君色に染めて

圭琴子

君色に染めて

(ドキドキする……)


 初めてジェンダーアクセサリーを手にして、ケンジはその七色に見とれていた。ピアス、リングなどタイプは様々だったが、ケンジはブレスレットを選んで購入した。左腕に通し、目の高さまで掲げて、そのメタリックな輝きをしげしげと眺める。


 二〇三五年、ジェンダー平等を訴える若者たちの間で流行し始めたのは、自分の性自認などを色で明確に示すジェンダーアクセサリーだった。

 LGBTQIA+ばかりでなく、いわゆるノーマルと呼ばれる異性愛者たちもこぞってそれを身に着け始め、今では恋愛ばかりでなく自身のアイデンティティを表現する際にもアピールされる。


 物心ついた頃から親が買い与える場合もあったし、自分のタイミングで購入しカミングアウトする場合もあった。ケンジは、後者だ。

 幼い頃から、男性にも女性にも好意を抱いたからそれが当たり前だと思っていたが、小学校のジェンダーの授業で自分の性指向を理解し、高校入学を機に貯めていた小遣いで買ったのだった。


 青と赤の組み合わせはノーマル、緑はトランスジェンダー男性など一定のルールがあり、ケンジのものはレインボーだった。レインボーはパンセクシュアル、どのような性指向・性自認の者にも恋愛感情を抱くというサインだ。


 高校の入学式、登校初日に初めて身に着け通学路を辿る。気恥ずかしくて右手でさり気なく隠していたが、やがて同じ色調の制服の群れの中に様々な色にきらめくアクセサリーを見付けて、安堵した。

 二〇五二年現在は制服も男女問わず、パンツ・スカート・キュロット・ワンピースなど多種多様になっていた。もちろん私服登校する権利もあったが、ケンジはかえってその杓子定規さが悪目立ちするほど、平凡だった。白いワイシャツに制服のパンツ。スポーツ刈りの髪は流行色のパープルではなく、生来の黒だ。

 学校指定のバックパックを机に下ろして、席に着く。


 隣の席は窓際で、シルバーの髪を肩先で切り揃えた私服の生徒が、校庭の満開の桜を眺めていた。

 ケンジは何故だか、鼓動が騒ぐのを意識する。外を見ているから、顔は分からない。性別も。ノースリーブの肩は線が細いが、男性とも女性ともつかなかった。それなのに。頬杖をついた手首のしなりが、何とも言えず気を引いた。

 だがシャイなケンジはいきなり話しかけることも出来ず、僅かに見える白い頬をチラチラと盗み見る。

 やがて担任教師が入ってきて挨拶を済ませ、ひとりひとり自己紹介が始まった。


「コウヅキ・ケンジです。よろしくお願いします」


 無難に礼をして、着席する。何気なく隣に視線を動かすと、彼または彼女は、机の上にシルバーの髪を散らして気持ち良さそうに眠っていた。

 考えるより先に、行動していた。手の甲の上に額を乗せて突っ伏している彼または彼女の肘をつついて、起こしにかかる。

 何度目かで目覚め、顔を上げて寝惚け眼でケンジを見た。長い睫毛をしばたたき、前の席の自己紹介が耳に入ったのか、「ありがとう」と小さく呟いて席を立つ。やはり顔立ちも声も中性的で、性別は分からなかった。


「リョウです。絶賛恋人募集中。よろしく」


 そのあっけらかんとしたもの言いに、教室は好意的な笑いに包まれる。掴みはOKというやつだ。

 リョウは、クラスの人気者になるだろう。そう思うと、ケンジは胸が痛かった。目立った欠点もない代わり、自分にはこれといった美点もない。相手にして貰えるとは思えなかった。


「ケンジ、ありがとう」


「え」


 ホームルームが終わったあと、名前を呼ばれて驚く。リョウだった。入学式の行われる体育館に向けて歩く廊下で、隣に小柄でつややかなシルバーヘアが並ぶ。

 豆鉄砲をくらった鳩のように目を丸くすることしか出来ないケンジの表情に、リョウがクスリと笑う。唇は桜色で、あでやかとも言える笑みだった。


「さっき。起こしてくれたでしょ」


「あ、ああ」


 正直、リョウが自分の名前を一度で覚えてくれたことが驚きだった。


「昨日、『機械仕掛けのダンジョンマスター2』、朝までやってたから眠くって……」


 それは、今一番注目を集めているVRゲームの名称だった。二〇五二年において『ゲーム』と言えばVRなのが当たり前で、それ以外は全て『レトロゲーム』と一纏めにされている。

