒の出し入れも、ほとんどの冷却装置も電気で動かしている。


全電源喪失時の最終手段として、燃料の崩壊熱による蒸気を使って、蒸気で動くタービン動補助給水ポンプに頼る方法があると聞いたが、一時的な冷却手段だ。それだけで恒久的に原子炉を冷やし続けることはできず、時間稼ぎはできても、一時しのぎに過ぎなかったようだ。


これは日本に限ったことではなく、燃料棒が抜かれて停止中だった原発を除いて、世界中の原発が同じ状況に陥ったはずだ。原子力で動く空母や潜水艦も同じだ。


他にも心配な場所があった。使用済燃料の再処理施設た。電気を使わずに保管が可能な「乾式貯蔵」が行えるのは世界の一部にしかないらしい。ほとんどが水冷式の「湿式貯蔵」なので、電気がないと冷却を続けられない。


何年もしないうちに世界中、ほとんどの原子炉に関係する施設には、近づくことができなくなるだろう。


そして、陸だけではなく、空も海も心配な状況だ。



航空機は現在、使うことができない。あの日、日本は深夜だったからまだ数は多くなかっただろうけれど、世界中で多くの航空機が空に浮かんでいたはずだ。


あのとき飛行中だった航空機で、滑空して無事に着陸することができた機体がどれだけあったのか……海上への不時着で運よく助かった人も生存は難しかったはずだ。救助の飛行機は飛べないし、船舶も来ない。墜落した情報すら掴むことができない。


さらに、航空機だけでなく、航行中の船舶も、風を推進力とする帆船以外は海上で漂流することになっただろう。



こうして電気が失われた影響は――電気という「文明を維持するための根幹」を失うことで――私たちの生活全てに大きく影を落とすことになった。


全ての生活から「デジタル」は消えた。


時計も手巻き式以外は動かないから、正しい時間を知る手段がもうない。日付も原始的にカレンダーに印をつけているだけだ。もし、体調を崩して寝込めば、正しい日付を認識することは難しくなるだろう。幸い、信一郎と二人で暮らしている今、まだ日付の認識はできていると思っているのだけれど……


とにかく「噂話」以上の情報を得られないことで、今後、どう行動すれば良いのか、指針が全く決められない状況が続ていた。


今、私と信一郎は、私の事務所で生活している。一年たって、地下の倉庫で保管していた非常用の食糧や水も底が見えてきた。この冬を越えるのがやっとだろう。春には、食糧と水を求めて、移動を求められることになる。


オーロラを見たのも、あの日が最後だった。それからは、毎夜、暗闇に沈んだ街の姿しか見ていない。モノクロ――それも沈んだ灰色の街だ。


10年以上前、東日本大震災が起きた時、首都圏では計画停電が実施された。私の実家があった神奈川県でも地域ごとに停電が実施されたが、当時、道路も信号も、そして建物にも灯がない街の姿が、私の心に「灰色」のイメージを焼き付けた。今と同じだ。


それでもあの時は、まだ非常灯がつけられているところもあったし、隣の町まで行けば停電は行わていなかった。二時間ほど待てば明かりは戻ってきた。人工的な明かりは、一時的に身の回りから失われただけで、「生活の中」から完全に失われたわけではない。


でも……今回は非常灯の明かりすらどこにも見えることがない。夜はとにかく暗闇しかない。月明かりがあっても、街は暗いままだ。


冬から春にかけては、まだ焚火の明かりをちらほらと見ることができたが、月日が過ぎていく中で、その明かりも減り続けた。生き残った人々が、東京から姿を消したからだ。


それも当然だった。


食糧と水の入手もままならず、治安も良いとは言えない状態だ。都心はマンションが多いが、高層マンションの上層階は、エレベーターが使えないから恒久的な居住が難しい。どこからも助けが来ない中、人々が放浪するしかなかったのも仕方がない。


私の研究所には、災害に備えたさまざまな備蓄があった。信一郎、そして島田君と何度も何度も話し合って……そして、私たちはその存在を周囲に知らせない――放出しないことに決めた。もし放出しても、救えるのはわずかな人たち、そしてわずかな期間だけだ。


それに私たちには、どうしてもやらなければならないことがあった。


今、日本の中で今回の出来事の「真実」を知る人間は、ほとんどいない。もしかすると一部の政府関係者であれば、あの日の直前までの情報は知っていたかもしれない。でも、あの日、地球磁気圏に何が起きたのかを見ることができたのは、USGSでモニタリングしていたオリビアさんたちと、そのデータを共有していた人々だけだろう。


