第21話 小さく可憐な桃色の蕾

 二人で手分けして百冊ずつ、つまりは二百冊を確認し終えた時、私たちにはまだ余裕があった。地下書庫に並んだ大きな書架、その一部を確かめたに過ぎないのだから、むしろそう簡単に私たちの契約魔法にまつわる本は見つからないのが道理だと考えられる。

 だが、さらに時間が経過して倍の四百冊を過ぎた頃、私たち二人はお互いに息苦しさを感じ始めていた。


「ねぇ、ドロシー……なんか、その、気分が悪くない?」

「ええ。これは魔力酔いに近い状態だわ」

「ええと、それって魔法使いじゃない、普通の人がなるっていう?」

「そう。魔法学院および学院街に一般人が近づきたがらず、出入りする際にはそれ相応の魔道具の準備がいる理由ね」


 どんな人間でも魔力の循環によって生命維持をしている。が、私が口にした「一般人」というのは私たち魔法使いと比べてごくごくわずかな魔力しか備わっていない。

 魔法使いとして魔力の低い私を基準にしても、四分の一に満たないのだ。そしてもちろん魔法を行使する適性、血筋などない。

 そんな彼らが魔法使いの生活圏に長居すると、酔う。つまりは内側の微弱な魔力が外側にあたかも空気のように充満している魔力にあてられて、バランスを乱されて体調不良を引き起こす。


「あー……わかった。今、私たちは魔道具によって元から低い魔力を最低値に近づけているから、魔本だらけの空間に長くいるといろいろまずいんだね」

「そのとおりよ。ただ、気を失って倒れるようなことはない……はず」

「だといいけど」


 本を探す効率が下がったのは間違いなかった。意識にもやがかかり始めている。危険性のある魔本に出遭うのではなく、こんな形で調査に支障が出るとは予想外だった。よくよく考えればわかっただろうに、おそらく先生も見落としていたことなのだろう。


 既に書庫に入って四時間半が過ぎている。ぶっ通しで調べられるのもここらが限界だろう。


「リンカ、こっちに来て」


 別の書架を見ていた彼女を呼びつける。方針変更だ。というより試行錯誤と言うべきか。


「どうしたの?」

「試したいことがあるの。契約紋を見せて」

「脱げってこと!? わ、私だけ?」

「いいえ」


 私は彼女が脱ぎやすいように私から脱ぐことにする。下着はつけたまま、かろうじて紋章が見える。羞恥がないと言えば嘘になるし、喰い入るように見つめてくる彼女に文句に一つも言いたいがぐっと堪えた。


「紋章自体が本の居場所を教えてくれるってこと?」


 顔を赤らめたリンカが訊ねる。私は首肯し、彼女にも脱ぐのを促しながら話す。


「認識を共有しておくと、私たちが見つけるべき本は特異な魔本である可能性が高いわ。なぜなら、あの日私が遭遇したのはあなたをこの世界へと召喚し、何の呪文や儀式なしに契約を結ばせているのだから。単なる古代の魔法に関わる本でないのよ」


 涙坂先生とてただの古書を探し求めて各地を渡り歩いていたのではない。間違いなく特殊な本なり魔道具なりを求めて駆け回っていてくれたのだ。


「それで、この後はどうするの?」


 私と同じく上半身に下着をつけただけの恰好になったリンカが不安げに言う。


「断っておくと、うまくいく保証はないわ」

「それは充分わかったって。この書庫に入る前後で散々言っていたじゃん」

「……お互いに紋章に触れ合って契約の波長を直に確かめるの。それを基にして同じ気配を持つ本を探す」

「待って。二つ、質問が」

「なによ」

「なによ、じゃないよドロシー。頭がくらくらしているからってヤケになっていない? えっと、一つ目。紋章の波長だか波動を確認するなら自分自身のに触ればいいじゃん」

「婚姻の契約紋だからよ。あんまり説明させないで」


 一方的ではなく双方向性を有する契約紋で、かつ強力なものなのだから互いの距離をゼロにするのことでその紋章の力、真価を測れるはずだ。


「二つ目は?」

「恥ずかしくないのかなって」


 私は溜息をついてから、彼女のすぐ正面に立つ。しようと思えばキスできる距離。彼女の側の緊張が否応なく伝わってくる。


「いい? 別に触れ合うだけでそれ以上のことはなし。胸を揉むとかしないでよね」

「まぁ、ドロシーのは小さいから……。そんな睨まないでよ。私は大きいのが好きで小さいなのは嫌みたいなのはないから。ドロシーのであればどんなのでも……」

「御託はそこまでよ。生死がかかっているんだからね」

「お、おう」


 妙な返事をよこすリンカ、

 その左胸に私は徐ろに手を伸ばしていく。目で「ほら、そっちからも」と指示すると彼女から私へと手が伸びる。


 そうして私たちはお互いの心臓の位置にある紋章に触れる。


「うわ……ただ触れられているだけでドキドキしちゃう」

「黙って。集中して。ここが正念場よ」


 私は目を閉じてすべての意識を彼女の紋章に預ける。その波長を、自分にも刻まれているその紋章の力を今一度、頭と肌とで記憶するよう努める。後はこの波長を追うだけ。感知や探知ではない。導かれるのを信じるのだ。


「ねぇ、どうせなら抱き合ってみない? 紋章同士をくっつけてみようよ」


 唐突な提案に思わず目をぱっと開く。


「ダメ?」


 何と答えていいかわからない。

 紋章同士を合わせることで波長が高まる。なるほど、その推測はできる。が、確実ではない。第一、いくらなんでも恥ずかしい。


「私は……ドロシーとだったらいいよ?」

「何言っているのよ。当然でしょ。私たちの間に結ばれている契約魔法があってこその話なんだから、そんな、誰とどうっていうのは違うでしょ」

「ドロシーは嫌?」

「だ、抱きしめ合うぐらいなんてことないわ。いいわよ、試してみましょう。そうよね、命がかかっているから試すべきよね、ええ、いい提案だと思うわ」


 しどろもどろだった。

 そしてリンカは私の胸から手を離して――――彼女自身の下着を外した。


 一度は見ているはずなのに今はその光景が甘く美しい。


「ちゃんとくっつけないとでしょ? ねぇ、じっと見ていないでドロシーも外して。私に、ありのままを見せて」

「……わかったわ」


 観念した。試せることは全部試そう。それが二人の未来を作るのなら。


 私たちは素肌を、上半身を重ねた。彼女の柔らかさがそのまま伝わってくる。


「ドロシー……キスしていい?」

「発情しないで」

「ちがうもん。そのほうがもっと紋章を感じられるんじゃないかって」

「嘘つき」

「好きなの。だから、したいの。ダメ?」


 リンカの抱きしめる力が強まる。

 なんだこれ。どうして地下書庫でこんなことしているんだ。誰がこんなことしようって言い出したんだ。


 して、とリンカに言いかけたまさにそのとき、どこかで音がした。


 澄んだ鈴のような音。あるいは高いところから雫がたらされたような音。波紋が広がり、私のすぐ足元まで届いた感覚。


 私たちは顔を見合わせた。


「今の聞こえた?」

「う、うん」


 そしてまた音が聞こえた。それは今や音ではなく気配だ。


 導かれている、そう思った。私たちは肌を、いや、紋章を直に重ねて想いをも合わせたことでその本に呼ばれているのだ。


 ゆっくりと、その気配の在り処を見定めてから私たちは離れる。服装を正すと、自然と手を繋いでいた。


「行くわよ」

「行こう」


 同時に。

 そして私たちは淡く光る書架へと向かって進み始めた。




※次の更新日は10月23日(月)です。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る