「いま」と「さき」/「さき」と「いま」
僕と
「おいしそう〜! 連れてきてくれてありがとう!」
「いえいえ。ぼくも食べたかったから」
返事をしながら衣真くんは割り箸をパチンと割って、早速食べ始める。僕も衣真くんに続く。
「わ、おいしい!!
「食べるの初めて?」
はふはふと飲み込んでから質問する衣真くんがかわいい。食べながらしゃべらないところがお行儀がいいんだよな。
「初めて食べた。地元は広島でも田舎だから、よくあるラーメンしかないんだよ。醤油とか、味噌とか」
「そうか。じゃあ初めての鶏白湯を東京で一番おいしいところにご案内できてよかった」
衣真くんは至極満足げに笑う。こういう些細なセリフでまた衣真くんを好きになる。「広島は田舎だねえ」なんて言ったりしないと信頼できるところ。
「東京で一番だなんて、嬉しいねぇ」
ガタイのいい店主が衣真くんの褒め言葉を聞きつけて割り込んでくる。
「今日もおいしいです! 大学に入学したから、また新しい友人を連れてきます」
「ああ、衣真くんも大学生か! おめでたいなぁ! チャーシュー付けちゃおうかね」
ということで、衣真くんと僕のどんぶりにチャーシューが2枚追加された。
衣真くんと店主の会話を黙って聞く。僕はまたモヤモヤの虜になってしまう。衣真くんに東京一のラーメン屋に「ご案内」してもらえるのは別に僕だけじゃないんだ、とか。店主にも「衣真くん」って呼ばれてるなんて、衣真くんは年上の人に好かれすぎて危なっかしい、ほらあのバンドマンがそうだった、とか。
今日はバンドマンに振られた衣真くんを元気付ける会、という趣旨のはずだけど、衣真くんは普段通りの明るい笑顔だ。
もう割り切ったんだろうか。その方がありがたい。だって僕はこれからデートを重ねて、衣真くんに「これはデートなのでは?」と思ってもらうまでお誘いを続けて、そうしてから衣真くんにきちんと告白をしなきゃいけないんだ。
「もう割り切ったの?」なんて聞けないけど。衣真くんの恋愛ステータスは、今は「好きな人募集中」なんだろうか。ちらりと不安になる。
衣真くんの横顔を眺める。はふはふと、すすらずに麺を口に運んでいる。小さめだけど表情豊かな口が、つるつると麺を飲み込むのを見つめてしまう。
「ん?」
不意に衣真くんが僕の視線に振り向く。
「……アッ、いや、綺麗に食べるなと思って……」
咄嗟の言い訳に僕の衣真くんへの好意が滲んでしまった気がした。
「そう? すするのが苦手なんだよ」
「あー……難しいよね」
一瞬、僕の頭をいやらしい考えがよぎって、もう僕は自分が恥ずかしくてどうにもならなくて、麺を一気に箸で掴んで口に入れた。めちゃくちゃ熱い。僕の顔が真っ赤になっているのも、ラーメンが熱いせいって思ってもらえますように。
言葉少なに食べながら考える。東京の大学生で、ラーメン屋の次のデートはどこなんだろう。どこに誘ったら「伊藤くんはぼくが好きかもしれない」って思ってもらえるんだろう。
「お兄さんは? 衣真くんの同級生?」
店内が空いて暇になったのか、今度は店主が僕に話しかける。
「あ、そうです。伊藤
なんとなくフルネームを名乗ってしまった。
「へぇー! 二人揃って秀才だ。え? 下の名前は?」
「『早暉』です」
「ええ? 『今』と『先』じゃない。いいコンビになりそうだなぁ」
衣真くんはケラケラ笑う。僕も少し呆れて笑ってしまった。ベタすぎて今まで誰にも言われなかったことを、衣真くんと出会って1ヶ月半でようやく言われたからね。
あくまで今日は「衣真くんを元気付ける会」なので僕が二人分の会計をした。衣真くんは恐縮するけれど、僕の方こそ衣真くんの失恋にかこつけて僕の恋を進展させようとしているんだから、僕は内心大層恐縮している。
駅へ向かう。今日は初めて「
今ここで、世界に魔法がかかって、衣真くんが僕の恋人になったらいいのになあ。「言っちゃえば?」なんて、太りかけの月が僕を横目で見てそそのかしてくる。
今、触れ合いそうで触れ合わない衣真くんの手を握れたら、どんな感じだろう。やわらかくてあたたかい感触をぼんやりと想像した。胸がきゅんとして、僕はほんとに衣真くんが好きなんだよって言いたくなる。叫びたくなる。
じゃあ衣真くんは、僕が好きなの。
こう考えると、叫び出したいほど盛り上がった気持ちがさあっと引いていく。
——じゃあ早暉は、なんでおれと付き合ったの。
高校の頃、3ヶ月だけ僕は友人と恋人同士だった。「好き」の気持ちはなかったけれど、告白されて、いずれは彼を好きになれるものだと思ったから彼の恋人になった。
