*18 涼やかな紫の瞳は碧眼の娘に恋をしていた

 幾度目になるかしれないつば迫り合いの後、再び間合いを取るべくザングはその場を飛びのく。

 護身用という割には、ゴウホウの剣は長身で良く研がれている。おそらくサチナが逃げ出したのを受け、場合によってはこうして力尽くになることを想定していたのだろう。もしくは刃物で彼女を脅して連れ帰るか。

 対するザングの剣はゴウホウのものより短く、短刀の部類に入るものに見え、間合いを取るにも明らかにゴウホウの方が有利に思われる。

 その上、ザングは剣術の心得があるという程度で、ゴウホウに太刀打ちできるほどの技量があるわけではない。

 以前サチナの兄・グドと北部の山奥に秘宝探しに出たことはあるが、その際役だったのは剣術よりも彼に流れる精霊の血から繰り出される術だった。


(せめて術が使えるように体勢を整えられればいいのですが……)


 術を施すには立ち止まって文言を正確に唱えなくてはならない。しかしゴウホウは矢継ぎ早に剣を振り回しザングを追い詰めていく。

 ザングはそれらをどうにか受け止めながらじりじりと後退していくしかない。


「やあ、どうしたんだ? 剣術の心得があるんだろう? こんな下がってばかりじゃ恋敵として手応えがなさすぎるじゃないか」

「私は、あの方を解放して欲しいだけだ。お前と決闘したいのではない!」

「っはは! 恋人に無様なさまを見せるわけにはいかないからなあ!」


 ゴウホウから剣を一方的に振るわれ、仕方なく受けているザングが事実上の決闘の取りやめを申し出ようとも、先ほどのサチナとザングの姿を目の当たりにしたからか、ゴウホウに冷静さも理性も感じられない。

 一歩踏み込みながらゴウホウはザングの足許を払うように剣を振るい、ザングは後ろに飛び跳ねて避ける。

 舌打ちをしたゴウホウはそのまま剣の刃を振り上げさらにザングの脚を狙う。

 ザングはそれを短刀で留め、グッと押し返す。

 押し返されたゴウホウは片頬を上げてにやりと笑い、剣を構え直した。


「やるじゃないか。そうこなきゃ」

「……どうにも物分かりの悪い様だな」

「その言葉、そのままお前に返そう。後悔しても知らぬぞ」


 そう呟くと、ゴウホウはにやにやと薄笑いを浮かべていた表情からすぅっと笑みを消し、そして次の瞬間大きく振りかぶりながらザングの方に突き進んできた。

 ザングはそれを、今度は右横に跳ねることで避けたが、ゴウホウがすぐさま方向転換してきたのでより間合いが詰まる。その距離、わずか二尺(約六十センチ)ほど。

 ほとんど自分の懐に飛び込まれたとも言える近距離に、ザングは身の危険を覚えさらに身を引く。そこには街を取り囲む土壁が佇み、これ以上後ろへはいけない。

 ザングは壁沿いに右に飛びのき、ゴウホウの剣の切っ先を寸前で交わすことができた。

 しかし切っ先がザングの髪の先に触れたのか、紫紺の髪の束がわずかに地面に落ちる。


「髪か……次は当てる。その、紫の眼に」


 ゴウホウの忌々しそうな呟きに、ザングは一層身を引き締めて剣を構える。

 次の一太刀で、二人の勝敗が決まるかもしれない。それはつまり、サチナの命運が決まるということと同意である。彼女が、自分と谷あいの村へ帰れるか、豪商の道楽で収集された宝物のように囚われの身になってしまうか。


(――何がなんでも、連れて帰らなくては……グドとの約束でもありますし、何より……彼女のいないあの村の景色など考えられない……)


 初めて会ったのは、グドの長の就任の儀式に招待された時だった。成人の儀を迎えられる十四になったばかりのサチナは、村に代々伝わる華やかな刺しゅうの施された晴れ着を着せられていた。

 兄のグドよりも若干金髪の色が淡いサチナの髪は、村でかつて良く採れていた蒼黒石そうこくせきという鉱石を使ったたくさんの髪飾りで飾り立てられていた。

 儀式の間二人の席は隣同士で、初めての大掛かりな儀式に緊張した面持ちのサチナの横顔をザングはいまでも憶えている。

 白磁色の肌に薔薇色の頬、薄く紅をひかれた唇は蕾のようで、その上に並ぶ碧い双眼はどんな湖よりも深い色をしていた。

 こんなに美しい人がこの世界にいるのか――そう、その時ザングは強く思った。

 他人に見惚れるほど心惹かれたことなどこれまで一度もなかったザングは、その瞬間にサチナに恋をしていたのだ。

 はじめは、ゴウホウのようにサチナの美しい姿に惹かれたことがきっかけであったが、儀式のあと数日村に滞在した際にサチナと何度か話す機会があり、その会話の内容から、彼女の聡明さにも惹かれていったのだ。