そして、オリビアさんの話が正しければ、日本でデータを共有できていたのは私たちだけだ。


つまり、日本人の全員が、何が起きて電気が失われることになったのかを知ることなく、突然、100年以上前の世界へと放り出されたのだ。それも現在の知識をもったまま……


知識があっても何もできないのは辛い。無力感に襲われる。


電気があればできたことが今はできない――その理由もわからず、いつ解決するのか電気が復活するのか誰も教えてくれない。いや、解決できることなのかもわからない。


昨日まで配ってくれていた食糧配給もこない。水も出ない。ガスも使えない。電気はもちろん使えない。車も動かない。警察、消防、救急も呼べない。


徒歩以外の移動手段は、せいぜい自転車ぐらいだけれど、下手に知らないところまで遠出すると帰ってくることが難しくなる。GPSが使えない、地図アプリが使えない。さらに方位磁石も使えないから、北の方角を正確に掴むことすら難しい。夜になれば明かりもなくなる。そんな中での遠出は、多くの人を「迷子」にしていた。


スマホは電源が入らない。バッテリーで動くノートパソコンもタブレットも同じだ。テレビもダメ。ラジオもダメ。新聞の配達はない。ニュースが見れない、聞けないから、何が起きているのか分からない。


夜は暗い。窓が少ない家は昼も暗い。冬だから寒いけれど暖房が使えない。病院も薬局も開いていない。コンビニも店も開いていない。銀行も開いてないからお金も降ろせない。もっとも、お金を使える場所を探すことは難しくなっていたのだけれど……そして、防犯の設備も沈黙している。自分と家族の身は、自分たちで守るしかない。


人々は、何も分からず、何も知らず――そして何もできない生活に放り込まれていた。


出口が見えていれば、まだ混乱は少なかったかもしれない。でも、出口は誰も見ることができない。


電気を失った今の生活がいつまで続くのか……おそらく、その「出口」を探るのは、原因を知る私たちが解明すべきことだったが、それを解明するには、あまりも私たちの知識は偏っていた。


そして、その知識を補える「情報」は、ネットが使えなくなった今、入手が困難になっていた。


過去の出版物全てを蔵書する国立国会図書館は、東京の千代田区永田町にある。春を過ぎたころに、一度、信一郎と一緒に向かってみたが……誰かが暖を取るために蔵書を燃やしたのだろう、施設は焼け爛れた廃墟になっていた。


また、知識だけでなく、必要な観測データも得られない。


地磁気自体の観測は、磁石と釣り糸、鏡、印画紙などを使った「吊り磁石式変化計」のように、電気を使わずに観測できる方法もある。でも、そもそも磁気圏内の磁気の方向がバラバラの状態のため磁石が使えない。それに歩いて調べられる範囲だけでは圧倒的に情報が足りず、「出口いつ解決するのか」を見つけることなどできるはずがない。



それでも――私たちは「結論」を出した。



その結論が正しいかは分からないが……最後に「未来の話」をしておこう。



まず、電気についてだけれど……


これは、ポールシフトが終われば、再び電気は使えるようになると考えている。


電流を乱しているのが、植物が作り出した「磁気圏」にあるなら、ポールシフトが終わって磁極が安定すれば、地球の磁気の方向は定まることになる。植物は硬磁性体だから、地球の磁気圏がしっかりしていれば、現在のような磁気の方向がバラバラになる、ということはないはずだ。


もっとも、地球の磁気圏に対して、そこにプラスされる植物の磁気圏がどのように干渉するのか――今回のように、ヴァン・アレン帯に影響を与えることはないのか、心配な点は数多くある。


だが、一つの仮定を元に、私たちはそうならないだろう、と結論付けた。


それは……植物が地球上の生命体の保存、という目的で有機磁性体を作り出しているのであれば、地球磁気圏が復活すれば、その役割を終えることになるので、有機磁性体の生成を止めるのでは、と考えているからだ。


最初に少し記したように、植物は、意図的に有機磁性体を作り出した。ポールシフトによる地球磁気圏の消失から地球上の生命体を守るため……少なくとも私たちは、それが正しいと思っている。


そうであるならば、有機磁性体を作るのは、あくまでそれが必要とされている間だけのはずだ。だから、ポールシフトが終われば、今回の「事件」も終わることになると考えている。


問題は、ポールシフトが終わるのが「いつ」なのか、ということだ。


それが分からない。


当初は100年から800年の間、という推測だったから、少なくとも最短で、私たちの次の次の世代、ということになるだろう。推測が正しいと仮定して最長の場合は800年後だ。今から800年前を考えてみると――西暦1200年ころといえば……1192年いい国作ろう、鎌倉幕府のころだ。


