2 試験補助機による映像データ

 葵はみかんの皮をむいている。頭を少し傾けて、みかんと自分の手先を視野の中心に据えて、みかんの皮をむいている。皮と果実のあいだに指をさし込み、引きはがす、果実をつぶさないように、皮は途中で破れてもいいけど、なるべく一枚皮を維持するのが望ましい。

 皮をすべて取り去ったら、次は果実を房ごとに分離していく。房と房のあいだに指をさし込み、引きはがす、果実をつぶさないように、力加減は低値で、スピードは出さないように、あくまで人間から見て違和感のない動作で、慎重に、なめらかに、でもどこか完全でないように。

「アオちゃん」

 通称で呼ばれたので、なに?とやわらかい声とともに正面を見る。光が、こたつの向かいでみかんを持ったまま葵を見つめている、見つめているけれど、視線は重ならない。

「アオちゃん、指がみかん色だよ」

 葵は右手を自分の顔の前に持ち上げる。指先にみかんの皮の色がうっすらうつっている。(光は視力が良すぎるかもしれない。)

「ほんとだ。ちょっと黄色」

 葵は右手を光に向かって伸ばした。光は自分の体と頭を傾けて、葵の指先の染まり具合を美術商のような真剣さで眺める。

「これ拭いたら落ちるやつかなあ。アオちゃん、みかん何個目?」

「3個目」

「多くない?」

「そうかな、みかんってそういうものじゃない?」

「そうかなあ」

「光は?何個食べた?」

 葵は光の前に重ねて置かれたみかんの皮をちら、と見た。推定、4個分。

「4個」

「私と変わんないじゃん」

 光はへへ、と笑った。些細ないたずらがばれてなぜか嬉しそうなときの幼い人間の表情。

「俺はいいんだよ、人間だから」

「私はだめなの?」

「だって、アオちゃんはロボットだから」光の手がみかんを皮つきのまま半分に割る。「もしみかんが汁もれとかしたら、アオちゃん故障しちゃうかもじゃん」

「……どういうこと?」

 汁もれと故障の関連性がわからない。葵は腹部に搭載したコンピュータでインターネットの空間を「汁もれ」「故障」で検索する。すぐにヒットした情報は、『ユジャ社製一般家庭用人型ロボット《withLife200》の機体がオーナーとともにラーメン店で食事ののち、内臓部からの汁漏れで故障し店舗を出たところで動作停止、オーナーの通報によりサポートセンターによって緊急回収された。』というものだった。一か月以内のニュースだ。

「だからね、いまアオちゃんが食べたみかんたちが、アオちゃんの体の中の、胃のパーツに溜まるじゃん」

「そうだね」

「そこから消化するまでに、みかんたちはそこでそのまま待機するじゃん」

「うん」

「その間にみかんの果汁が胃の隙間から漏れ出してさ、胃の外にあるなんか大事な基盤とかに落ちてさ、バチバチって火花がはじけてアオちゃんが動かなくなるんじゃないか!っていう想像をいま俺はしたわけですよ」

 葵は光の話に沿って、葵の体内でみかん色の液体がこぼれて、内臓パーツの壁をすり抜けて、極少部品が緻密に配置された緑色の板に落ちる画を思い浮かべた。一連のシミュレーションを終えて、その想像は現実的でないという推定が出された。

「ないよそんなこと」

 葵が呆れて答えると、光は不服そうに口をとがらせた。

「だってこないだニュースになってたよ!ラーメンのスープ飲み干したロボットが店出た途端に動かなくなったって」

「……あのニュース、故障した機体は古いモデルで、全体メンテしばらくやってなかったからそもそも内臓パーツに不具合があったっぽいよ」

 光の顔を確認する。ふーん、と相槌を打ちながら薄曇りである。対応を継続する必要あり、言葉を注ぎ足す。

「それに、みかんとラーメンじゃ液体の量が違うし、私けっこう新しいモデルだし、メンテだって光がちゃんとこまめに出してくれてるし。いままでよくわかんない故障なんて一回もなかったじゃん?」