 リョウは、上品に唇を覆って欠伸をした。その小指にはめられたジェンダーリングが目に飛び込んできて、ケンジは思わず息を飲む。

 細い小指には、白いリングが光っていた。白は、クエスチョニング――自己のジェンダーや性同一性、性的指向を探している状態を指す。確固として定まっていない分、パンセクシュアルの自分にもチャンスはある。そう思ってしまってから、ケンジは俯いて自戒した。


(リョウみたいに綺麗な子が、俺なんかを好きになってくれる筈がない)


 生まれてこの方モテたことがないケンジは、若干卑屈になっていた。


「ケンジは?」


「え?」


「機械仕掛け、持ってない?」


「新入生テストで五位以内に入れたら、買って貰える約束なんだ」


「わお」


 リョウは、明るく声を上げた。


「五位以内? 優等生なんだな。……やっぱ、頭悪い奴って軽蔑する?」


「いいや。学校の勉強なんて、基本暗記だからな。勉強が出来ることが、頭の良い証明にはならない」


 成績にこだわる両親への反発も込めて、ケンジは持論を展開する。リョウは、ふうっと細く息を吐いた。


「良かった。私は成績悪いから」


「そんなの関係ない」


「ホント? じゃあ、友だちになってくれる?」


「もちろん! 俺も友だちになりたかった」


 そう応えて笑み交わし、ふたりは入学式に臨んだ。

 少年期の友情というものは芽吹くのが早く、また強固に根を張ってあっという間に大樹になる。それからふたりは毎日一緒に登下校するようになって、互いの家を訪ねてゲームを楽しんだり、ケンジがリョウに勉強を教えたり、親友と呼べる間柄になっていった。

 ケンジは密かにリョウを想っていたが、自信のなさと、性別がハッキリせず自らクエスチョニングとカミングアウトしている彼または彼女に一歩踏み込めず、日々を悶々と過ごしていた。


 ある日、並んで映画を観ていたら、リョウがもたれかかってきた。驚いて横を見ると、居眠りをしているようだ。どうしようかと思っている内に、ゆっくりとケンジの胸板を滑り落ちて、シルバーの髪が膝の上に広がった。全く起きる気配はない。


(え……ヤバ)


 膝の上で無防備に寝息を立てる姿から、目が逸らせずに細部まで観察してしまう。髪は脱色している訳ではないらしく、眉毛や睫毛まで銀色だった。桜色の唇は僅かに開き、思わず親指でそっと触れて柔らかさを確かめずにいられない。


「リョウ……リョウ?」


 小さく呼んでから、ケンジは呟いた。


「俺をそんなに信用するなよ。俺はお前が……好き、なんだから」


「……私も好きだよ」


「えっ」


 赤に近い紅茶色の瞳が、膝の上で笑っていた。


「ケンジ、黒のアクセサリーを買いに行こう」


 黒のジェンダーアクセサリーは、パートナーがいる証だった。裁判官と同じ意味合いで、何者にも染まらず、パートナーに身を捧げていることを示している。つまりそれは、恋人になろうという告白だった。


「ケンジ。ただ私は、ふたつ目の『A』なんだ」


 LGBTQIA+の『A』は、通常アセクシュアル――他者に対して性的欲求を抱かないセクシュアリティを指す。

 だが近年、『A』にはふたつの意味が込められていた。アンドロイドの『A』だ。今や人口の半分ほどを占める高度なA.I.を持ったアンドロイドには、人間と同じく人権が与えられ、結婚も可能になっている。

 他人のセクシュアリティに関する突っ込んだ質問はハラスメントだとされていたが、ケンジは確かめるなら今しかないと思った。


「どちらでも、俺の気持ちは変わらないけど。リョウって、男? 女?」


「男でも女でもない。無性体だ。それでも良いか?」


「ああ。もちろん」


 下から腕を伸ばし、リョウが誘う。ケンジのうなじに指が絡んで、ふたりは初めてのキスを交わした。


「君色に染めて」


 次の日から、何色にでも染まる『白』だったリョウのリングは『黒』に染まり、ケンジのこれも黒いブレスレットの横で揺れるのだった。きっと、いつまでも。


End.

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君色に染めて 圭琴子 @nijiiro365

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