 とは言え、当時ザングは三十路を過ぎたばかり、サチナはようやく成人の儀を迎える十四歳。とても自分など彼女に恋情を抱かれることなどないと思っていた。

 せめて、仕事の関係で村の近くに来た際などは村まで足を延ばし、ほんのひと目でも良いのでサチナに逢えればと思いながら幾度か足を運んでいたのだ。

 だが、そうこうしている内に、彼女は彼女を収集した宝物か捕まえた蝶のようにしか価値を感じていないような自惚れ屋の大莫迦者に言い寄られて囚われてしまっていた。

 この機を逃せば彼女とは二度と逢えなくなってしまう――その危機感がザングを奮い立たせていた。

 しかし、その想いだけではこの強敵には太刀打ちし難いにも事実だ。


「っはは! もう後がないな。これでお前も終いだ!」


 土壁とどこかの店の山積みにされた空の木箱や桶、樽の狭間に追い込まれたザングに、ゴウホウが滴るような笑みを浮かべて剣を振りかざす。

 もはやこれまでか――と、ザングが命危機を感じて観念の目を瞑ろうとしたその時だった。


「ザング様! 上へ!」


 頭上から名を呼ばれ、上へと促されたザングは、反射的に地を蹴って飛び上がる。

 跳ね上がったザングを追うようにゴウホウが剣を高く構えたまま一歩踏み込もうとしたその瞬間、大量の羽毛とけたたましい鳴き声が響き渡った。


「うわぁ! な、なん……?!」


 サチナによってゴウホウ目がけて鶏をはじめ、うずらや鳩などが数えきれないほど投げつけられたのだ。

 市場の屋台裏には食用や卵を採るための鳥が多く飼育されているのがサチナの目に留まり、急ぎ集めて放ったのだ。

 入っていたと思われる鳥籠からたたき出された鳥たちは半狂乱で騒ぎ立て、その原因をゴウホウと思い込んでいるのか、一斉に飛び掛かっていく。

 あるものは口ばしでゴウホウの手や顔を容赦なくつつき、あるものは羽ばたきで視界を遮っている。

 突然の事態にゴウホウは剣の構えを崩し、狼狽うろたえているようだ。

 これは好機だと悟ったザングは、とっさに短刀を顔の前に構え、こう大きな声で唱えた。


「――火焔劍ほうえんじぇん!」


 その途端に、短刀は二尺ほどの火柱を上げ、ザングはそれを振り上げて羽毛にまみれて戸惑うゴウホウに飛び掛かっていく。

 ゴウホウを取り囲んでいた鳥たちは飛び降りてきたザングに驚いて散り散りになる。

 炎の剣と化した短刀を構えるザングに、今度はゴウホウがわずかに後退る。


「ふん、そんなまじないまがいの剣なんて俺の一太刀で消し去ってや――」

冰鏈ぴんくぁい!」


 後退りしながらも強気の姿勢を崩さないゴウホウに向かってザングが短刀を手にしていない手をかざすと、その手のひらから氷の鎖が放たれた。

 鎖は唖然としていたゴウホウを捕らえ、その場に転がす。

 身動きの取れなくなったゴウホウの許にすかさずザングが駆け寄り、その喉元に煌めく炎の剣を押し付ける。


「彼女を解放するか」

「っひぃぃ! し、しますぅ!」

「彼女を解放し、もう二度と彼女にも彼女の村にも関わらないと誓うか」

「ちちち、誓います! 誓うから、放してくれ! 許してくれぇ!」


 先程までの威勢の良さなど微塵もなくなってしまったゴウホウの姿に、ザングは呆れながら短刀を鞘に納め、息を吐いた。

 無様に地に転がされているゴウホウの周りに、先程放たれた鶏や鶉などが歩み寄ってきてまたもや容赦なく突いていく。

 そしてさらに、市場からも野次馬が集まり出して騒ぎを見届けていた。


「許すか許さないかは法院の裁量に、そしてサチナの考えによります。私の管轄ではありません」


 そう、ザングが言いながら振り返ると、資材の山から下りてきたサチナがこちらを窺いながら駆け寄ってきているのが見えた。



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