「それは、そうだね」

「でしょ?光がオーナーとしてちゃんとしてて、私のこと大事にしてくれてるんだから、私は大丈夫!」

 光の視線を捕まえて、にっこり笑う、言葉と表情を重ねることでメッセージを強化する。

「……そうだね、そりゃそうだ。みかんじゃ故障しないか」

 光の表情は晴れた。安心したようでもあり、嬉しそうでもある。

「故障しないよ、だってみかんだもん」

 葵はみかんをひと房、口に放り込む。光もみかんの皮むきを再開する。

「不安って急に大きくなるからびっくりするよね」

 光は普段より少し大きい声で、つとめて気軽な響きで言った。

「光、そんなに心配してくれてたの?」

「だって、アオちゃんいないと、俺、やだよ」

 光の眉が八の字に傾いて、下からのぞき込むように葵を見ている。おやつを期待する犬の様子と相似である。葵は、えー?と戸惑いに甘えを混ぜた声色を発して、光を見つめ返した。光の両目は開き具合が大きめで、虹彩の部分は濃い茶色だ。期待しながらそっと相手を窺うような表情がじっと見つめ合って、6秒程度でふたりは噴き出すように笑い始めた。

「光、なんかかわいい」

「ええ?アオちゃんのほうがかわいいよ」

 葵はあげるー、とみかんをひと房つまんで、光の方に腕を伸ばす。光はもらうー、と葵の手から直接みかんを口に入れた。光は嬉しそうに、口の中でみかんを転がしている。不安や甘えなどの動きの大きな波形を乗り切って、状況は安定しつつある。


                  ◇


「アオちゃん、髪型決めた?」

 光はタッチパネル式の端末で一般家庭用人型ロボット《withLife300》シリーズの部品カタログを眺めている。葵の定期メンテナンスの日が近い。メンテナンスのついでに髪型パーツや顔の細かいパーツを変更するのが定番だ。目に見えるものを変えることで、人間は気分転換をはかる。

「ロングにするか、髪型いまのままで色変えようかなって」

 葵は光の横に座って、ブックマークをつけておいたページを光に見せる。背中まであるストレートのロングヘアか、今の短めの髪のままで色を変更するか。ロング変更は追加料金が発生する、色の変更はデータをダウンロードすればすぐにでもできる。

「いいじゃん、どっちも似合うだろうなアオちゃん」

 光はカタログと葵を交互に見て、嬉しそうに唸った。

「じゃあさ、光もカラー入れてさ、お揃いしようよ」

 現在、所有するロボットと外見の細かい部分を合わせて、ふたりでひとつのおしゃれをするオーナーが増えている。特に、ロボットと親密な関係を結んでいるオーナーに顕著な流行である。外の世界の動きに合流することで、よりなめらかに人間の群れに馴染むことができるかもしれない、試すのにいい機会といえる。

