1話 番外編 フライ・ミー・トゥ・ザ・ブルームーン
桜尾とヒスイが部屋を出た。残りは小夜とトウラと、香坂だけだ。
「さて、探偵さんたちもいないことですし、こちらはこちらの仕事をしましょうか」
小夜はそう言うと、香坂研究員の頬をパチンと叩いた。気絶した人間の目を覚ます方法としては、少々乱暴だが確実な方法だ。
「んむぅ……」
力無く目を開けた香坂に、小夜は容赦なく語りかける。
「本当に残念ですわ。せっかくいい人材をなくさずに済むと思ったのですけれど……」
残念とは言っているが、トウラには分かっていた。こいつは、自分の手駒が減ろうとなんとも思わないのだ。そもそも不祥事を起こした者など、リストラして当然と言えるが。
「んで、“
トウラの言葉に、小夜はにっこりと微笑んだ。そしてゆっくり頷いた。
「ええ、こちらのやり方で。」
こちらの、という言い方に香坂は疑問を覚えた。責任を取るなら辞任とか、解雇とか、そういったものではないのだろうか?だが小夜の持っている物をひと目見て、香坂は顔を青くした。
その手には桐でできた棒が握られている。ちょうど半分くらいのところに切れ目が見える、大きなカッターくらいの大きさの棒。もちろんこれがただの棒ではないことぐらい、彼女にも理解できる。
いわゆるドスというものだ。
「あ……あの、命だけは……」
香坂は命乞いをしている。至近距離で刃物を持った人間が立っていて、しかもこちらに向かって微笑んでいるとあれば、そうもなるだろう。
だが小夜は、あくまでも穏やかに話している。
「あら、この刀は腹を割くものではありませんの。貴方が望むなら、そうすることも可能ですけれど」
背の高いロリィタドレスから放たれる圧の強い言葉。香坂は縮み上がって何も言わなくなった。猫でも被りだしたか、とトウラは思った。目の前のそいつは猫人間だが。
トウラは空気を読んで、その辺から書類整理用のカッター板を探り出してきた。それと赤いツナギのポケットから、小夜にライターガン(いわゆるチャッカマン®)を手渡した。
小夜は軽く礼をすると、香坂に向き直った。恐ろしいまでの笑顔を湛えて。
「さて、香坂かおり研究員」
フルネームを呼ばれて、香坂は震え上がった。底なしの恐怖と、目の前の威圧に耐えきれなかったのだ。よく考えたら、他人のことなどどうでもいいからこんな非倫理的な研究をできたのであって、責任なんて取るつもりはなかったのだ。香坂は初めから、自分のことしか考えていない。
「ちゃんと“責任”取っていただきますわね。“指切りげんまん”で。ね?」
香坂の右手から器用にメリケンサックを外し、カッター板の上に引っ張り出した。読者の皆様は安心してほしい。香坂は左利きなのだ。小夜はそんなつもりなさそうだが。
そも桜尾は覚えていなかったようだが、小夜もトウラと同じ、ギャングの女であった。しかも上位層の。然るべきことは幾度となくやってきた。
「わたくしもケジメを果たすべきですが、義手なんていくらでも取り替えることができますものね。やっぱり、“生”の貴方にしてもらうのが一番ですわ」
そう言って小夜は、手元の小刀を鞘から取り出した。刀身がキラリと輝く。
ギャングのケジメとは要するに、『日本史学的指切りげんまん』だ。それでも分からないなら『エンコ詰め』とでも言うべきだろう。端的に言うなら、「小指を詰める」ということだ。
つまるところ、小夜は香坂に「指を詰めて詫びろ」と言っているのだ。
それが理事長としてのやり方なのか?と問われれば、普通の理事長はそんなことしないと解答するだろう。だがこの月雲小夜はやりかねない。いや、やらねばならない。だってそれしかないのだから。
「い……いいんですか!?このまま指を切ったら、出血性ショックで死んじゃうかもですよ!?」
なんとか痛みを回避したい香坂は、詭弁を垂れることにしたようだ。それで回避できるなら、そもそもこんなことはしない。
「あら、そのためのライターですのに。ねぇ?“ラットラー”くん?」
