琴柱 最終

増田朋美

琴柱 最終

米田慶さんの葬儀が終わって数週間たった。本来なら、初七日とか、四十九日とか開催されるのだろうが、最近ではそういう事は面倒だと言うことで、省略されることのほうが多いので、開催されなかった。自殺ということで、開催されないことのほうがいいのかもしれない。そういうことなら、それでいいのかもしれない。でも、人間と言うものは、時々どうしようもないもので、しきたりとか、そういうことでは考えられない事を度々起こすのである。

「こんにちは。」

と、ある日製鉄所に知らない声の女性の声がした。

「あの、失礼ですけど、米田慶さんの身内の方はいらっしゃいませんか?あの人、日陽を訪問したときは、名前は明かしてくれたんですけれど、住所も何もおっしゃらなかったものですから、、、。」

「あ!この間の十七絃のおばちゃんじゃないか!」

杉ちゃんがすぐに言った。

「ええそうです。その十七絃のおばちゃんです。」

と、女性はにこやかに言った。

「それで今日は、ここに何のようだ?」

杉ちゃんがそう言うと、

「ええ、米田慶さんの身内の方にちょっとお会いしたいと思いまして。」

と、女性は言った。

「身内の方?一体なにかあったのでしょうか?」

と、ジョチさんが言うと、

「はい。私達、米田慶さんの身内の方がいたら、お線香でもあげさせてもらえないかなと思いまして。あの人、なくなってしまったと聞いたわけですから。生前、わたしたちは、何もできませんでした。本当にすみませんと、彼に伝えたいと思いまして。」

と、十七絃の女性は言った。

「そうなんだね。それでは確かに、でぶでぶに太った人は、本当に心のそこに、優しい気持ちを持ってくれているんですね。ありがとうございます。でも、米田慶さんの住所を教えるということは、どうかな?」

杉ちゃんがでかい声で言った。

「そうですねえ。できれば、教えたくないと思います。だってあなた方が、慶さんを自殺に追い込んだのではないかと、酒井希望さんから聞きました。酒井希望さんの話によれば、そちらの竹芝という人が、慶さんにバンドから出ていくようにと主張したそうですね。それでは、ある意味、米田慶さんの自殺に責任があると思うのですけどね?」

ジョチさんがそう言うと、

「そうなんですよね。竹芝は確かにうちのバンドのリーダーを勤めております。」

と、十七絃の女性は言った。

「そうなんですか。それでは、竹芝という人は、今でものうのうとリーダーをしているんですね。まあ、彼女にしてみたら、邪魔者がいなくなっただけしか見えてないか。」

ジョチさんがそう言うと、

「申し訳ありません!」

十七絃の女性は、杉ちゃんとジョチさんに向かって頭を下げる。ジョチさんと杉ちゃんは顔を見合わせた。

「申し訳ありませんって。」

「そんなこと言われても。」

二人が、そう言うと、

「ええ。仕方ないことはわかっていますが、それでは行けないと思って、こさせてもらったんですよ。あの、竹芝さんは、もうどうでも良いと思っている見たいですけど、でも私は、あの慶さんは、一生懸命やっていたと思います。それでは、彼のこと、否定してはいけないですよね。だから、私は、どうしても彼に謝りたくて。」

と、女性は、申し訳無さそうに言った。

「そうなんですか、、、。」

ジョチさんはちょっと考え込む顔をした。

「それでも、僕たちは、あの可哀想な慶さんに、あなた方を会わせるというわけには、いかんのですよ。彼は、一生懸命やっていてくれていましたから、それをですね、二度と帰ってこない状態にまでしてしまったのは、あなた方ですね。それを考えると僕たちは。」

「そうですよね。本当にすみませんでした。それでは、私、みなさんが受け入れてくれるまで、何回もこさせて頂きます。たとえ日陽を首にされてもいいです。私はどうしても謝りたくて。それではいけませんか?」

と、女性はいった。

「いけませんかというか、慶さんは、自殺に追い込まれてしまったんです。それをしたのは、あなた達だと思うんですがね。その張本人を、彼の家に連れて行くとか、そういう事はさせたくないんですよ。自殺というのは、本当につらいものですからね。本当に病気になって死亡するとか、そういうこととは違いすぎますよ。彼は、自ら命を絶ったということになりますから、そのときの衝撃というのは、ご家族の方にとっては、本当につらいんです。だから、彼の家族はこれからも悲しみに耐えていかなくちゃいけないんです。それをしでかした張本人が、わざわざ乗り込んでいくとなりましたら、本当に、大変なことになることも。おわかりですね。それを考えていただけたら、どうかお引取りください。」

