第22話 機械仕掛けの神 

 上半身裸になって互いの胸にある紋章を直に重ねた結果、手がかりと思しき本を探し当てることができた。

 改めて状況を整理しても、いかがわしさが深まるだけだったがよしとしよう。


「ねぇ、ドロシー。私ね、さっきこのあたりを見たはずだけどそんな本はなかったよ」


 私が淡く光る白い本に恐る恐る手を伸ばすと、リンカが不安げにそう言った。たしかに本がある書架は既に探した形跡があった。


「それってようは、この本はどこからか突然現れた、あるいは隠れていたのが知覚できるようになったってこと?」


 一旦手を止めて私は訊く。


「なのかなぁ。とりあえず普通の本じゃないのは私にでもわかるよ」

「ええ。……気をつけないとね」

「怖いの? 私が代わりにとろうか」

「ダメ。これぐらい、私にさせて」


 なんだかんだでリンカには守られてばかりだ。もう危険な目に合わせたくない。

 私は深く息を吸い込むとそのまま吐かずに、息を止めたままで本を手に取った。

 背表紙にも表紙にも書名が記されていない。真っ白な本。私の手に触れたそれがやがて光を失う。


「ふぅ……読むわよ」


 隣でリンカが肯くの確認してから、私は一頁目を開く。





 あれ? ここはどこだ。

 待って。私はリンカと共に地下書庫でやっと本を見つけて、それで本を開いたところだった。そこまでは記憶がある。

 

 でも、ここは――――?


「なによ、この空間。リンカ? どこに行ったのよ……」


 真っ白な空間だった。

 例の本なんて比べ物にならないぐらい白。むしろ無という印象を受ける。闇ではないゆえか不思議と恐怖は感じない。


 落ち着いている自分がいる。

 あの本が罠で、読者を亜空間に閉じ込める魔道具だった、とは思わない。直感的に違うとわかる。ここはもっと異質な場所だと。


「どもども〜。ドロシーちゃん、おはつ〜」


 私は振り返る。

 振り返ったのだと思う。

 上下左右はおろか、自分の身体の存在が不確かであるが、のんびりとしたその女声に私はとにかく反応したのだった。


「あなたは……?」


 声が出せた。

 口や喉の存在があやふやであるが、相手にそう訊くことができた。

 そこにいるのは小さな女の子だ。見覚えがある。


 私だ。

 七歳か八歳かそこらの私がにこにことしてこっちを見ていた。

 ただ、着ている白いワンピースに覚えはない。白い空間に溶け込むことのない白い服と、過去の私……の姿をした何か。

 何がどうなっているの?


「うーん、わたしが何者であるか、それを定義するのは難しいんだ。けど、わかりやすく言うなら神様かな」

「神?」

「そそ。あっ、この姿が好みじゃなかったら別のにしようか」


 そう話してくる自称神様は、ゆらりと像がぶれ、次の瞬間には涙坂先生になっていた。白いローブ。


「リンカをどこにやったの」

「二番目に訊くのがそれなんだ。大丈夫、あの子なら無事。本を開いたのがドロシーちゃんだから、ドロシーちゃんのみと繋がっているんだけど、ここでの時間は向こうじゃカウントされないから」