それが「なんで」の答えだよ。
——早暉がおれを好きになれないなら、もうやめよう。
彼とキスをした。彼がそれ以上僕の身体に触れることを望んだとき、僕は「できない」と言うしかなかった。できなかった。僕の彼への気持ちはそこまで積み上がっていなかった。
僕が焦って頼み込んで衣真くんとお付き合いできたとして、衣真くんをこのときの僕の立場に置きたくないんだ。「どうして伊藤くんを好きになれないんだろう」って、「好きにならなくちゃ」なんて、衣真くんに思わせたくないんだよ。
ああ、人間の気持ちがもっと簡単だったらいいのに。
僕がたじたじしていないでこの瞬間に手を伸ばせたらいいのに。「僕とデートしませんか」って言えばいいのに。「月が綺麗ですね」なんて、言えちゃったらいいのになあ。
衣真くんはきっと、「漱石はばかだよ」とでも言うんだからなあ。ストレートに言わなきゃ、だめだろうな。
「ねえ。また、一緒にごはん食べに行こ」
これだけ言うのが精一杯だった。
「うん。何が食べたい?」
「うーん、カレーとか」
「いいね! 荻窪も下北沢もカレーで有名だよ。何系のカレーがいいの?」
とんとんと次の予定が決まりそうだ。衣真くん、僕のことを結構優先順位の高い友達と思ってくれてるんだろうか? もしかして、衣真くんが「ご案内」したい新しい友達の筆頭に僕がいるんじゃないだろうか?
来週の半ばにまた会えることになった。サークルと読書会とごはんで3回も衣真くんに会える週。なんてラッキーなんだろう。来週すぐに予定を入れてくれるなんて、やっぱり衣真くんは僕のことを……?
——いいコンビになりそうだなぁ。
店主に言われて最初は呆れていたけれど、次第にその言葉は甘いかたちを取り始めた。「先」という名前を持つ僕が「今」の名前を持つ綺麗な男の子に出会ったのは、「衣真くんを捕まえて未来へ
そんなこんなでカレーを食べた。東京でもタピオカブームは去っていたが、残っている店に連れて行ってもらった。これで衣真くんとのごはんデート(仮)は3回目だ。
それから大学のベンチに集まって、平日のお昼ごはんを一緒に食べた。衣真くんは僕の作ったお弁当を大層褒めてくれて、僕は好感度が上がったんじゃないかと浮かれた。衣真くんは自分で握った大きなおにぎりを食べていた。かわいい。
5月の終わりのベンチは少し陽射しが暑くて、衣真くんの首筋からうっすら汗のにおいがした。僕はそのにおいに気づいて、気づいたことにとても恥ずかしくなって、俯いて、好きなひとの汗のにおいはどうしてこんなに甘く香るんだろうとどうにも泣きたい気持ちになった。
そのあと一人で講義を受けているとき、鼻先に何かふわりと香った。いや、それは衣真くんの汗のにおいだった。僕の脳は好きなひとに焦がれるあまり、香りまで覚えてしまったんだ。
それってほんとに本気ってことで、ほんとに手遅れってことじゃないの。
「好き」の気持ちで苦しくなって、目に涙が浮かんで、講義スライドがよく見えなくなったからずっと窓の外を眺めた。外は快晴から一転、霧雨が降り始めていた。
それから季節は梅雨に入り、僕と衣真くんは一緒に映画を観た。ロマンチック要素は少しもなかったけど、一緒に映画を観たというのは大事だと思う。
衣真くんは僕のことを気にかけてくれるし、最初の頃よりもずいぶん僕に気を許してくれている。衣真くんの笑顔が前より輝いて見えるのは、僕の惚れた欲目だけじゃないと思うんだ。そろそろ「関係性を変えたい」と言ってもいい気がしていた。
僕が衣真くんに告白しない理由がなくなってきた。
わしわしと伸ばしかけの髪をかき回す。もうちょっと伸びたら、結べるようになったら、金髪に染めて衣真くんがそれを気に入ってくれたら……。
衣真くんに告白しない理由をこじつけて、「でも衣真くんはあんなに綺麗なんだから、隣に立つなら素敵でいなくては」って、自分に言い訳ばかりしている。
ある日電車でハーフアップの男性を見かけた。僕も家に帰ってやってみたら、赤ちゃんが髪を結んだときみたいなちょびっとしたひとつ結びができた。
鏡を覗く。髪の上半分がまとまって、ようやく僕の髪型はおしゃれに見えるようになった。
もう言い逃れはできない、でも、こんなちびちびのひとつ結びじゃ恥ずかしいから、あと2センチだけ……。
そうして、僕のタイムリミットは設定された。
振り向いてよ、僕のきら星 街田あんぐる @angle_mc9
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