*12 知から得る鍵を活かすための策を練る

 サチナが幽閉されている部屋にはたくさんの書物が置かれている。農耕や貿易など分類は様々で多岐にわたる。

 サチナはそれらを一冊ずつ手に取って内容を吟味しながら、あることを調べていた。


(こんなに本があるのなら、きっとこの街に関することが書かれたものだってあるはずだわ)


 サチナは、ゴウホウの店舗兼屋敷が構えられている乙巳の街に関することが書かれた本を探していた。

 街に関すること、特に街の歴史や風土に関する内容は時にその街特有の建造物に繋がることがあるからだ。

 例えばサチナの村は谷あいで乾燥と日照りが特徴的で、慢性的な水不足に悩まされた過去がある。そのため家々の屋根は雨水をためやすい構造になっていたり、粘土を乾かした土壁を利用して造られた建物があったりする。

 一見すると乙巳はサチナの村よりも気候が安定していて、これといった特徴がないようにも思われるが、どの街にもなにがしかの歴史や謂れがあるはずであることを、サチナはこれまで学舎がっこうや家にあった蔵書で学んで知っていた。

 本棚の端から端まで次々と書物を取り出しては捲り、戻し、また次を取り出し……を、朝餉を済ませてからサチナは繰り返している。


「まあ、お嬢様、こんなに本を出してどうされたのです?」


 侍女のユイハが、午前のお茶と茶菓子を盆に載せて部屋に入ってきながら目を丸くする。

 「面白そうなものがないか捜しているの」と、サチナは苦笑しつつも、その内容を悟られないように出しっぱなしにしていた数冊を棚に戻していく。

 「お裁縫の本ですか?」ユイハも出している書物を手に取り片付けるのを手伝ってくれながらそんなことを訊ねてくる。

 まさか屋敷の特徴を探りたいから街の歴史や風土に関することを調べている、とは素直に白状するわけにはいかないので、「ああ、うん、まあそうね」と、曖昧に微笑んでごまかした。

 ユイハはそれならば、と言っていましがた調べていた棚とは反対側の棚の下のほうから一冊を取り出して開いて見せた。それは様々な絵柄を載せた刺繍の図案集だ。

 サチナの村にも特有の刺繡を晴れ着などに施すことがあるが、開いて示されたものは村で目にするものとはだいぶ異なっていた。

 慢性的な水不足の解消を願っていたサチナの村では水や水滴、雨を題材に扱うものが多かったのに対し、商業の発展している乙巳では集客や貨幣などを扱うものが多いようだ。

 半ば躍起になって街のことを調べることに没頭していたサチナは、思いがけない息抜きに顔をほころばせ興味を惹かれる。


「街によって随分違うのね、扱うものは。あたしの村では水とか雨とかが多いの」

「刺繍の模様は人々の願いを込めて施されることが多いと言いますからね」

「そうね。……あら? これは何の模様?」


 いくつか図案を眺めながら書物を捲っていると、一つの図案がサチナの目に留まった。

 それは大きな四角に持ち手のような曲線がついていて、四角の枠の中には竜や虎、大型で牙を持つ犬の模様が描かれている。どうやら錠前のようだ。

 縁起を担ぐものとは少し違った意味がありそうなその図案を見ていると、ユイハは、ああ、とうなずいて答えた。


「これは盗人ぬすびと除けでございますよ」

「盗人除け? 泥棒が来ないように、ってこと?」

「左様でございます。新しいお店へお祝いに刺繍された布を贈ったり、何十年も繁盛している店の繁栄を祈って壁に描いたりするんです」

「へぇ……おもしろいわね」


 思いがけない形で街の特徴を聞き出せ、サチナは俄然興味を惹かれる。

 ユイハはサチナが街に興味を持ってくれたことが嬉しいのか、腰を据えて話を続ける。


「まあ、盗人だけならまだしも、盗みをはたらく者の中には火付けもいたりするんです」

「火付け! 火事を起こすってこと?」

「入り込んだ家に盗めるような目ぼしいものがないと、盗人は腹いせに家に火をつける者もいるとか聞きますね」


 物騒ね、とサチナが思わず顔を強張らせると、ユイハは大事ないと言うように鷹揚に微笑んで、中庭が臨める大きな窓の下を指した。そこには大きな布が掛けられた何かが置かれている。

