第19話 駆り立てられる情欲
ようやく体が芯から暖まり、風呂を出た頃にはもう日付をまたぎそうだった。
いつもならもう寝てる時間だが、今日はまだ眠くない。それもそのはずだ。ここは心安らげる実家じゃなくて、奏多の家なんだから。
しかもこれから、一緒の部屋で寝る。いくら違う布団と言えど、緊張しないわけがない。正直、もう脳が沸騰しそうだった。
「落ち着け……大丈夫。ただ寝るだけだ。そう、寝るだけ。寝るだけ……」
自身に暗示をかけるように呟きながら、奏多の部屋に向かう。
扉に掛けられている【♡KANATA♡】のネームプレートを見て、大きく深呼吸をした。こんなに薄い扉なのに、今の俺には地獄の門としか思えないほど、重厚なものに感じる。
何も言わずソファーで寝ようと思ったが、絶対後で不貞腐れるからな、あいつ……覚悟を決めるしかない。
軽くノックをすると、中から奏多の声が聞こえた。くそ、寝落ちしてくれてたら、まだよかったのに。
中に入ると、奏多がベッドに寝転んでいた。本当に、俺が出てくるまで待ってたのか。
「京水、おっそい。もうこんな時間だよ」
「誰のせいだと思ってんだ。冷水なんか浴びせやがって」
「……てへっ☆」
殴りたい、この笑顔。
部屋に入って、布団に寝転ぶ。精神的に疲れてたからか、布団の柔らかさが心地いい。
全身から力を抜くと、奏多がベッドから顔を覗かせた。
「京水、もう寝ちゃうつもり? ぼく、お話したいんですけど」
「……ああ。いくらでも付き合うよ」
「たはは。それでこそ京水だ」
嬉しそうに笑い、奏多が俺の頬とつついて来た。やめい、こしょばゆい。
煩わしくて手を払うと、手を引っ込めた。本気で嫌がってるのを察してくれるあたり、さすが親友か。
が、奏多は呆けた顔で見てくるだけで、一向に話そうとしない。こいつが話したいって言ったのに。
俺もしばらく無言で奏多を見ていたが、どれだけ待っても無言のままだ。何がしたいんだ、こいつ。
「奏多、どうした?」
「んぇ? 何が?」
「お前が話したいって言ったんだろ」
「あ。そうだったね」
こいつ、寝ぼけてんのか?
呆れ顔を浮かべると、俺の頬を愛撫するようにつついてきた。
「ん~……えへへ。本当に京水なんだね」
「なんだそりゃ」
「だってぼく、アメリカでも君のことずっと考えてたんだよ。今頃どうしてんのかな、とか。元気でやってんのかな、とかね」
……そんなの、俺だってそうだ。
小学校で仲のよかった友達は、中学からは疎遠になった。でも、そいつらが今頃どうしてるかなんて、考えたこともない。
だけど奏多は違う。歳を重ねても、なぜか奏多の存在は、ずっと頭の片隅にいた。
同じことを考えてたと思うと、ちょっと嬉しい。
「だからかな。いろいろと話したいことがあるはずなのに……今は京水のことを見てるだけで、すごく満足なんだ」
「お前、よくそんな恥ずかしいこと言えるな」
「たはは。眠気のせいってことにしてくれい」
……ま、そういうことにしておいてやるよ。
さっきのお返しとばかりに、奏多の髪を指で梳く。相変わらず手触りのいい髪だ。ずっと撫でてたくなる。
しばらく髪を愛でていると、されるがままの奏多が、俺の手を取って自分の頬に触れさせてきた。
急に吸い付くような柔肌に触れて、心臓が痛いくらい高鳴る。
「髪もいいけど、こうしてくれた方が、京水を感じられて嬉しい」
「なんだそれ」
「スキンシップって大事ってこと」
……よくわからないが、奏多が嬉しそうならいいか。
奏多は俺の手を離さず、ずっと擦りついてくる。俺がいると確かめるように、何度も。
母さんの言ってた通り、寂しがり屋だな。うさぎみたいな奴だ。
けど、上げっぱなしでそろそろ腕が痛くなってきた。
「奏多、腕痛い」
「軟弱者め」
「ろくに運動なんてしないで育って来たからな」
「まったく……しょうがない子だね、京水は」
何を考えたのか、奏多は思い切り寝返りを打ち、ベッド下に落ちて……は?
「とうっ!」
「ほげ!?」
い、痛……くはないけど、重い。押し潰される。
何しやがるこいつっ。あっぶねーでしょうが……!
一発叱ってやる、と思って奏多の脳天にチョップを振り下ろそうとすると、また寝がえりを打ち、いつの間にか俺の隣に寝ていた。
「はい、どーぞ」
「……何が?」
「え? ぼくが上で寝てるから、手が辛かったんでしょ? なら隣で寝ればよくない?」
拡大解釈がすぎるんだが!? 誰もそんなこと言ってないぞ!?
突然の事態に、目が右往左往する。だってこれ、添い寝してるのと同じじゃ……!
「京水、顔真っ赤」
「赤くもなるだろっ。お、お前可愛い、んだ……し……」
あ……やべ、言っちまった。これを言うと、なんとなく俺たちの関係にヒビが入りそうで……絶対に言わないようにしてたのに。
慌てて口を押えたが、もう遅い。奏多は目を見開き、目を爛々と輝かせた。
「……ふーん……ふ~~~~ん……♪」
「な、なんだよ」
「べっつに~? 京水がぼくのことをそんな風に思ってたなんて、知らなかったな~って」
くっそ。やっぱりいじって来やがった。だからこれを言うのは嫌だったんだよっ。
「そっかそっかぁ~。京水から見ても、ぼくは可愛いかぁ~」
「せ、世間一般的に見ればな。可愛い部類だろ」
「あらあら、照れてやんの。素直になりなって~、うりうり~」
やめい、肘でつついてくるな。
まだ顔が熱い。どんな顔をして奏多を見ればいいかわからず、とりあえず背中を向いて目を閉じた。
「ありゃ? 拗ねちゃった。ごめんて、京水~」
指先で背中をフェザータッチしてくる。我慢、我慢だ俺。ここで下手に反応したら、奏多の思うつぼだ。
くすぐったいのを我慢して目を閉じていると、しばらくして背中を手の平で触れて来た。
「京水の背中、大きいね。昔は同じくらいだったのに」
「……8年も経ってるからな」
「たはは。そりゃそうか。……8年、か……それだけあったら、違ってくるよね。体も……心も」
突如、熱のこもった甘い声をささやかれ、体が硬直した。
ちょっ。おま、同じ布団に入ってそれを言うのは……!
「ねぇ、京水」
「な、なんだ」
「…………」
「……奏多?」
「……くぅ……すぅ……」
寝 や が っ た。
あんだけ俺の情欲を逆撫でして、布団に入り込んで、思わせぶりなセリフを言って、あまつさえ寝る。ずるすぎんだろ、こいつ。意識してくれって言ってんのか。
奏多を起こさないように布団から這い出て、立ち上がる。
俺の気持ちを知らないで、呑気な寝息を立てやがって……俺がやばい奴だったら、もう襲われてんだぞ。そんなことしないけど。
……まあ、奏多も俺のことを信用して、こういう態度を取ってるわけだし……信用を裏切るわけには、いかないか。
情欲を吐き出すように深々とため息をつき、安眠できるようリビングへと下りて行った。
明日、奏多に何か言われそうだが、知ったことか。こいつが悪い。俺は悪くない。
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