第23話 新しい関係
神様と不思議な空間でコンタクトをとっていた私であるが、気がつけが地下書庫に戻っていた。私の手から白い本は消え、リンカが私の顔を横から覗き込んでいる。
「ドロシー……? な、何が起きたの?」
「脱いで」
「えっ!? まさか今持っていた本は性的な欲望が何百倍にも膨れ上がる――――」
「紋章を確かめるのよ!」
「いやいやいや、確かめるだけなら脱がなくてもいいじゃん。最初にそういうやりとりしていたじゃん。ほんとは私の裸をまた見たくなったんでしょ。素直じゃないんだからぁ」
私はリンカをよそに自分の身体、その左胸を確認する。
紋章がそこに……あった。
しかしその形は変わっている。
花ではなく幾何学模様。なんだか見覚えがある。半月前、自分で調査していた時にいずれかの文献で目にしたはずだ。
思い出せ。あれはたしか……。
「ねぇ! なんか変わっているよ!? レベルアップとかグレードアップってこと!? ドロシーのも見せて!」
「ほら、結局見せ合うことになるでしょ」
興奮した様子のリンカを宥める。果たして私たちに新しく刻まれた紋章は同一だった。
「この紋章って何かわかる?」
「喉元まで出かかっているわ。効果らしい効果のない証明紋だったとは思う。古代まで遡らずに、近世にどこかの都市で普及したような。今も使われているかも……」
「大事なのはもう死ぬ心配をしなくていいかどうかだよ!」
「それなら大丈夫。きっとね。さて、と。今の一瞬に何があったかを説明するわね」
私は洗いざらい、神様とのやりとりを話した。リンカは「そーいうのが、転移前にあるのがテンプレなんだけどなー」と笑う。
「何はともあれ、ドロシーが私のことが大好きでしょうがなくて、こっちの世界にずっといてほしいってのは伝わった」
「リンカはどうなの。今、私のことをどう思っているの」
「へっ? どうしたの、そんな深刻そうな顔をして」
私はこの数日間、考えまいとしながらも考えていたことを彼女に打ち明ける。
「つい今さっきまで私たちに刻まれていた紋章、あれに愛情を強制する効果があるかどうか。それが私は不安なのよ」
「つまり?」
「私が短い時間でこんなにもあなたに心を奪われたのは紋章の力のせいで、あなたが私を慕ってくれたのもそうなんじゃないかって。だから……紋章がなくなった今、あなたは私のことをどうも思っていない、お姉様と何ら結びつかないただの日陰者の魔法使いとしかみなさないんじゃないかって……」
リンカはぽかんとした。
それから大きな溜息。そして微笑む。
その一挙一動から目が離せない。
もしも彼女から「そうだね、もうドロシーのことなんてなんとも思ってないや」などと言われたら私はどうしたらいい?
そんなことになったら私はかつてソウセキを失ったときと同じぐらい落ち込み、悲しみ、その痛みに耐え切れずまた孤独を求めてしまうだろう。部屋から出られないかもしれない。
部屋……そうだ、部屋はどうなる? 私たちは旧棟で二人部屋で暮らしているが、もしリンカが「あんたといっしょなんて嫌よ」と言ってきたら?
ダメだ、どうしてこんなに悪い想像ばかりする。ちがう、こうじゃないでしょ。
「ドロシーって……」
微笑んでいたリンカの目つきがジトッとしたものになり、私はドキッとする。悪い意味で心臓の鼓動が早くなっている。
「な、なに」
「意外と抜けているところがあるっていうかさ、んー……アホだよね」
「は?」
いきなり罵られて固まる。
「なんでそんな不安そうな顔して見つめてくるかなぁ。だって、ドロシーは紋章が変わった今でも私のこと、好きなんでしょ? それが答えじゃん」
「あ……」
答え。
私が今なおリンカに特別な想いを抱き続けているのだから、彼女の側だって紋章が消える前と変わりない。
なぜこんな単純なことさえわからずにいたのか。恥ずかしくなる。
「それとも、遠回しに今ここで私からの愛を証明してほしいって言っているの? ねぇ、今度こそドロシーの番でしょ。わかるよね? 私がそれを心から求めているってこと」
リンカが近づいてくる、私の背中は書架にくっつく。追い詰められた。彼女との距離がほとんどゼロに近い。
「もう、なんで私が壁ドンしているみたいな体勢になっているんだか。ぜーんぶ、ドロシーが悪いんからね」
そう言って、リンカが私にキスしてくる。
でも、短くて軽い。
私はつい「えっ……?」と声を漏らしてしまう。そんなキスじゃリンカを感じられない。それがもどかしい。
「うう、物足りないって顔されると我慢できなくなりそう。けど、次はドロシーからだよ。約束で――」
リンカが言い切る前に私は彼女の口を自分の唇で塞ぐ。してやったりだ。
それからしばしキスの応酬が続き、午後三時の鐘が鳴るのが聞こえて二人で顔を見合わせた。
そしてどちらからともなくお腹の音が鳴る。昼食を挟まずに五時間、書庫で調査し続け、本を通じて神様とやりとりし、それでついついキスし合っていた。
こんなの先生にどう説明したらいいんだ。
「出よっか。お腹ぺこぺこだよ」
「そうね。まずは先生に報告しないとだわ。この紋章のこと、先生なら知っているはず」
「念のため聞いておくけどさ、前の紋章より厄介な紋章ってオチはないんだよね?」
「ない。朧げでも私の記憶にあるってことは、そこまで特殊な紋章じゃないわ」
そうして無事に怪我することなく地下書庫を出た私たちは涙坂先生のもとへと向かう。
執務室まで行くつもりが、先生は書庫の出入り口近くで、椅子に座っていた。私たちを見ると立ち上がる。その手元に本すらない。代わりに制御杖を掴んでいる。もしかしてずっと、私たちが帰ってくるのを待ってくれていた? いつ何があってもいいよう身構えて?
「先生……ありがとうございました。例の契約紋は解約できたみたいです」
私がそう声をかけると先生の肩から力が抜けていくのがわかった。そして彼女は杖をしまうと首をかしげる。
「解約だって? 手がかりになる本を得るだけじゃなくてかい?」
「ええ。詳しい話は、えっと、執務室で」
「そうか。わかった。だけど、二人とも。行く前に一つだけ言わせてくれ」
先生はわざとらしく咳払いを挟み、私たちをどこか呆れた表情で見やって言う。
「首元を隠しなさい。そんなにくっきりと痕を、いくつもつけて図書館を歩かれたんじゃ風紀が乱れてしまうからね」
私はリンカの首を見る。彼女もまた私の首に視線を向けていた。
そこには……唇が肌を吸い上げた痕跡が何箇所もあった。
「二人揃って、夢中になって気づかなかったって顔をしているが……紋章の解約方法というのが、そういう行為だったのかい? ああ、いや、部屋で全部聞くことにしよう。まさか地下書庫を汚していないだろうね?」
「だ、大丈夫ですよ! まだ最後までしたわけじゃ――痛っ! ドロシー! 叩かなくてもいいじゃん! ここまできたら言わないほうが変に勘ぐられちゃうだけだって!」
そんなわけで私たちは先生の執務室にこそこそと移動するのだった。
道中、私はようやく今ある紋章と記憶を結びつける。
そうか、これはやっぱり証明紋だ。
証明以外に魔法効果らしいものはない紋章の一つ。そして現代においても無害ゆえに恋人同士で交わすこともあるらしい紋章。
意味は婚約。
婚姻よりも前に二人の間に交わされる約束の証明ってことだ。
……悪い気はしなかった。
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