 声の質は涙坂先生なのにまるで口調が違う。厳かなほうが神様らしく感じられる気はしたが、そもそも神様だったらこんな形で出くわさない。


「あなたが神様だとして、私の願いを叶えてくれるの?」

「聞くだけ聞こっか。言ってみて」


 ずいぶんとフランクに言ってくれる。


「――私とリンカの契約魔法の安全な解約」

「ふむふむ。ちなみにあの子を元いた世界に戻してほしい?」

「え?」

「どうなの?」

「えっと、けれど、リンカは言っていたわ。車に轢かれるかはねられかする寸前だったって。だからその時に戻したらあの子は死んでしまう。そんなのは……いけないことよ」


 そう言いながらも私は、リンカが元いた世界に帰還できる可能性を提示されて驚き、そして動揺していた。


「じゃあ、そっちも安全に、傷一つない状態で戻してあげるってのはどうだろう。そんな事故起こらなかったことにする」


 あっさりと世界の改変能力を仄めかす神様、いつの間にかその姿は先生から一転、サラになっていた。


「でも……」

「記憶はどうしたい?」

「記憶?」

「うん。君たちの。こっちも全部なかったことにしたい? 君はあの子と、そしてあの子は君と出会わなかった。そんな世界に作り変えたほうがいい?」


 瞬きをするたびに――瞼の存在を感じられていないが――神様の像は私の知る誰かへと移り変わっていく。図書委員の先輩や人騒がせな園芸部員、森林区画での研修を担当した教員、そしてお母さん……。


「さぁ、聞かせて。ドロシーちゃん」

「我儘を言っていいのなら、リンカを無事な形で元いた世界に戻してあげてください。そして彼女の私たちの世界での記憶は消して、私のほうは……」


 目の前の神様はとうとうリンカの姿になった。私は彼女に頼む。


「どうか消さないでください。私は彼女を覚えていたいから」


 リンカ、いや、神様が微笑む。


「さてさて。いろいろ聞かせてもらったけど、実はわたしができることってそんなにないんだよね〜」

「えっ。どういうことですか」

「聞くだけ聞くって言ったじゃん。とりあえずさ、ドロシーちゃんが望んだように世界や記憶を作り変えるのは無理」


 きっぱりと。

 なん……だと……?


「あの子を君たちの世界へと移したのは、わたしとは別の、上の神様なんだよね。その意図や目的ってのは君たちに理解できる範疇にないし、ぶっちゃけわたしも完全には言語化できないの。転移した後の経緯を説明するとさ――――」


 神様曰く、あのときあの黒い魔本、すなわち転送装置は落ちるべくして落ちたのだという。そしてリンカはこちらの世界にやってきたわけだが、その身一つでは生存が危ぶまれた。魔力が備わっていない身体はこちらの世界の理に反するからである。

 したがって魔力を何らかの形でその身に定着させなければならなかった。そこで選ばれた方法がこちらの世界にあった古代の契約魔法であり特殊な婚姻であったのだった。

 ……などと言われても疑問は尽きないが、それらすべてに答えを用意してはくれないようだ。


「あの子からしたら、ドロシーちゃんたちの世界ってゲームの過去ぐらいの認識なんだけどね、実はそんな単純じゃないんだ。二つの世界はさ、少なくともあの子がドロシーちゃんたちに合わせて説明しているような、観測する側とその対象側っていう構図にある関係ではないの」

「そ、そうなのね」


 まずもって世界が複数あるのを認知できるのが上位存在だけであり、到底私がついている話ではない。


「ち・な・みに〜、さっき、我儘なんて自分で言っていたけどさ、ドロシーちゃんの本心は別にあるでしょ。それぐらい神様じゃなくてもわかっちゃうからね」

「本心?」

「だってリンカちゃんと離れ離れになりたくないでしょ?」


 どこまでもずばりと。リンカの顔をした神様が笑った。


「わたしは応援しているんだけどな〜、ドロシーちゃんとリンカちゃんの愛が深まって、大きくなって、いずれ魔法学院、ううん、そっちの世界を良い方向に変えてくれるんじゃないかな〜って」

「話が壮大すぎていまいち理解できないわ。それに未来のことはわからない」


 かと言って全部見通せるようになってもつまらない。それでいい、それがいい。


「言えるのは……私はあの子が好き。それでまぁ、世界を滅ぼすよりは救うほうが断然いいってこと」


 もしも許されるなら、と私は思う。

 リンカとこの世界で生きていきたい。


「おめでとう! ドロシーちゃん。その願いはわたしでも叶えられるよ!」

「勝手に心を読まないで」

「まぁまぁ、硬いこと言わずにさ。それじゃあ、やることやっちゃうからね――――」

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