*11 堅物のお役人の心を惑わせる翼

 ザングの仕事は、干支国の西の都、それも午馬河沿いの商業の盛んな地域の戸籍管理や租税に関する仕事を請け負っている。

 その関係で市井に出回ることが多く、乙巳おつみの豪商であるゴウホウの噂も耳にしたことが幾度もあった。偉丈夫で闊達な様子を窺わせる、しかし商売においてはかなりのやり手で、手段を選ばない傾向にある、と。

 そのため小さな取引先などが強引に不利な取引を押し切られ、泣き寝入りする場合が多いと役場に相談を持掛けられることもなくはないのだとも聞く。

 ザングはその仔細内容を調べることにした。


「ザング殿、ずいぶん熱心に調べものされているな」


 昼餉の休憩も忘れてザングが役場の奥にある書庫にこもっていると、同僚のハナキから声をかけられた。ハナキもザング同様中途の役場採用で、何かと気が合うのかこうして仕事に没頭しがちの彼を気遣ってくれる。

 山のように積まれた書籍の中からザングが顔をあげると、深い緑色の髪のザングより歳が少し若い男・ハナキが何か包みを掲げていた。


「休憩しないか。あまり根を詰めると身体に良くないぞ」


 焼餅を買ってまいった、とハナキが言うので、ザングもひとまず休憩することにした。

 二人並んで書庫を出て、そのすぐ脇にある東屋あずまやにある腰掛に座り、ハナキが包みを開く。まだほんのりと湯気を立てる焼いた餅が現れた。

 一つずつ手に取り、ザングとハナキは餅を頬張る。餅には醤油がかけられていて、香ばしいにおいがする。


「ああ、とても美味しい。ありがとう、ハナキ」

「随分と熱心に調べ物をされていたようだが、何か気になる事でも?」

「ええ、少し……」


 ハナキの質問にザングは餅を持つ手を止めて簡単に事情を話しだす。

 まず、先日の休暇で旧知の仲である陽寿族の友の村に行き、そこで月桂油の取引を乙巳で行っている若い娘がいた話をした。そして彼女が乙巳の豪商・ゴウホウとの取引に際して少々苦慮していることなども。


「彼女はおしとやかながらも肝が据わっているようで、多少の強引なやり方程度では動じていないようなんですが……如何せん、若い娘ひとりでの商いなので妙なことに巻き込まれやしないかと」

「それで心配で、ゴウホウに関する情報を集めている、というわけなんだね?」

「まあ、そういうところです。……とは言え、ここにあるようなことはもう既に彼女は知っているとも思えますが……」

「そうだねぇ、役所に上がってくるものは氷山の一角だと思っていいだろうな。こう言っては何だが、商いの世界は我々役人が思っている以上に深くどろどろしている。私情も絡んだ面倒ごとも少なくはないとも聞くしね」

「やはりそうですか……」


 食べかけの餅を手に俯いて呟くザングを、ハナキは不思議そうに眺める。

 普段のザングであれば、どちらかというと役所を訪ねてきた市民からは冷たい印象を持たれがちで、実際与えられた仕事を淡々とこなしているように見受けられるし、ザング自身も必要以上に特定の相手に肩入れはしない。過剰な肩入れは公平公正な立場を取らなくてはならない役人としてあるまじき行為であると考えているからだ。

 とは言え、旧知の仲である者に頼られれば多少の融通を利かせるくらいの柔軟性は持ち合わせてはいるのだが、おおよその周囲のザングへの一生は堅物で冷徹、といったものだ。

 その彼が、職場で堂々と仕事を放り出して私事の調べものに耽っている。ザング本人もいまの状況に戸惑いがあるようで、ハナキに事情を説明しながら苦笑している。


「……おかしいと思うでしょう? 堅物役人が仕事以外のことに精を出しているだなんて」

「あ、いや……まあ、そういうことがたまにはあるものだろう、日々生きていると」

「まあ、そういうことですかね……」

「それはそうと、ゴウホウのことで何か目新しいことでもあったのか? 租税をごまかしているだとか」


 納税の額をごまかすにしても、ゴウホウほどの者になれば賄賂などを多額に積んで露呈し難い方法を取るだろうことはおおよそ考えられ、そもそも役所の記録に残るようなわかりやすく大きな揉め事を引き起こすとは考え難いとも言える。

 とは言え、先述したように商売のやり方に少々強引なやり方が見受けられるため、取引相手から苦情めいた申告はなくはない。しかしどれも証拠不十分でうやむやにされている。


「いろいろと手広くされているようなので、どこかでぼろが出そうなものなんですけれどね……なかなか手強そうで」

「まあ、相手は乙巳の中で指折りの豪商だからな……こちらもあまり敵には回したくはないというのが上の本音だろうよ」

「とは言え、実際彼は彼女の許を商売と関係なしにたびたび来訪したり、翼をよこしたりしているようで、最近では月桂油の取引額を跳ね上げる代わりに嫁に来いと言い出しているとかで」

「うーん……言葉だけ聞くとただ鬱陶しくて相手にしたくない人物だが……実害が出ているというわけではないんだろう?」


 ハナキの言葉に、ザングはまたも溜め息をついて俯く。そう、まだ実際に彼女に被害が出ているわけではなく、取引に大きな差し障りが出ておらず、ただ過剰な接触をされていると言われればそれまでなのだ。