ジョチさんがそう言うと、十七絃の女性は、小さな声で、

「そうなんですね。私達は、そんな事をしでかしてしまったんですね。私達は、どうやって償えば良いのでしょう。私達は、二度と取り返しの付かない事をしてしまったということでしょうか?」

と言った。

「ええ。そういうことだ。人間は、いつかは消えるんだよ。だから、それを忘れちゃいかんのだ。自然に寿命が尽きてどうのとか、そういう事とは、違うんだ。それとは全然違うやり方で、お前さんたちは、彼の事を消しちまったわけだ。消してしまったというのはどういうことかな?いいか、消しゴムで字を消すのとはわけが違う。一人の人間は一人で生きているわけじゃないんだからさ。ちゃんと生まれた家族があって、関わっているやつが居るんだよ。そういうやつらに、悲しい思いをさせたのは、誰なのかな?よく考えてみろ。それをちゃんと考えてから、謝りに来い。」

杉ちゃんに言われて十七絃の女性は申し訳ありませんと言った。

「私達は、一人の人間を消してしまったことになるんですね。きっと、竹芝や、他の人達は、そんなことどうでも良いと思うんですけど、それでは行けないんだって、私は思っていなくちゃいけないんだ。それを忘れては行けないんですね。行けないんですね。いつまでも、いつまでも。」

「そういうことだよ。お前さんは、一生懸命やってた、あの男を消しちまったわけだ。それは、もちろん動かせない事実だからな。そして、大事なことはな。それに対して、どうするかを考えるしか人はできないってことでもあるんだ。人はできることより、できないことのほうが多いよ。だから、それは忘れないほうが良いと思うんだかな。」

杉ちゃんに言われて、彼女はハイと小さな声で言った。

「決して忘れません。米田慶さんの事は。それしか、わたしたちにもできることは無いですよね。彼が、この世からきえてしまっていたとしても、私たちが、忘れていなければ、それが私達にできることだと思います。だから、私は、頑張りますよ。あの組織で。」

「そうですね。そうしてくださいね。それが彼に対して、一生懸命償うことじゃないですか?」

ジョチさんは、小さな声で言った。

「わかりました。」

と十七絃の女性は、小さな声でそういったのである。

「すみません。それでは、失礼します。」

彼女は太った体を小さくして、製鉄所を出ていった。もしかしたら、ウェルテル効果たるものが発生してしまうのかもしれないとジョチさんは言ったが、それでも伝えなければならない事実でもあった。

それから、数日後。製鉄所に、速達郵便が届いた。一体なんだろうとジョチさんが、封を切って読んでみると、

「邦楽バンド日陽、定期演奏会のお知らせ。」

と、書いてあった。杉ちゃんが演目はなにかと聞くと、

「春の海幻想、牧野由多可。あとは、昭和歌謡の曲ですね。」

とジョチさんは答えた。

「指揮は、あの、酒井希望さんがやるそうです。」

確かに、指揮酒井希望と書いてある。

「場所は、富士市ではありませんね。沼津市、東上寺ホール。あら、随分辺鄙なところでやるもんですな。東上寺、、、?」

ジョチさんが少し考える仕草をすると、

「あ!あの米田慶の、菩提寺!」

と杉ちゃんが言った。

「それでは、あの寺にホールらしいものがあるんですかね?」

ジョチさんはそう言って、スマートフォンを出してその寺を調べてみた。寺は確かに一般的な仏教寺院にしては大規模な方で、そこには10人くらいの客が入るスペースがあるらしい。

「先着10名様までですが、ささやかな演奏会を開催させて頂きます。よろしければぜひ聞きにいらしてください、はあ、なんで今になって演奏会するんですかね。それでは、きっと何かの当てつけでしょうか?」

ジョチさんはそういうのであるが、

「まあ、僕たちも聞きに行こう。寺の段差は寺の者に伝えておけばなんとかなるだろう。」

と杉ちゃんは即答した。そういう事で、ジョチさんと杉ちゃんは、邦楽バンド日陽の東上寺で行われるコンサートに参加することになった。

その日、杉ちゃんとジョチさんは小薗さんの運転するワゴン車に乗って沼津の東上寺に行った。その寺には、たしかに方丈と呼ばれているフリースペースがあった。そこに行くと、琴や尺八の音が聞こえてきた。杉ちゃんたちは、寺の僧侶に手伝ってもらいながら、そのフリースペースの中に入った。

