第24話(終) 笑顔

 手鏡を覗き込んでいると「ドロシーちゃん」と横からサラに声をかけられた。


 一ヶ月余り前にも、こうして放課後の弐番館で鏡を眺めているときに彼女が来たんだっけ。あの時はヤトくんがいなくなって大慌てで走ってきたけれど、今は違う。

 そうか、もう一ヶ月が過ぎているんだよね。あの子と出会って。


「あっ! 今、リンカちゃんのこと考えているでしょ」


 サラが溜息交じりに、でも微笑んでそう言ってくる。私がかぶりを振って「いいえ」と応じると、彼女は「鏡」と一言だけ返してきた。


「どういうこと?」

「見てみたらどうかなって。ドロシーちゃんがそんなふうに優しく微笑んでいるのは、リンカちゃんといる時かリンカちゃんのことを考えている時なんだよ」

「まさか」


 私は鏡の蓋を閉じ、それをポケットにしまい込む。サラの指摘の真偽を確かめるまでもない。そんなことあるわけない。

 リンカはあの日地下書庫で契約が書き変わって以来、ふらふらと学園内を一人で動き回ることが増え、探す身としては手を焼いている。そのくせ時間がかかると「遅いよー」と小さい子みたいに頰を膨らますし、そうかと思えば「見つかっちゃった」と色っぽい囁き声を出して意味ありげな笑みを向けてきて、こちらがどぎまぎしてしまうことある。


 私は鏡とは逆側のスカートのポケットに手を入れてがまだそこにあるのを確かめる。さっさとあの子に渡さないとね。


「ところで今日はどうかしたの? ただ顔を見にきてくれただけ?」

「えっとね、来週の土曜日って空いているかなーって」


 サラがその綺麗に梳かれている金髪に手櫛を入れながら、もじもじとして言ってくる。

 基本、休日は一人で暇をしていた私であったが、リンカが来てからというものそんな時間は貴重になった。

 二人部屋で暮らしている生徒たちは皆そうなんだろうか。それとも片方が空気読んでどこか出かけるとか? 何にしても私たちの場合は、リンカが部屋でだらだら過ごすのを許してくれない。


「今のところ、特に用事はないわ」

「リンカちゃんとのデートは?」

「……それはいつでもできるから。だいたい、あの子は前もってどこどこへ行こうって決めずに当日になって私を外へ連れ出して、実は行き先決まってないって感じだもの」

「ドロシーちゃんは計画しないの?」

「気分屋に合わせるのを選んだの。たとえば計画してそれをぶち壊されたら嫌でしょう? って、今はリンカのことはいいの。来週の土曜日に何かあるの?」


 そうしてサラが事情を話し始めた。

 どうやら学院街で演奏会があるそうだった。アリオト魔法学院からも個人で何人か出演するらしく、そのうちの一人がサラが最近親しくしている子らしい。私が受けていない授業で知り合ったという隣のクラスの子だ。私とは面識がない。


「それでね、友達でも誘って聞きに来てーって言われて。屋外での演奏会で、お金もかからないんだって。これまで夏休みや冬休みに家族でコンサートには何回か行ったことあるけれど、そういう屋外の演奏会って初めてなんだ」


 音楽に詳しくない私としては、お呼ばれするな、きちっとしたコンサートよりも学院街でのアマチュアたちの演奏会ほうが気が楽だ。本ばかり読んでいないでたまには耳を傾ける日があってもいい。


「誘ってくれてありがとう。ぜひ行かせてもらうわ。そうね、当日の朝、私たちが寮まで迎えに行けばいいわよね?」

「私たち?」

「え? リンカも一緒じゃダメだった?」

「そ、そんなことないよ! ここのところは二人きりになれることってあんまりなかったから、たまにはなんて思っていないし、でもでもっ、それって浮気っぽいかも、けど、きっとドロシーちゃんもリンカちゃんもそんなふうには思わないって―――」

「サラ? はっきりしなさいよ。リンカを連れてきていいの? それとも部屋に縛り付けにでもしておくのがいい?」

「こ、拘束プレイ!? あわわわわ、ドロシーちゃんたちがいつの間にか遠い存在に……」


 私は勝手に興奮し始めたサラが落ち着くのを待って、結局は三人で演奏会へと出かける約束をとりつけたのだった。





 その日の夜、リンカと夕食を終えてから部屋に戻ると「ちょっといい?」と私は切り出した。リンカの側のベッドで並んで腰掛けている。


「え、なに急に。別れ話ならお断りね!」

「そういう話をする顔に見えるわけ?」

「もうっ、ドロシーったら相変わらず冗談が通じないなぁ。そんなんじゃ、いざという時困るよ。見ず知らずの子から私たちの関係について訊かれたとき、どう返すのさ」

「どうって。恋人同士です、愛し合っていますではいけないの?」

「……いけなくないけど」


 けど、なんだ。何か文句があるのか。

 リンカが知らないだけで、もしくは知らない振りをしているだけで私は実際に何度か似たような質問を何度かされている。

 もちろん、彼女が教室でやたらくっついてくるせいである。

 中間がないのか、測りかねているのか、どうも距離感が両極端なのが最近のリンカだ。

 

