*4 紫紺色の御守りと約束
結局、グド達のサチナの身を案ずる想いよりも、彼女が自らの仕事を責任もって取り掛かりたい心意気が強く、グド達が根負けする形で次回の取引にもサチナが向かうことになった。
「今度の取引でゴウホウの家とのかかわりを最後にする」という約束のもと、どうにか許されたのだ。
取引は人目の多い場所で昼間に行うことなど、まるでサチナが、取引そのものが初めてであるような注意を並べるグドに、サチナは内心うんざりしていた。
(あんちゃやフリトがそうやって過保護だから、あたしはいつまでもお嬢様商売だ、なんて言われちゃうのよ)
サチナが言っていたように、生産物の取引に訪れるものの中にはサチナのように若い娘も少なくはないし、アズナほどの歳若い子どもも中にはいる。
若くても女性でも付き添いなしに取引を行っている同士を知っているので、サチナは自分ばかりが兄たちの手をわずらわせてしまうことが歯痒くもあった。
彼らにとって、自分はいつまでも背守――この辺りの地域では七歳になるまでの子どもの着物につけているお守り――をつけているような幼い子どもと変わらないままなのかもしれない。
若くして父親代わりを買って出てくれていたグドと、その伴侶とも言えるフリトなりの愛情なのだとは頭ではわかってはいるものの、腑に落ちているわけではないのだ。
「はぁ……もう
自室に明かりを灯して月桂油の生産に関わる本に目を通しながら、サチナは溜め息をつく。
月桂油の取引を請け負うようになってそろそろ四年ほどが経とうとしている。取引先も最近では両手で足りないほどに増え、それに伴って月桂油の生産量もじわじわとではあるが上がってきている。
グドは長としてその成果を喜んでくれているとばかり思っていたのに――彼の前では自分はただの幼いままの妹でしかないのだろうか。そんな思いが胸の中に渦巻いていた。
もう一度溜め息をついたその時、部屋の入り口に提げている暖簾がそよぐ気配と、「サチナ」と、彼女を呼ぶ声がした。
そろそろ家の者たちは眠りにつく頃だろう時分の来訪者に驚いて振り返り、その来訪者に更にサチナは驚いた。
「ザング様? どうされたんです?」
今頃になって昼間突き飛ばした件への恨み節だろうか? などと一瞬考えはしたが、それにしてはザングは穏やかな雰囲気をまとっている。
読んでいた本を閉じ、ザングの方へ身体ごと振り返ると、「いま少しよろしいですか?」と、ザングが訊ねてきた。
「ええ、どうぞ」
サチナが開いている木製の椅子を勧めると、ザングはそれにそっと腰をおろして前かがみの姿勢を取り、膝に頬杖をついて黙っている。
思いがけない相手と思いがけず二人きりになってしまい、サチナは少し困惑していた。ザングの来訪の目的がわからないからだ。
少しの間の沈黙があって、サチナが改めてザングに用件を訊ねようと口を開きかけた時、ザングは袍の袂に手を入れて何かを取り出し差し出してきた。
「……指輪、ですか?」
差し出されたのは小ぶりではあるが美しい色合いの紫色の石のついた金の輪の指輪だった。
指輪の輪の金属部分は随分と使い込まれた様子でくすんでいるが、細工は見事なものでかなり謂れのあるもののように見受けられる。
サチナはザングに促されるようにそれを手に取り、明かりに透かして見る。紫の鮮やかなきらめきが彼女の碧い目と交じり合う。
「きれいですね」
「これは、若い女性の身を守ると言われている、我が家に伝わる指輪です。紫水晶には心の平和や誠実といった言葉があり、手にしていると心が安らぐとも言われています」
「まあ、素敵ですね」
「もしくは、手にしていれば酒に酔わない、とも言われていますが」
「ええっ、そうなんですか?」
初めて目にする鉱石の初めて聞く謂れと効用にサチナは興味を惹かれる。
鮮やかでやわらかな紫のきらめきは、たしかに見つめていると心が安らぐような心地もする気がした。
ザングの家系は氷と炎の精霊の血をひくとサチナも聞いている。そうした精霊の関わるものは身を守るものとして重宝され、受け継がれていることがこの国ではよくあることだ。
サチナの家にも、精霊は関わってはいないが、蒼黒石で作られた鋼色の弓矢が伝わっており、代々長になったものが手にできるとされている。
そのような貴重なものをどうして今自分に見せに来たのだろうとサチナが首を傾げていると、ザングはそれを再び手に取り、そしてそっとサチナの右薬指にはめた。
サチナが驚いた顔をしてザングを見ると、ザングはいつもと変わりない涼やかな目でまっすぐ彼女を見据えてこう言った。
「これをあなたにお貸ししましょう」
「え、そんな……こんな大切なものを、何故?」
「次の取引が無事に滞りなく済むように。この指輪はきっとあなたの身を守ってくれます。先程私と、フリトで
「ザング様……」
「何か身に危険が迫った時、この指輪を握って私を呼んで下さい。必ず、助けに参りましょう」
指輪を嵌めた手からザングの手が離れていくのを、サチナは何故かほのかに名残惜しく感じていた。自らも気づかないほどに、ほのかに。
自分のことに関心などないと思っていた相手からの思い掛けない心遣いに、サチナは少なからず感激をしていた。
「ありがとうございます! 指輪は必ずお返しいたします」
「いつでも構いません。取引が無事に済みますように」
それでは、と言って、ザングは立ち上がって
紫水晶の指輪を右の薬指に嵌め、サチナはその晩眠りにつき、眠りに意識がまどろむ中で昔聞いた話を思い出していたのだ。
昔――まだこの村に確たる水源ができたばかりの、サチナが幼い頃の話だ。
“闇の月”という、この国に伝わる秘宝により、慢性的な水不足にあえいでいたこの村に新たなる水源となる井戸がいくつかもうけられた。
栄養のない枯れた土地だったむらのあちこちには小さいながらも水田や畑もでき、暮らし向きも安定し始めていた頃だ。
「“闇の月”を手に入れられたのは、ザングが紫水晶の首飾りを手渡してくれたからなんだ」
緑に覆われ始めた、かつて枯野の様だった村を丘の上から眺めながら、グドはそう言っていた。
あれがなかったら、きっと今頃自分たちは宝の主の竜に一飲みにされていただろう、とも。
またフリトによれば、ザングは「
それから、かつてグドとフリトが仲違いして、二度と会えなくなるのではというほどに離れ離れになった際も、再会に手を貸してくれたのだと言う。
だからグド達はザングには非常に恩を感じているし、頼りにもしている。
月桂油の最初の販売路のたたき台を示してくれたのも、職業柄、西の街の事情に詳しいザングだったとも聞いている。
グドらとの出会いこそ偶然だったかもしれないが、それ以降の関係はただ昔馴染みだからというには手厚いようにサチナは感じていた。
(――ザング様は、あんちゃやフリトと縁が深いのね)
夢うつつにまどろみながら過ぎった考えにふわりと微笑みながら、サチナは身を守るためにと貸与された指輪をそっと左の指先で撫でて眠りにつく。自分にもそういった兄たちと深い縁のある彼のもたらす良い影響の欠片でも訪れたらいいのに、と思いながら。
その良い影響の意味が、単純に例の豪商の息子との悪縁を断ち切ってくれるような強いものであってほしいと願うものなのか、それとも彼女に何か幸福をもたらしてくれるかがやきのようなものなのか、サチナ自身にもわかってはいなかった。
たしかに願っているのはただ一つ、次の月桂油の取引が滞りなく済むようにということだけだった。
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