 ユイハがそっと布を捲ると、大人がひとり入れそうなほどの大きさの行李こうりが置かれていた。

 これが何だろうかとサチナが首を傾げていると、「消火用の井戸でございますよ」と、ユイハは応える。


「井戸がこんなところに? まったく気づかなかった」

「厳密に言うと、井戸というよりも裏の丘から湧いている水をひいているんだそうです。屋敷のあちこちにあります」

「それなら火付けが来ても、燃え広がる心配は少ないかもしれないわね」


 そう言いながら行李の側面や掛けられている布を見ると、たしかに火事除けの象徴とこの国で広く知られている魚の模様が細かく描かれていた。

 乙巳の街の屋敷特有の仕掛けを知り、サチナは感心したように引き続きユイハと刺繍の図案を眺める。

 サチナの屋敷にも井戸はあるが、この屋敷のように各部屋に配置されるほど行き届いてはいない。屋敷の門前に一つ、村人と共用で使うものがあり、後は月桂樹畑の水撒き用にも設けられている。


(月桂油が高く売れたなら、もう一つくらい屋敷専用の井戸が造れるかしら)


 そうなったら水源はどこから引くのが良いだろうかと想いを巡らせていると、ふと、サチナはあることが気にかかり、ユイハに訊ねてみた。


「ねえ、この消火用の井戸は、裏の水源から引いているのよね?」

「ええ、そうですよ。昔かなり大掛かりな工事をしたとかで、すごく丈夫な水路をひいているんですって」

「丈夫な水路……それって、規模も大きいのかしら?」

「さあ……ニ~三年に一度は大掛かりな点検をされるので、工夫こうふが入れるくらいなんじゃないかと思いますよ」


 ユイハの言葉に、サチナは小さな閃きを覚え、そして一人心得たように小さくうなずく。

 サチナの様子にユイハはきょとんとした顔をして、やがて、「いけない!」と、声をあげて立ち上がった。どうやら先程持ってきたお茶が、書物に夢中で冷めてしまったことを今さらに思い出したらしい。


「申し訳ございません! 今すぐ淹れなおしますので!」


 そうユイハは言い置いて、バタバタと部屋を出て行く。

 サチナはその姿と気配が感じられなくなるのを確認して、改めて先程の消火用井戸が隠されている行李の上に掛けられた布をそっと捲る。

 行李は消火用というだけあって、簡易なかんぬきをされているだけですぐに使用しようと思えばできるようになっているようだ。

 辺りをもう一度見渡し、サチナはそっと音をたてないように閂を外して行李の蓋を開けてみる。

 たしかに中からは大きな口を開けたような井戸が現れ、サチナはその中を覗きこむ。

 井戸の中は暗く、しかし水は思ったよりも下位にあるようで、それを行李の中の側面に設置された滑車引き上げる仕掛けになっている。

 滑車の強度はどれほどなのかわからないが、その下に続く水路は人の手が加わっていて頑強そうだ。


(――これが、外の水源に続いている……)


 サチナは手早く行李の蓋を閉じ、閂をし、布を元の通りに被せて本棚の前に戻る。そして何事もなかったかのように先程まで手あたり次第取り出していた書物を適当に一冊取って広げる。

 しかし彼女の関心は書物の紙面上にはなかった。書物の字や図案を目で追うふりをして、彼女はひとつの賭けを実行するための策を練り始めていた。


(――きっと帰ってみせる。絶対に嫁になんてならないんだから……)


 昨夜胸に刻んだ決意を新たに、ユイハが改めて淹れ直してくれたお茶が運ばれてくるのを待ちながら、サチナは書物を読むふりを続けていた。



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