ラットラーと呼ばれて、トウラは軽くそっぽを向いた。が、すぐに向き直った。表情が完全にギャングのソレになっている。黒地に赤い瞳が、爛々と輝いている。
イエロー・ラットラー、ギャング時代の彼のコードネームだ。どこからどう見ても
「ま、そういうこった。炙れば血も止まるだろうよ」
そういうことである。そのためのライターガンである。ちょっと出力が改造されて、ガスバーナーくらいの火が出るだけの、ただのライターである。
香坂はいよいよもって逃げられないことを悟った。こんなヤバい奴を相手取っていたなんて夢にも思わなかった。というか最初から、認可されない研究をしていた時点で気づくべきだった。というよりもそもそも、こんなこと最初からしなければよかった。
香坂の後悔虚しく、小夜は小刀をその右小指に突き立てた。
「それでは、指切りげんまん、しましょうね~」
小夜はぐっと刃を押し込んだ。ワインレッドのロリィタ服の一部分が、さらに濃い色になる。
さっくりと骨肉が切れる音。香坂研究員の悲鳴。あとは、ガスバーナー……ではなくライターガンの着火音くらいか。水槽だらけの研究室に、酷い音が次々響く。
あんまりにも叫び声がうるさいので、廊下にいた桜尾はそれに気づいていた。だがヒスイは聞いていなかったようなので、黙っていることにしたらしい。
むせ返るような血の匂いと、焦げた肉の匂いが充満する。人間一人の小指一本だが、香坂の精神を削るのには十分だ。切断された上に焼き潰されたとあって、もう体力的にも限界が近い。
「は~い、あつあつに熱したあとは十分に冷やしましょうね~」
小夜は楽しそうに後始末をしている。香坂は指の痛みがあまりにも辛くて、こたつの猫のように丸まっている。傷口にドライアイス(実験体を気絶させるために用いていた)をブチ込まれ、香坂はまた悲鳴を上げた。元ギャングと非人道研究員、どっちが倫理に欠けるか、これだけだと見分けがつかない。どっちもどっち、というべきか。
先程も言ったが、そもそもこんな研究しなければ、どちらもこんな事しなかった。ただ、香坂にはそんなことを考える気力は残っていなかった。是非もない。痛いんだもの。死んだほうがマシなんじゃないかと、この猫は考え始めた。少なくとも小夜とトウラがいる状況で、死ねるわけはないのだが。
トウラはしばらくケジメ現場を冷めた目で眺めていたが、飽きて桜尾たちの方へ向かった。幸い記憶力はそれなりに良い。手元に地図などなくても、実験体保管室の場所は分かった。
一方で小夜はまだニコニコしていた。眼の前の猫は死にかけだが。
「金眼銀眼、かわいいですのに。もっとよく見たかったですわ」
小夜は優しく顔を撫でている。お世辞なのか、本当にそう思っているのかはわからない。そも、小夜は分かりにくい人間だ。本心が読めるはずないのだ。それこそ。そういった“能力”でもないかぎり。それがトウラやサフィーや、桜尾でもないかぎり。
まだ呻いている香坂に対して、小夜はある書類を手渡した。
「はい、これにサインをしてくださいな。それが“責任”というものですわ」
見ればわかるが、デカデカと『辞職願』と書かれている。こんな状態でサインをさせようとしてくる理事長、恐ろしい存在である。
香坂は辛うじて残った意識で、その書類にサインをした。既に彼女の意識はどっかに飛びかけている。もう「そうしなきゃ生きていけない」の域まで来ていた。
小夜はその書類を三つ折りに畳むと、どこかから取り出した封筒にしまい、そのまま封をした。そして封筒にも『辞職願』と書いて、それをクリアファイルにしまった。
こうして、一人の研究員が「責任を取って辞職」したわけだ。これを知っているのは、張本人と理事長と、立会人のトウラくらいしかいない。
レイニーデイズ・ジン さくらば @kurokogitsune
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