*19 お互いの想いを確かめ合い、そして……

「どうしてあのまま門兵のところまで行かなかったんですか」


 ザングの術によって捕らえられたゴウホウが、野次馬の誰かが知らせて連れてきた警護の役人に連行されて行ったのを見届け、羽毛だらけになった路上を片付けたり、逃げ回る鶏たちを捕獲したりして落ち着いた頃、ザングはサチナに向かってこう言った。

 サチナは門兵のところには行かず、近隣の店や屋台から鳥籠をかき集め、ザングを追い詰めていたゴウホウ目がけて投げつけてどうにか攻撃を阻もうとしたのだ。

 作戦は功を制し、なんとかゴウホウを捕らえることはできたものの、一歩間違えばザングはゴウホウの剣の餌食になり、サチナも無事でいられたかどうかわからない。

 危険を顧みず、無茶なことをしたサチナにザングは苦言を呈したのだ。

 感謝されこそすれ、苦言を呈されるとは思っていなかったサチナは、顔を赤らめて言い返す。


「だって! あのままではザング様がやられてしまうかと思って……」

「たしかにあの時私は劣勢でしたが、だからってあんな無茶を……」


 ザングは乱れた紫紺の髪をかき上げて溜め息をつく。その仕草に、サチナは彼が自分に呆れて失望しているように思え、そして悲しくなった。

 自分を守るために命がけで戦ってくれたザングを援護したい一心での行動だった。何故なら彼はサチナを唯一お嬢様扱いせずに一人前の人として接してくれ、そして大切な秘宝とも言える御守りも貸してくれたからだ。

 それは彼に少なからず好意があるからではとほのかに期待していたのに――サチナは、折角再会できたことと解放された喜びを味わう間もなく視界が悲しみに濡れていくのを止められなかった。


「……こんな小娘のやったことなんて、ただの足手まといでしかなかったのですね」

「サチナ?」

「ただあたしは、あなたが……ザング様が、あたしを守ってくださる想いに応えたかっただけで……あたしの、思い上がりだったのですね」


 所詮は兄の旧友が気まぐれにしてくれたことに過ぎなかったのだろう。彼よりもうんと年若い自分が、彼から想い人のように思われているだなんて、ただの自分の思い上がりに過ぎなかったのだ。そう、サチナは察した。

 とんでもない事態に巻き込んでしまったことを詫び、ここからは一人で村へ帰ると告げよう。もう、大丈夫だと――そう、サチナがザングに告げようと濡れている眼を拭って俯いていた顔を上げた時、何かが彼女を包み込んだ。

 サチナが驚いて身を固くしていると、それはほのかなぬくもりをまとったザングの腕の中だった。

 ザングの腕の中だと気付いてさらにサチナが驚いていると、「……そんな顔をしないでください、サチナ。胸が苦しくて、どうかなってしまいそうです」と、ザングの微かに震える声が聞こえた。

