第3話
「ぼく、どうすれば良いかわからないよ」
陸人は戸惑い、膝を抱える。扉の外に広がる教室の風景が気になるようで、目線をチラリと上げる。明里は本に集中して、ときどきくすっと笑ったり驚いたりしている。
陸人は明里が好きだった。いつも教室にひとり残って本を読む姿を眺めていた。彼女が読んでいる本が気になって、声をかけた。明里の気を引きたかったし、明里の読んでいた本がどんな本か知りたかったのだ。
普段やんちゃをしている陸人は気恥ずかしくて、どうすればいいか分からなかった。それで、明里の本を取り上げた。
「返して」
「嫌だよ」
本を小脇に抱えて教室を出たけど、明里は追いかけてこなかった。教室の中でひとりぼっちで泣いていた。
返すに返せなくなり、陸人はそのまま本を家に持って帰った。ベッドに転がって本を広げた。それは少年が龍に乗って旅をする冒険物語だった。文字が多くて、陸人には難しいように思えた。
しかし、懸命に読んでいくうちに物語に引きこまれていった。明里が笑っていたのは鳥に化けていた龍が突然元の姿に戻って町が大混乱したシーンかな、驚いていたのはきっと龍が火を吹いたシーンだ。
夜になって、母親が晩ご飯に呼ぶ声が聞こえてくるまで夢中になって読んだ。
そうだ、図書館の本なら図書館に返せばいい。しかし、分別シールは無かった。この本は明里の本だ。明日、きちんと謝って本を返そう。そして、本の話をしよう。
陸人は明日が来るのを待ちわびて、ベッドに入った。
しかし、明里は翌日学校に来なかった。
――ドアが閉まります
機械的なアナウンスが流れ、エレベーターの扉が閉まりはじめる。
「待って、ぼくここで降りるよ」
陸人は慌てて扉を押し開く。そして、鞄から一冊の本を取り出した。明里に会えたら返そうと思っていた本だ。
「明里になんて言えばいいかな」
陸人は扉の先に足を踏み出そうとして、立ち止まる。不安げに和奏と智志を振り返る。
「ごめんね、って良いなよ」
智志はそのシンプルな言葉がいかに重いかを知っている。
「気持ちをちゃんと伝えたら、分かってくれるよ」
和奏も背中を押す。陸人は頷いたあと前を向いてエレベーターを飛び出し、夏の太陽が差し込む教室へ駆け出していく。
「明里、ごめん」
陸人は明里の机に到着するなり、思い切り頭を下げた。本に目を落としていた明里は驚いて陸人の顔を見つめる。
「明里と話がしたくて意地悪をしたんだ。本、返すよ」
陸人は少年の龍の物語の本を明里に手渡す。明里は懐かしそうに微笑みながら、本の表紙を小さな指で撫でた。
「ねえ、本は面白かった」
陸人の顔がぱっと輝く。
「うん、あのね」
陸人はページを開きながら懸命に笑ったところ、びっくりしたところを明里に話す。明里と楽しいことを共有している、それが何より嬉しかった。
本を取り上げるなんて馬鹿なことをしたけれど、初めからちゃんとこうやって話をすれば良かったのだ。
二人の笑い声が聞こえてくる。教室は眩い光に包まれ、ドアは静かに閉まった。
「小学生の頃か、いじわるをしてくる男の子っていたわ」
残された和奏と智志は顔を見合わせる。
「きっと相手が気になるからちょっかいを出したくなるんだよ」
智志には陸人の気持ちが分かる。それで取り返せないことがあるということも。
エレベーターがガタン、と揺れて上昇を始めた。次は一体どこへ連れていくのだろう。二人はランダムに点滅するランプを呆然と見つめている。
「彼女は母子家庭で育ちました。女手ひとつで育ててくれた母親を尊敬し、親孝行をしようと頑張って一流企業に就職しました」
ノイズ混じりの声がスピーカーから聞こえ始める。間延びした声はお伽話でも語るようだ。
「食事に行ったり、旅行に行ったり、まるで友達のように仲良しな二人。しかし、母親が脳梗塞を発症し、若くして認知症になってしまいました」
和奏はスピーカーの声に、表情を曇らせる。
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