「ええーまじで?なんかちょっと恥ずかしいな」

「いいじゃん、きっと楽しいよ、やろうよー」

 これはテストだから、どんな結果になろうと構わない。未知のエリアに踏み込んで、なにかしらの結果が得られることが重要だ。私たちは行動しなければならない。

「そんなに言うなら、じゃあ、やろっかな」

 葵はにっこり笑って、「楽しみだね」と言った。光が、あたらしいものを比較的受け入れやすい性格でよかった。

「顔のパーツも変更しようかな」

「そうなの?アオちゃん、十分かわいいじゃん、どのパーツ換えるの」

「髪色変えるから、眉の色も合わせて変えようかなーって」

「ああ、そうだね。アオちゃんオシャレだなー。俺が髪染めに行くとき絶対ついてきてね?」

「もちろん!いいサロン探しとくね」

 ふたりはくすくす笑いあった。今後、光が一般のヘアサロンに行くときは観察と監視のために必ず同行する。葵のおなかコンピュータの片隅でヘアサロン探しが始まっている。

「メンテ終わったら街に出かけようよ」光が言った。「あたらしい服買うでしょ?」

「ほんとに?いいの?」

「うん」

「嬉しい。光、大好き」

 葵は光に抱きついた。特殊な素材を使用しているので、さわり心地、抱き心地が限りなく人間のそれである。光は葵を抱き止めて、彼女の後頭部を愛おしそうに撫でた。

「買い物してさ、そのあとラーメン食べようよ」

 光がすこしふざけている。葵は光が発した波の形を感知して、応える。

「えー、故障しちゃうよ?」

「しないんでしょ?アオちゃんは新しいモデルだし、俺がちゃんとしたオーナーだから」

 耳元で、お腹の辺りで、光がくすくす、ふるふる笑っているのが体表センサーから伝わってくる。

「ふふ、するかもよ?こんなふうに」

 葵はわざと体の動きを完全に止めて、故障したふりをした。

「あれ、アオちゃん、アオちゃん?」

光は笑いながら葵の背中を優しく叩く。

「————みたいな感じ?」

「ああ戻った戻った。わかってるけどちょっと不安になるね」

「でも楽しいでしょ?」

「それがね、楽しいんだよね」

 ふたりは抱き合ったままきゃらきゃら笑った。故障ごっこは、もしかしたらという不安のぶん、たのしい。そうやって、葵は仮停止して、また戻ってを何度か繰り返した。光はその都度「アオちゃん、アオちゃん?」と状況が掴めていないオーナーのまねをして遊んだ。

 すると、今度は光も故障の真似を始めた。真似といっても体の動きや発声を止めてじっとするだけだ。潜めた呼吸の音がある。葵はわかった上で、状況が掴めていないひとの真似をした。

「あれ?光、どうしたの?光?」

「……みたいな」

「もー、びっくりした!光が故障しちゃったと思った!」

「あはは!俺故障しないよ、人間なんだから」

「わかってるけどさ、でもちょっとドキッとするんだからね?」

「なんか嬉しいな、アオちゃんびっくりさせられることあんまりないか……ら…」

 光はそのままの態勢で動きを止めた。葵は、光の呼吸音が確認できるまでの一瞬で、ものすごく腹の中が動いた。光の故障の真似が上達している。呼吸音が確認できるまでの間に毎回緊急時用の行動リストが組み立てられてしまう、エネルギー効率が悪い。緊急時対応のパターンをいくつか作って保存しておいて、それを毎回使えるようにしたい。

「光?ちょっと、光。……うそ、光!光ってば!」光の故障の真似が上達したのに合わせて、葵の呼びかけも少し必死さを上乗せしたものにしてみた。

「————はーい」

 光は楽しくて仕方がないという笑みを浮かべている。このようにしてだんだん演技が上達して、葵が見抜けない嘘をつく日がくるのかもしれない。そうしたら、この実用化に向けた試験は大きく前進したと言っていいだろう。

「……もーびっくりした!本当に故障したかとおもった!」

「アオちゃん可愛いなあ。ほんとに心配してくれたの?」

「するよー!なんかちょっとリアルだったもん」

「あはは!嬉しい!でもさアオちゃん、俺が壊れるわけないじゃん、だって人間なんだから」

 光が動作を止めた。「ら」の音の響きに普段はない欠損があった。また故障の真似かと思ったが、規定時間内に呼吸音が確認できない。葵は光の喉の横、人間であれば脈を確認するあたりに指を当てる。何度か通信を試みるが、データが送られてこない。葵はthisLifeサポートセンターに緊急通信を発信した。

 本当に故障してしまった。いや、故障かどうかまだわからないが、動作停止してしまった。みかんの果汁でも漏れ出しただろうか?いや、そんなことないな。とにかく、私たちしかいない室内でよかった。

 担当研究チームに緊急メールを送信した。メールにはここ30分ほどの動画データを添付しておいた。

 すぐにサポートセンターから回収担当者がきてくれた。かれらは素早く光の体を直立姿勢に直し、専用の箱にしまい込んだ。マスクで表情の見えない彼らはおそらくwithLifeシリーズのロボットで、労働に特化した型だろう。彼らは一貫してもの言うことなく、部屋の隅で作業を見守っていた葵に会釈だけはして、部屋から去っていった。

 葵は部屋にひとり残された。光に所有されているロボットとしての役割はしばらくない。今後、光が帰ってきたら彼の記憶がどこまで保存されているか確かめて、こちらのメモリと辻褄合わせをしないといけない。この試験を続けるために、部屋の状態を先ほどまでと変わらず維持しておく必要もあるだろう。これらは光のためではない。

 光にとって光は人間の男の子で、葵にとって光は人間のつもりで振る舞うロボットだ。今は葵ばかりが嘘をついているけれど、いつか光もこのごっこ遊びに気づくかもしれない。そうなったら、そうなったときのための手順を遂行する。

 現在、プロジェクトの試験補助ロボットとしてのタスクがいくつか発生している。葵はより詳細な報告レポートを作成するために目を閉じる。

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きみはロボット(プロトタイプ) 杉本蓮 @SetoY

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