 ひょっとして……紋章が変わったことで、多少は心境に変化もあったのかもしれない。 

 涙坂先生からは、今刻まれている婚約紋ならいつでも消せると言われた。消したいのなら、そうすればいいと。既にリンカ側の魔力は紋章と関係なしに定着しているから。


 私たちは残しておくのを選んだ。

 いちおうは愛の証だから。はっきりとそう口にせずとも伝わっていると信じているが……。


「で? 何の話」

「これ、渡しておくわ。一昨日にあんたがほっつき歩いている間に作ってみたのよ」


 私はスカートのポケットから小さな袋を取り出し、その中身の一つをリンカに渡す。もう一つは私の手中に収めた。


「――――指輪っ!?」


 素っ頓狂な声をあげ、渡した指輪を目を丸くして眺めるリンカ。


 装飾は一切ない。光沢もあまりなく、ファッションでつけるとしたら地味だ。

 それは私が魔力を込めて精製したものだ。広い括りで言うところの鍛治魔法の一種にあたる。細かい分類は不明だ。

 

 なぜなら……本来は私に鍛治魔法の適性などないのだから。


 リンカのラクロス・クロス召喚にあたる私の特殊魔法が、この鍛治魔法もどきだと判明したのは四日前のこと。

 無事に生きながらえた私たちの魔法について、涙坂先生協力のもと、あれこれと試してみて、結果が得られた。


 リンカは「いつか伝説の装備作っちゃうやつじゃん!」と目を輝かせていたが、現状、道のりは遠く、星に手を伸ばすようなものだ。ただ、彼女がお姉様と呼ぶ紙魚咲ドロシー(28)が高位の魔術師とみなされ、付与魔法を行使できるその理由は魔法精製した高度な魔道具を身につけていたからだと考えると、辻褄は合う。


 とはいえ、これから合わせるかはまた別だ。未来には無限の可能性があるのだから。


「ブレスレットかネックレスにしたかったけれど、力が足りなくてそこまでの大きさにできなかったの。それに腕輪は既に一個つけているわけだし」


 髪留めにするのも検討した。でも、一週間前に彼女に私と色違いの髪留めをプレゼントしたばかりだ。


「これ、薬指に入らないよ!」

「小指には入るでしょ?」

「えっ……婚約指輪ってことじゃないの?」

「ちがうわよ。お互いの位置情報を感じ取れる魔道具。探す手間を省くためにね。うまくできているか、試さないといけないわね」

「なんなの!? 照れて損した! とりあえずドロシーが嵌めてよね」


 ずいっと。リンカがその指輪を私に返してきて、そして左手を差し出してきた。


「リンカ、一つ聞いていい? 今の私ってどんな顔している?」


 私はリンカの左の小指の指輪をそっと嵌めながら訊ねた。問いかけの意図がわからず小首をかしげた彼女に、私はサラから言われたことを教える。


「んー? べつにいつでも笑顔ってわけじゃないよね」

「ええ、私もそう思う」

「あー、でもさ、会ったばかり頃と比べたら笑うようになったんじゃない?」

「そう……それっていいことよね」


 私は自分の分の指輪を彼女にあずけ、そして同じく左手を差し出した。


「ま、そうだね。けどね、笑顔以外も好きだよ。たとえば――」


 キスしてくる、そうわかったから先にこっちから仕掛けた。触れ合う唇。リンカが驚く。少し悔しそうでもある。


 私としても笑顔以外の彼女、こうやってびっくりしながらも私の愛に応える表情が大好きだ。


「……最近思うんだけど、ドロシーって魔性の女だよね」

「魔法使いだもの。褒め言葉として受け取っておくわ」


 私たちは指輪を嵌めた左手同士を繋ぎ、指を絡めた。紋章や指輪では不十分。本からでは得られないこの温度が、彼女の体温あってこそ愛なんだ。そう思うと、愛しさで自然に笑みがこぼれるのだった。

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未来の私をお姉様と慕う自称異世界人の銀髪美少女と婚約しています よなが @yonaga221001

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