第20話 君じゃなきゃ

 爽やかな朝だ。慣れない環境、慣れないソファーで寝たにも関わらず、思考がクリアで澄み切っている。随分と、熟睡できたみたいだ。

 壁掛け時計は、まだ7時を回っていない。いつもより睡眠時間が少ないのに、気持ち的には楽だな。

 カーテンと窓を開けて、部屋に朝日を取り入れる。

 朝焼けと澄んだ空気が心地いい。いたずらな薫風が、新緑の匂いと小鳥のさえずりを運んできた。

 ……別に賢者ってわけじゃないから、安心してくれ。いたって普通の俺だ。……ホントウダヨ。

 朝日を全身に浴び、軽くストレッチをする。と、上の方からドタバタと騒がしい音が聞こえて来た。あいつ、起きたな。

 それから間髪入れず、リビングのドアが勢いよく開くと、ガウンの前がはだけかけた奏多が飛び込んできた。



「京水!?」

「おはよう、奏多。前閉めろ」

「おっと」



 前に朝早くお邪魔した時も思ったけど、そのガウン緩すぎじゃないですか。もっとしっかり結びなさい。

 帯紐を結び直した奏多は、安堵したように嘆息してソファーに座り込んだ。



「よかったぁ。起きたらどこにもいなかったんだもん。蒸発しちゃったのかと思った」

「疚しいことなんてしてねーよ」



 リビングを借りて、コーヒーメーカーで2人分のコーヒーを入れる。俺はブラック。奏多はミルクと砂糖マシマシ。



「はい、コーヒー」

「あざーっす。ずずず……んん~、甘い♪」



 やっぱりな。奏多ならこれくらい甘い方が好きだと思った。

 しばらく、朝の陽気に身を委ねていると、奏多が忙しなく、何度も俺の方を見て来た。



「どうした?」

「いやぁ~。朝起きて京水がいる生活って、いいなってね。やっぱり、一家に一台京水だ」

「だから、せめて1人って数えろって」



 あと、あまりそういうこと言わない方がいい。新婚生活っぽくて、意識しちゃうから。



「昔みたいに同じ布団で眠れたし。今のぼく、超ハッピー」

「………………そうだな」

「何、今の間」

「気のせいだろ」



 奏多からの訝し気な視線から逃げるようにコーヒーを飲む。ああ、コーヒーが美味いなー。



「……まさか京水。ぼくが寝てから、ソファーに移動したんじゃないだろうね」



 図星。なんでわかるんだよ、怖い。



「何をそんな意識してんだよ。ぼくたちの仲じゃんか」

「何度も言ってるけど、俺たちは成長してるんだ。どうしても、昔みたいにはいかないんだよ」

「付き合ってるわけでもないのに……やれやれ」

「日本人はそういうもんなの。思春期男子のウブさ舐めんな」

「ウブちゃんかわいい〜♪」



 頬つつくのやめれ。



「奏多はどうなんだよ。俺と一緒の布団なんて嫌だろ?」

「いや? 特に何も思わないかな」

「思えよ」



 男として見られてないってことか? 奏多とは『男友達』の距離感とは言え、複雑なんだが。

 肩を竦めると、奏多はわかっていなーと首を横に振った。

 ソファーに膝を立て、脚を抱え込んで丸くなる。

 流し目で見上げてくる様子は健気で、儚げで、少女然としていた。



「他の男は無理だけど、京水だからいいんだよ。……君じゃなきゃ、やだもん」

「────ッ」



 や……っば。今の、反則……!

 心臓に鷲掴みされた痛みが走り、うまくリアクションが取れない。

 コーヒーを啜り誤魔化すと、奏多は自分で言ったことが恥ずかしくなったらしく、顔を手で扇いだ。



「たはは、慣れないことはするもんじゃないねっ。ぼく、顔洗ってくる……!」



 リビングから飛び出す奏多を見送ると、コーヒーをテーブルに置いてソファーに横たわった。

 ……やっぱりあいつ、ずるいわ。



   ◆◆◆



 気まずさと恥ずかしさをコーヒーで流し込んだ俺たちは、外着に着替えて街へと繰り出した。

 今日は休みと言うだけあり、この間より賑わっている。この辺に住んでる人は、休日はここに集まるのが鉄板だもんな。仕方ない。



「うっひゃ〜。すげー人」

「アメリカの方が、人通りはすごいんじゃないか?」

「うん。でもぼく、パパに言われてあんまりそういう場所には近寄らなかったから。いろいろと危ないし」



 いろいろ。この言葉の裏には、どんな意味が隠されているのか、想像に難くない。

 こんな可愛くてで胸のでかい女の子が歩いてたら、何が起こるかわかったもんじゃない。おじさんの言うことは正しい。

 内心でおじさんに親指を立てていると、奏多がオーバーサイズのシャツを揺らして顔を覗き込んできた。



「それでっ、それでっ。どこ行く? どこ行っちゃうっ?」

「そうだな……」



 と言っても、目ぼしい場所は萬木と九条が案内しちゃって、改めて俺が案内するところが浮かばない。

 だからって、ぼーっと歩き回るのはつまらんし……ん?



「あ。奏多、これ」

「え? ……ゎぁ……!」



 偶然見つけたポスターを指さすと、破顔して満面の浮かべた。

 今日と明日にかけて、デパート全体を使ったくまフェスが開催されるらしい。くまをモチーフにしたグッズや料理が売られ、13時からは屋上でくまの着ぐるみショーがあるんだとか。

 奏多のためにあつらえたかのようなフェスだ。デパート全体が会場なら、一日回っても見足りないだろう。



「京水、京水! これ、これ!」

「ああ。思う存分回ろう」

「~~~~!!」



 子供みたいにはしゃぐ奏多は、興奮した様子で俺の腕に抱き着くと、ぐいぐいと引っ張った。



「きょ、京水っ。はやく、はやく行こ!」

「わ、わかった、わかった。ちょっとは落ち着け」



 あと、できれば離して。お願い。


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