三人目 bottom of memory
彼女の絵を描き始め2週間が過ぎ1枚目が完成した。シンプルな鉛筆画だ。製作中彼女はただモチーフとしてそこに座り続けていた。初めての人物画で不安だったが完成品を見ると、彼女はうれしいと笑ってくれた。その笑顔は以前と違いどこか優しく、哀しい目をしていた。
「君さえよければまた私を描いてほしい。」
俺は楽しかったのだ、今まで描いていたどんな風景画よりも人を描くことが楽しかったんだ。俺は喜んで、と了承した。
それ以来彼女との不思議な関係が始まった。友だちでもなければ部活仲間でもない、ましてやクラスも違う。絵を描く人間とそのモチーフという関係でありそれ以外は特に関わり合いもなく、ただそれだけの関係だったが、それでも俺にとっては特別であった。
俺は彼女を描き続けた、何枚も彼女の絵を描いた。鉛筆画に水彩画、油絵やら色々だ。でも、俺の彼女への興味は尽きることなかった。様々な彼女を描いた、違う服装、違う髪型、違う表情いろんな彼女を描いた。ある日彼女が聞いてきた、
「私ばかり描いて君は飽きないの?」と
俺はそこらで風景画を描いているよりも何百倍も楽しかった。それを彼女に伝えると「君といると退屈しない。」と彼女は言った。彼女を描けることがうれしかったんだ、ただ彼女を描けるそれだけでよかったんだ。
だが、なぜ彼女は自分がモチーフになるのを好むのか、それが気になった。けど俺自身彼女を描くことが楽しいわけだから深く突っ込まなかった。
そんな日々が続いて1年がたった。3年の夏、皆が部活を引退し進学や就職に集中しだす時期だろう。だが俺は彼女を描き続けた、ここまでで数十枚は書き上げておりそのほとんどを彼女にプレゼントした。いつも通りの一日、放課後部室で彼女の絵を描いていた。
「いつだったか君は私がなぜモチーフになりたがるのかって聞いたよね。」
「え?ああ、」
唐突だった。描いている途中彼女から話しかけることはめったにないから驚いた。
「理由、まだ言ってなかったよね?」
「うん。聞いてない」
「君には私を覚えていてほしいから。君が私しか知らないなら、私のことを忘れることはないから。」
よくわからなかった。それに、「君が私しか知らないなら――」この発言はまるで俺が彼女の顔しか見えていないことが分かっているという発言とも取れた。
考えすぎだ、そう自分に言い聞かせた。
「難しいこと言うね。俺は単純にずっとモチーフやってて暇じゃないのかって思っただけだよ。」
「君が一緒なら退屈じゃないよ。」
そう言った彼女の顔はいつになく哀しい目をしていた。日が落ちあたりが暗くなり始めたころいつも通り彼女と別れの挨拶を交わす。彼女との最後の会話———
翌日、彼女は部室に来なかった。いつもの時間を1時間、2時間とすぎるが彼女は来なかった。嫌な予感がして、心底彼女が心配であった。しかし、嫌な予感というものは当たってしまうものである。その翌朝先生から彼女が亡くなったと直接聞かされた。本人の希望で自分が亡くなったら最初に俺に知らせてほしい、と。
俺は強い喪失感にかられた。だがよく考えてみれば彼女は俺にとって何なのだろう、恋人でもなければ友達でもなくクラスメイトでもない。なのに、まるで自分の一部を失ったかのような感覚だった。そこから5日ほど部屋からも出ず、何をするでもなくただ虚無だった。しかし彼女の葬儀が行われるとのことで久方ぶりに部屋から出た。鏡を見るとそこにはひどい顔の自分がいた。同時にもうこの顔以外の「顔」以外を見ることができないのかと思うと恐怖と孤独感に襲われた。
ほとんどの人が帰り人のいなくなった葬儀場に足を運んだ。そこには一人の女性が椅子に座り棺の中の彼女を、「彩花」を眺めていた。こちらに気づくと立ち上がり一礼をしてきた。
彼女の母親と名乗ったその女性は俺の名を聞くと娘から話は聞いていると、娘が世話になったと。俺は何も言えずそこに立ち尽くした。彼女は末期のすい臓癌だったそうだ。1年前ほど、ちょうど俺と出会う少し前に癌が判明したらしい。棺の中を覗き込む、そこには彩花が眠っていた。息をせずに――—
俺の見たことのない彼女の顔だった、静かにそしてどこか優しさのある表情でそこにいた。
彼女の母は、彼女の最後の願いをかなえてやってくれと言う。彼女の死に顔を描いてやってほしいと、普通なら異常だと思うだろう。だが彼女の願いだ、彼女らしいといえば彼女らしかった。その絵は最初に彼女に送ったのと同じ鉛筆画だったが、今まで書いてきた彼女の中で一番美しかった。
彼女にプレゼントした絵は俺がすべてもらい受けた、最後の1枚を除いて。
その中に紙切れが挟まっていた。
「君が私を覚えているなら私は死なない。」
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