第6話 言えない言葉
◆◆◆
「至福……♡」
「そいつはよかった。あっはっは!」
満たされたのか、奏多はソファーに座って溶けた笑顔を浮かべている。母さんもたくさん食べてくれて嬉しいらしく、いつもより上機嫌だ。
相変わらず、よく食うやつだ。男子高校生の俺と同じくらい食ってたぞ。
あんなに食ったのに腹が少しも出てないのはどういうことだ。その細い腹のどこに収まってるんだろう……不思議だ。
俺も奏多の隣に座って、一息つく。意地になって、食いすぎたな。
「相変わらず、マミーの手料理は最高だねぇ」
「明日からも楽しみにしてくれていいぞ。一応俺の飯も、母さん仕込みだから」
「やっべ、楽しみすぎ」
と言っても、まだまだ母さんの味には程遠いが。
まあ奏多なら、どんな手料理でも美味い美味いって食いそうだな。
奏多は懐かしそうに家を見回すと、たははと笑い声をあげた。
「どうした?」
「んー……なんも変わってなさすぎて、嬉しい」
「そんなに変わってないか?」
「少なくとも、記憶の中の家からはね。ぼくの日本のおうちは、もう名前も知らない人が住んでるから……」
あ……そうか。奏多が生まれ育ち、思い出の詰まった家は、もうないんだ。
逆の立場になって想像してみるが……寂しいな、それは……。
「なにしんみりしてんだい」
「わっぷ。ま、マミー……?」
「な、何すんだ、母さん」
いつの間にか後ろにいた母さんに、乱雑に頭を撫でられた。やめろ、そんな歳じゃないんだから。
手を振り払うと母さんは腰に手を当て、いつもの快活な笑顔ではなく、慈しみを孕んだ優しい笑顔を浮かべた。
「この家には、京水はもちろん、かなちゃんの思い出もたくさんある。寂しがる必要はない。第二の実家として、アタシはいつでも待ってるからさ。いつでも帰って来なよ」
「マミー……ありがとうっ」
感極まったのか、奏多が母さんに抱き着いた。
鼻にツンとした気配を感じたが、ここで涙を見せようものなら一生2人にからかわれそうだから、誤魔化すためにソファーから立ち上がった。
「アンタも抱き着いて来ていいんだよ」
「おばんに抱き着いても嬉しくない」
「鉄拳ッ!」
「ほげっ!?」
ちくしょう、やっぱ野蛮だ……!
しばらく思い出話に浸り、21時を過ぎた頃、俺たちは家を出た。
晩春と初夏を思わせる夜の空気が、人気のない住宅街を包む。世界に俺たちしかいないんじゃないかと錯覚するほど静かで、周りに誰もいなかった。
こんな中、美少女と2人きり。何も起こらないはずはなく……なんて謳い文句が出ないほど、俺たちの間には何もない。ただ無言で、ゆっくりと歩みを進めるだけ。
これが出会ったばかりの女の子だったら、緊張もするだろう。けど相手が奏多だからだろうか。緊張より、落ち着きが勝る。
横目で、隣にいる奏多を見る。奏多も同じみたいで、ゆったりした雰囲気で歩いていた。
……まあ正直、緊張より落ち着くってだけで、まったく緊張していないと言うと、嘘になる。
相手が奏多だとわかっていても、こんな美少女と2人きりなんて、緊張するなという方が無理だろ。わかるか、俺の気持ちが。
「京水? なにそわそわしてんの?」
「……なんでもないよ」
「ふーん。変な京水。あ、いつもか」
「おいコラ」
「冗談だよ。2割は」
「8割かっ、8割も変だと思ってんのか……!?」
この野郎、人をおちょくりおって。
まあ、それも含めてこいつの冗談ってのは、昔から知ってる。現に今も、いたずらっ子の笑みを浮かべてるし。
「たははっ。ほんと、京水は思った通りの反応をしてくれて楽しいねぇ」
「お気に召しましたか、女王様」
「うむ。朕は満足じゃ」
それは身分が高すぎじゃないですかねぇ。
夜風が木々を撫でる中、他愛のない会話をしていると、いつの間にか奏多の家についてしまった。
まだまだ話していたいけど、これ以上は夜も遅くなってしまう。名残惜しいけど、今日はここで解散だな。
「それじゃあ奏多。また明日な」
「うん。おやすみ、京水」
奏多の軽くハイタッチし、背を向ける。
と、その時。後ろから「ね、ねえっ」と引き留められた。
「ん? どうした?」
「あ、えっと、その……」
何か言いたいことがあるのか、奏多は忙しなく前髪を整えている。
いったいどうしたんだろうか。
少し待っていると、奏多は首を横に振り、たははと笑った。
「な、なんでもない。いい夢見ろよ」
「……ああ。奏多もな」
再度、奏多に手を振り、帰路につく。
奏多の性格からして、言いたいことはずばっと言うような奴なんだが……いったい、何を言いづらそうにしてたんだろうか?
◆奏多side◆
京水が去っていく背中を見送り、なんとなく頬に手を当てた。
頬が熱いのか、手が冷たいのか。異様に熱く感じるのは、気のせいじゃないはず。
……ぼく、こんなに意気地なしだったかなぁ……?
唇を指先で撫で、京水には言えなかった言葉を紡ぐ。
「もっと……一緒にいたい……」
ボッ……! あ、あっつい。頭から湯気が出そうっ。
手で顔を仰ぎ、家の中に入る。
玄関横の姿見を見て、思わずその場に屈んでしまった。
今だけは、この家に誰もいなくてよかった。こんな顔、誰にも見られたくない。
「大親友に、もっと遊ぼって言うだけなのに……」
で、でも、これからは毎日一緒だ。放課後も、毎日うちに来てくれる。
楽しみと同時に……得も言えない怖さを感じた。
毎日一緒にいて、京水はぼくに飽きないだろうか。ぼくが京水に飽きることはないけど。面白いし、あいつ。
飽きられる……それがたまらなく、怖い。
この気持ちは……何……?
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