 問うように顔をあげると、悲しそうに潤んだザングの眼――紫の眼が揺れてサチナを見つめている。


「私は、あなたがしてくれたことを小娘の足手まといだなんて思っていません」

「でも、門兵のところに行かなかったことを怒ってらっしゃったじゃないですか」

「それは、あまりに無茶なことをあなたがされたからであって……あなたがああしてくれなかったら、いまの私はいません。それは事実です」


 「ありがとうございます、サチナ」そう言いながら、ザングが抱擁を解き、いつの間にか零れ落ちていたサチナの涙が伝う頬を拭ってくれた。

 その指を手に取り、サチナはゴウホウの屋敷に幽閉されてからずっと抱いていて、そしてユイハからの言葉で気付いた自分の中の感情を言葉にして発した。


「――あたしは、あなたが……ザング様が、好きです」


 サチナの言葉にザングは目を丸くし、頬を染めていく。握りしめている指先までも染まるほどに、赤い。

 しかしその手を、ザングはそっとほどいて下ろしてしまう。サチナの眼がわずかに戸惑いの色に染まる。

 ザングはゆるゆると首を横に振り、「……それは、いけません」と、呟いた。


「どうして……」

「私は、ただあなたの兄上からあなたを救い出すように頼まれただけです」

「でも、こんなに命がけでやってくださったのは、ただ頼まれたからというだけではないのではないですか?」


 困ったように弱く微笑むザングに、サチナが迫るように近づいて問うたが、ザングはやはり首を横に振るばかりだ。

 サチナの眼に再び涙が浮かび、頬を伝っていく。


「サチナ、あなたは、小さいとは言え陽寿族の村の長の一族の一人なのです。しかるべき方を伴侶に迎え、グドを支えていくのがあなたのためで、私のような一介の、三十路も過ぎた役人などに想いを寄せてはいけません」

「ザング様は、あたしをお嬢様扱いせず、一人前として取引へ行かせてくださいました。そして、万一に備えて、とても大切な御守りも貸してくださった。あの指輪があったから、あたしはザング様に遇えたのでしょう?」

「……ええ、たしかに、指輪にあなたがどこにいるかを探れるようにまじないをかけておきましたから、あなたとこうして見知らぬところでも迷うことなく会うことができたのでしょう。でも、それだけの話です」

「それは、あなたがあたしを想ってくれているからではないんですか? 想っていてくださったから、大切な指輪も貸してくださったし、捜しにも来てくれて、命がけで戦ってくださった。そうでしょう?」

「ですが……」


 サチナの言葉に申し訳なさそうに俯いているザングの手を、再びサチナは握りしめ、ザングへの想いをつむぐように呟いた。


「何度でも言います。あたしは、あなたを愛しております」


 濡れた碧い眼でまっすぐに涼やかな――しかしいまは恋情に濡れている紫の瞳を見つめながら、サチナははっきりと告げる。

 まっすぐな彼女の言葉は、恋情のままに動くことを戸惑う彼の心を揺さぶり、新たな決意をさせる充分だった。

 ザングの手を握りしめているサチナの手にもうひとつのザングの手が重ねられ、ザングは彼女の手の甲にそっと口付けをしてこう告げた。


「――私も、あなたを……サチナを愛しています。この想いを受け止めてくださいますか?」


 サチナはすぐさま長身な彼に抱き着き、「――もちろん、喜んで!」と、大きな声で微笑みながら言った。

 熱烈な返答にザングは少し驚きながらも、やがてそっと小柄なその背を抱いてくるりと数回彼女を抱きしめたままその場で回ったって笑う。

 ふわりと淡く酒の匂いがした気がしたのは、彼女が閉じ込められていた場所によるものだろう。

 しかしその酒気さえすぐに蒸発してしまうほどに、二人は熱く見つめ合い抱き合い、そしてどちらからともなく唇を重ねる。


「村に帰って、あんちゃに今回のことを報告しなきゃですね」

「そうですね、きっと今頃心配でやきもきしているでしょう」


 抱き合ったままくすくすと笑ってそうザングが言うと、サチナはくすくすと笑い、こう言った。


「そうね。あんちゃはきっと首の長い竜のようになっているわね」

「ええ、きっとそうでしょう」


 そう、ザングが言ったかと思うと、サチナを高く赤子にするように抱き上げ、「何よりもこうしてあなたが無事なのが一番です!」と、破顔した。

 抱えあげられて見おろした紫色の眼はやさしく美しく煌めきながら彼女を見つめている。

 文字通り、天にも昇るほどの幸福感を覚えながら、サチナは随分と久しぶりに心からの笑みを浮かべる。

 彼女の輝かんばかりの笑顔を、ザングはこの世で最も美しく賢い笑みだと思いながら愛しさを募らせていく。

 はしゃぐふたりの姿を、野次馬だった人々も微笑んで見守っていた。



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