中には、10人にも満たない客がいて、舞台に邦楽バンド日陽のメンバーがいた。琴に十七絃に、尺八。ほんとうにこのバンドが有名になっていたら、いろんな人が、取材に押しかけてくるだろう。それくらい、生田流と山田流が不仲なことは、杉ちゃんたちも知っていた。

「それでは、時間になりましたので、始めさせていただきます。演奏を始める前に、まず初めに大事な事をお知らせしなければなりません。私達は、大事な仲間を亡くしました。名前は、もう仰ってもいいでしょう。米田慶さんです。彼は、一生懸命演奏して、わたしたちの仲間になろうと努力してくれましたが、でも、わたしたちが、彼の存在を消してしまったようなところがありました。」

酒井希望さんは、マイクも使わないで、そう話を始めた。

「私達は、彼が入門しようとしてくれたとき、非常に良い人材を手に入れることができたと喜んでおりましたが、それでも、わたしたちは彼を仲間にすることができませんでした。彼は、わたしたちと同じように、邦楽のお教室という酷いところで傷ついていたからです。それなのにどうして仲間になれなかったのか、今更悔やんでも仕方ありません。でも、わたしたちは、あのとき、非常に良い人材を手に入れることができて、悲しい気持ちになることはなく、喜ぶべきだったのです。それが私達のしでかした大きな、大きな間違いでした。慶さん、私達を本当に許してください。それで、私達の演奏を、聞いてください。それでは、彼が、長年愛好していた、春の海幻想を演奏します。」

希望さんはそう言って、指揮棒を振り上げた。そして静かに指揮を始めた。それに合わせて、団員さんたちは静かにお琴を弾き、尺八を吹いた。春の海をロックに変貌させたような曲だけど、一生懸命弾いていた。現代音楽らしく、多少聞きづらいところもあるが、でもお琴らしい演奏でもあった。あの、竹芝という女性も中にいる。もしかして嫌々ながらやっているのだろうか?

それでも、演奏は終わった。

「ありがとうございました。これで私達も、彼に対して償いをすることができました。彼に対して、非常につらい思いをしてきました。いくら、悔やんでも悔やんでも米田慶さんは帰ってきませんから。本当にありがとうございました。それでは、続きまして、昭和歌謡のりんごの歌と演奏いたします。」

再び希望さんが指揮棒を取る。そしてりんごの歌の演奏が開始された。確かにアマチュアのクラブであり、プロの箏奏者がやるような演奏とは程遠かったが、それでも音は取れているし、リズム感もしっかりできている。それでは、もっと活動しても良いのではないかと思うのである。

「それでは続きまして、悲しい酒を演奏いたします。この曲は、、、。」

と、希望さんは、そう言って曲の解説をしている間に、メンバーさんたちは、一生懸命琴の調弦をしていた。調子笛に頼らず、勘で調弦をしているというが、それでも勘が良い人ばかりで、しっかり音は取れていた。

「それでは、演奏いたします。悲しい酒、聞いてください。」

希望さんが指揮を振り始めると、またメンバーさんたちは、曲を弾き始めた。悲しい酒、本当に悲しくなるような曲である。それでも琴のトレモロや、尺八のムラ息などを駆使し、上手な編曲になっていた。

「ありがとうございました。それでは続きまして、悲しみの演奏は終わりましょう。これからは、悲しむときではありません。このバンドも今日で最後の活動をすることになりました。このバンドは、まもなく解散ということになります。残念ですが、、、それが私達の残したことなんだと思います。」