鎌倉幕府から現代までの年月が過ぎて、ようやく電気が復活する。果たして、そんな長い間、使えない電気の文明を継承していくことが可能なのか……分からない。でも「復活」することが分かっているのだから、細々とでもそれを継承していくことは必要なはずだ。


もっとも――100年後でも800年後でも、いずれにしても私たちが直接関係することはない。現在の生活を取り戻すためには、長ければ数十世代を経ることが必要になるということだ。


現実的には、電気以外のなにかの方法――私には想像もできないが――を発見、発明することで、文明を取り戻す方が早いようにも思うけれど……


ただ、そのためにも私たちは「生き残る」ことが最優先で求められる。


電気を失った今、地球の人口70億を維持することは望めない。緑の聖夜の日から一年たった今、おそらく相当数の人口が減ったと思うけれど、それでもまだ半減はしていないはずだ。ちなみに、800年前の人口は世界中で4億人弱だったと推計されているから、まだまだ多い。


これから800年後、人口はどこまで減ることになるのだろうか……


エネルギーが極端な制限を受けるこれからの生活を考えれば、そしてさらに「現代の思想」がそこに加わると、食糧の上限、そして宗教をはじめとした対立からくる紛争は、人為的に人口を大きく削ることも考えられる。


電気が使えなくても、武器の性能、そして戦略の進化は800年前とは隔絶していると言えるからだ。もっとも、電気が使えないことで、大量破壊兵器も使えないことが唯一の救いとなるだろうけれど……


私たちの良心に縋るすがるのは愚かなのかもしれない。でも、知識はその良心の「必要性」も昔より学習させてくれたはずだ。


私たちの未来は、月並みだけれど、私たちに託されている。


ヒト種としての「種の保存」に植物が手助けしてくることはない。絶対にない。自分たちで行っていくしか方法はない。結局のところ、一人一人の行動に任されることになる。


ヒト種が「動物」として持つ本能の中には「排他」という部分が根強くある。でも、同時にこれまでにヒト種として培ってつちかってきた「倫理」という心の持ち方を本能に上書きすることはできるはずだ。


もし上書きができなければ――ヒト種としてではなく、動物としての本能で行動し続ければ、待っているのは「滅亡」の二文字だろう。


結局のところ、「今」を生きる私たちは、「未来」のために生きていくことが求められているのだと思う。そして、それは可能だと信じたい。




来春、暖かくなってから、私は信一郎と一緒に、信一郎の故郷に向かうことにしている。長野県の奥深い山中の寒村は、若い人がいない過疎の村だ。


今、その村がどうなっているのかは、行ってみるまで分からない。私の父も、あの日は公務で沖縄に行っていた。母も同行していたので現在まで両親の行方は確認できていない。東京よりも気候的な条件は良い沖縄だから、生存していることを祈っているのだけれど……


でも、両親に再び会うことはできない。会いたいけれど、電気が復活しない限り、その望みは叶わない。


沖縄から本州へ――海を渡るのは簡単ではない。外洋を越えなければならないから、ボートでは無理だ。大型の帆船が必要だけれど見つかるかどうか……それに船があっても、高度な航行技術を持った船乗りが必要だ。GPSは電気がないから動かない。昔ながらの羅針盤磁気コンパスも磁力の向きが一定でないから使えない。頼れるのは航海用六分儀を用いた天測航法だけれど、GPSの普及もあって六分儀が法定備品から20年ほど前に外されたので、習熟している航海士は多くはないらしい。


だから、沖縄から本土に帆船で向かうことは、現実的ではなくなっている。実際、あの聖夜の日から他の地方から訪れたという人に何度も会ったけれど、本州以外から来たという人は見たことがない。


遠距離への電気を使わない移動方法、輸送方法が存在しないわけではない。でも、今、その方法はマイノリティー少数派だ。空では飛行船、陸では蒸気機関車や馬車などが考えられるが、それを作るための技術が問題だ。電気を使わないで製造する技術を用意するのに、果たしてどれだけの時間を要することになるのか……


さらに、何が起きたのかを知らずに過ごしている中で、生き残ることが最優先される中で、それを探っていかなければならない。


いずれは、そうした技術も確立されることになるのだろうけれど、そこまで秩序を保ったまま人類が存在できているのかを考えると、気が遠くなる思いだ。


でも……だからといって、立ち止まっているわけにはいかない。


今、「陸の孤島」はどこにでもある。信一郎の故郷も、その一つだ。それでも、春になってたどり着くことができれば、自然が溢れている場所だ。生活していくことはできるだろう。少なくとも、東京よりは容易なはずだ。