 しかしザングは、先日たまたまゴウホウの来訪時に居合わせた時に感じた彼と彼女の間に漂う雰囲気から言って、あまり良いものとは言い難いと思っている。

 ゴウホウの来訪前後で彼女の、サチナがまとう空気や雰囲気が明るく澄んだもののから困惑と戸惑いのにじむものに変わっていたようにザングは感じていたからだ。


「ただの良い取引相手なら、訪ねられても翼をよこされても困惑するような表情をちらりとでもすることはないと思うのです。ただの私の気のせいであるならいいのですが、それにしてはあまりに彼女の表情は沈んでいたので……」


 愁いすら感じさせたサチナの碧い眼を思い返すたびに、ザングは何か彼女のためにできることはないかと考え込んでしまう。

 あの日紫水晶の指輪をお守りにと手渡したのは、あの日の夕餉の後にゴウホウとの関係で困惑する彼女とその家族の力になれることがそれしかないととっさに判断したからだった。

 幸い彼女の家には有能な闇の魔術の使い手がいるため、彼女の実に何か不測の事態が降りかかった際に彼女がザングの名を呼べばそれが彼に伝わるようなまじないを協力してかけてもらうことができた。

 しかしあくまでそれは非常事態に備えての策なので、そうなる前に何か対策が打てないかと思っての調べ物の日々なのだ。

 サチナの身を案じて考え込むザングに、ハナキが餅を食べ終えた指先を舐めながらくすりと笑って言う。


「ザング殿でも心ここにあらずになる程の心配事を抱えることがあるんだな」

「ハナキ、私を何だと思っているのです」

「気を悪くしてしまったら済まない。ただ、いつもならこんなに思い悩みながら物事に取り組んでいる姿なんて滅多に見せないではないか」

「私だって悩むことぐらいありますよ」

「冷静沈着で堅物とさえ言われるザング殿を、ここまで悩ませて気をもませるなんて、その娘はそんなに魅力的なんだな」

「サチナはそんな誘惑的な女性ではありません! 彼女はまっすぐで賢く勇敢で、村のためを思って日々身を粉にして……」


 ハナキの言葉にザングは思わずカッとなって座っていた腰掛から立ち上がって声をあげ、ハナキはいつになく取り乱した様子のザングにぽかんと口を開けて見上げる。そしてやがて、おかしそうに腹を抱えて笑い出した。


「な、なんですか……」

「いやいや、ザング殿も人の子なんだなと思ってね。失礼、サチナ殿がまるで誘惑的なように言ってしまったな」

「いえ、あの、その……」


 伐が悪くなってゆるゆるとまた腰掛に座るザングは顔を赤くしながら残りの餅を頬張る。

 ハナキがそんな様子のザングを何か言いたげに微笑みながら眺めていると、どこからともなく羽ばたきの音が聞こえてきた。

 二人が顔をあげると、遠く上空からこちらに向かって一羽の鳩が舞い降りてくるのが見える。

 ザングが再び立ち上がって手を差し出すと、灰色の翼の鳩は慣れた様子で彼の指先に止まった。

 手早くその足に括りつけられた筒から紙を取り出して広げ、ザングは顔を曇らせる。


「どうされた、ザング殿」

「いましがた話していた陽寿族の村の友からです。……彼女が、取引に出たまま乙巳から帰ってこない、と」

「え? 帰ってこない?」


 翼はサチナの兄・グドからのもので、半月ほど前に乙巳のゴウホウの家に月桂油の取引に言ったままサチナが彼の屋敷に留め置かれ、使いの者が迎えに行っても解放してもらえなかったという旨が書かれていた。そしてこのままでは、サチナがゴウホウにめとられてしまうかもしれない、とも。

 手紙の内容を大まかにハナキに話しながらも、ザングの表情は硬く険しくなっていく。


「これは誘拐のようなものではないか?」

「そうとも言えますが、おそらくゴウホウは村の使いの者を言いくるめてどうにか正当化しているのでしょう。確たる証拠がなくては我々が向かったとしても同じことをくり返すだけになってしまう」

「しかしそれでは彼女は……」


 手紙を握りしめながらザングは逡巡する。その中には先日の来訪の際にサチナが見せた月桂樹畑に対する思いやひたむきさ、そして思いがけず感情的になってしまって慌てたりする意外な一面が過ぎり、胸が締め付けられた。

 あの美しい碧い瞳の笑顔をもう目にすることができない、しかも、彼女の想いを踏みにじるような相手の許に置かれてしまうかもしれない――そう思うだけでザングは居ても立っても居られない思いだった。

 彼女の許へ向かいたい……しかし、どうすれば……そう、ザングが唇を噛んで思いを巡らせていると、頭の奥の方からかすかに彼を呼ぶ小さな声がするのが聞こえたのだ。


「……サチナ?」

「ザング殿? どうされた?」


 目の前にいるのは同僚のハナキであるのに、いまたしかに耳に聞こえたのはあの碧い眼の娘の声――彼女が自分に助けを求めている。そう、ザングにははっきりと聞こえた。

 ザングは意を決しハナキの方を向き直ってこう述べた。


「ハナキ、七日ほど私の業務を請け負って頂けますか? 御礼は追ってさせていただきます。――人を、捜しに行かなくてはならなくなりました」

「心得た。礼ならその内そこの飲み屋で溺れるほど飲ませてくれればいい」


 にやりと笑うハナキの笑みにザングは安堵したように息を吐いて深く彼に頭を下げ、「ええ、午馬の流れよりもたくさん飲ませてあげますよ」と、顔を上げて笑う。

 そうしてザングは再び陽寿族のグドの村へ向かうこととなる。今度は、大切な彼女の身を救い出すために。



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