希望さんはいきなりそういう事を言った。

「そうなのか?」

杉ちゃんは思わず言った。それは他のお客もそんな感じだった。

「まあ、まあ、たしかに、犠牲者が出たということは確かだが、でも、それはしなくても良いんじゃないの?」

杉ちゃんがそう言うと、希望さんは、静かに首を振った。

「いいえ、わたしたちは、邦楽というものに触れようというコンセプトでやってきました。私達の願いは、生田流も山田流も超えて一つの音楽を作ることでした。しかし、生田流と山田流の悩みが解消されるどころか、それだけでなく、お琴教室の悪点を話し合うような場所になってしまい、挙句の果てに犠牲者まで出してしまった。それでは、行けないのです。本当は、犠牲者が出ずに、健全にやることが音楽なんです。今の邦楽バンド日陽はまるで衆愚政治です。それでは行けないのです。それでは。だから、もうこのような形態の音楽はできないのだと言うことを私達は短い間活動して、思いました。それではもうこのような感じでのバンドはできない。そう思いました。このような形で演奏するにはどうしても洋楽の力を借りることが必要です。ですが、そのようにすれば、必ず何処かで破綻をきたしてしまうのです。だから、そうなってしまわないようにすれば良いのではないかと思い、一生懸命やってきましたが、それもできないことがわかりました。本当に、悲しいことですが、邦楽というのはそういうものなのでしょう。だから、わたしたちの活動ももうここまでなのです。」

「そうなんだね。」

杉ちゃんは希望さんの言葉に小さい声で言った。

「きっと、また新しいバンドが生まれるでしょう。そしてまた新しい音楽もできるでしょう。そのためには色々乗り越えなければならないことがたくさんあると思うけど、それを今度は乗り越えられるように、わたしたちは、応援していきましょうね。本日はありがとうございました。最後の曲は、川の流れのようにです、聞いてください。」

希望さんはそう言って、指揮棒をとり静かに腕を上げた。静かに音楽が流れ出した。それを聞いて涙してしまう人もいたけれど、杉ちゃんもジョチさんも泣かなかった。そして演奏が終わると、全員割れんばかりの拍手をした。

「それでは、ありがとうございました。最後に、邦楽バンド日陽を応援してくださいましてありがとうございました。本当に私達は、こういう形で音楽することができて、幸せだったと思います。」

希望さんは、静かにみんなに頭を下げた。それを団員さんも見習って頭を下げる。みんな団員さんたちに拍手を送り、いつまでも鳴り止まなかった。

「そうですか。それでは、あのバンドも終わってしまったんですね。それはちょっと、悲しいですね。」

製鉄所で水穂さんと話していたフックさんは、腕の無い左肩を落としてそういう事を言った。

「ええ、今ラストライブを杉ちゃんと理事長さんが見に行っていますが、もう終了する時間なんですけどね。アンコールでもやっているのかな。まだ帰ってこないのですよ。」

と、水穂さんは腕時計を見ながら言った。

「そうですか。曲を作る側としては、まだまだ勉強させていただきたかったし、もっと曲を書いて協力したかったんですが、それは無理でしたかね。」

とフックさんは、苦々しく言った。

「そうですね。やっぱり邦楽は、難しいでしょうね。邦楽は今は、西洋音楽の力を借りないと、隆盛できないでしょうし、まず、邦楽をやっている人が新しいものに理解があるかと言ったらそうでないところが問題だと思いますよ。その世界ですから、ああいう流派を無視して、オーケストラに当てはめてしまうのは、無理があるのではないかな。」

水穂さんは音楽家らしく言った。

「そうですか。なんだかそれも寂しいものですね。邦楽は邦楽で良いものがたくさんありますし、そのまま残ってほしいと思ったんですけどね。先程、春の海幻想を、動画サイトで聞いてみたんですが、まるでショスタコーヴィチですよ。ああいう音楽に変貌する必要があったんですかね?」

フックさんは、大きなため息を付いた。

「そう思われましたよね。僕も邦楽には詳しくありませんが、たしかにショスタコーヴィチを模したような曲がありふれていて、どうもそれをやらないと邦楽はだめになってしまうという風潮があるようです。僕はそんな事しなくても良いと思うんですけどね。日本古来からある音楽をそのまま続けていればよかったのにと思うんですよ。ああいう、現代音楽の作曲家を真似たって、うるさいだけで何もできないでしょ。そんな楽器に無理矢理ショスタコーヴィチの曲を弾かせる必要はありませんね。」

水穂さんもにこやかに笑った。

それと同時に、小薗さんの車だろうか、遠くの方から、車が走ってくる音が聞こえてきた。

「杉ちゃんたち、帰ってきたんですかね?」

フックさんがそう言うと、

「そのようですね。あの音程はそうです。」

と水穂さんは言った。二人の音楽家たちは、杉ちゃんとジョチさんが帰ってくるのを迎えるために、玄関へ向かっていった。

もう石灯籠の影が長くなり始めている。夏が終わって秋の到来なのだった。秋といえば、スポーツの秋とか言うが、芸術の秋でもある。そのなかには、音楽も含まれている。

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琴柱 最終 増田朋美 @masubuchi4996

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