私たちは、これからの生活に何が求められるのかを、他の人よりも理解できていると思う。そして何を求めていくことが大切なのかも理解している――理解できているはずだ。だから、私たちが知る「知識」を、後世に残していくことは大切なことだと考えている。


今回の出来事を正しく知る者は多くはない。


前日までやり取りをしていた日本の政府関係者も、電気が失われる直前の出来事は分かっていないはずだ。おそらく、何が起きたのかを把握しているのは、私たちの他には、アメリカにいるオリビア女史たちだけだろう。


だからこそ、「残していくこと」が大切になる。それは、知る者の責任でもあるはずだ。


奉仕者である植物に感謝して、その命を糧にして、私たちは生きていく。


もはや、植物は敵ではなくなった――いや、最初から植物は人の敵ではなかった。植物を敵とみなしたのは、ヒト種の歪んだ「排他」という本能が見せた瞞しまやかしだったのだろう。



ただ……一つだけ気になることがある。



それは、今回、植物が有機化合物の生成を何度も変化させてきたことだ。


もし、有機磁性体を生成するためのステップとして新種のアルカロイドの生成が必要だったとするなら、逆も同じではないだろうか?……やがて、地球磁気圏が復活して植物が有機磁性体の生成を止めるとき、再び、アルカロイドを生成する過程ステップが必要になるのではないか、という恐れだ。


もし数百年後にそれを迎えた時、誰も正しい情報を知らなければ、大きく減少した人口は、さらに削られることになる。


植物は敵ではない。でも、人類の味方でもない。


このことを、正しく伝承していける方法――それを求めていくことが、私と信一郎、何が起きたのかを知る者の務めだと思っている。


遠い未来に訪れる、植物のアルカロイド生成による人類の被害を、生命の営みの一部・・・・・・・・として受け入れることができなければ、再び人類は滅亡の危機を迎えることになる。


植物を敵と考え、植物に何かをしようとしたとき、植物はヒト種を地球上の救うべき生命体の一部として認めてくれなくなるのでは、という思いが頭から離れない。


もし、今回、植物が有機磁性体の生成に切り替えず、新種アルカロイドの生成を続けた場合には、ヒト種は間違いなく滅亡していた。


食物連鎖を支配している――真の上位者は、生態系ピラミッドの底辺生産者に位置する植物だ。上位に位置する草食動物、肉食動物消費者が上位者なのではない。真の上位者がへそを曲げれば、その上部に位置する生物は誰も生きていけない。


消費者動物がいなくても生産者植物は生きていける。生産者が「支配者」ではなく「奉仕者」でいてくれることこそが、感謝すべきことなのだろう。


これからデジタルの記録媒体は、電気が復活するまで使うことができなくなる。紙媒体での記録が数百年後まで保たれるかどうかは不透明だけれど、それでもヒト種が地球上の生命体の一員として存在していけるよう――いや、認められるためには、この記録を伝承していくことが大切になるはずだ。


そのために、私は信一郎と生きていく。そして……情報が伝わらない世界で、いつか役に立つ可能性を信じて、情報を発信し続ける。



東京の街はいま、緑に覆われつつある。舗装された道路も、車が通らなくなって1年たったからか、冬を迎えた今の時期でも、あちらこちらで植物がアスファルトを割って命に満ち溢れた姿を見せている。


東京に人が戻り始めるのは、いつぐらいになるだろう?


再び人々が東京で暮らすためには、生活に必要なインフラが整えられてからになる。最低限でも、飲料水が容易に確保できることが必要だ。


しかし……インフラの設備自体はまだ残っているけれど、メンテナンスができない以上、「遺物」としての価値しかない。数十年後の再利用は事実上、不可能だろう。だから「東京への帰還」は、かなり先になることは間違いない。


……10年後?50年後?……あるいは100年後?


おそらく私も信一郎も、その帰還の人々の中に混ざることはできない。


それでも……


可能であるならば、死ぬまでに一度はこの街を訪れたい。例え、緑に覆われた「植物の街」に変貌しているとしても、私たちが残したいと願ったものが、植物と共にあるはずだから……



20XX年一年後の12月25日 人類の未来に、希望があることを祈りつつ――桑原香織


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プラント ~植物が人類に牙を剥くとき~ @wirunouta

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