12話 委員長には向かない職業

 午後。

 俺は、逃げ帰ってきた家のなかにこもっていた。

 制服も着替えずに、ベッドの隅で体育座りをしていた。


 スマホが光った。イヨちゃん先生だ。

 クラスで使っている連絡用のアプリに、いやに長文の返信がきていた。


『事情はわかりました。夏風邪はつらいから、よく休んでおいてくださいね。看病してくれる身内の方はいますか? もしいなければ、あとで先生が行きます』


 いやに過保護な内容だった。イヨちゃん先生は、なぜだか昔から俺を異様に気にかけてくれている。

 俺は万事問題ないという旨のメッセージを書いて送った。看病してくれる身内は今いないが、そもそも風邪じゃないから大丈夫だった。


 結局、嘘をついてしまった。

 俺は、仮病を使った。

 本当の病名はべつだ。


『委員長になれない病』


 こっちのほうが、風邪よりもはるかに問題だった。

 風邪は、放っておけば数日で治る。だが、これは治るかどうかわからないし、もしも治らなければ、今後ずっと学校に通えなくなってしまう重病だ。

 そんなのは、困る。あまりにも。


「――どうすれば!」


 俺はがばりとタオルケットをはねのけた。殺風景な部屋のなかに、なにかを探してしまう。

 俺が探しているのは、どうしたら委員長に戻れるのか、その方法だった。もちろんそんなものが物理的に部屋のなかに転がっているはずがない。


 俺は頭を抱えた。どうすればいい? 翠に聞いてみるか。翠なら俺を助けてくれるかもしれない。スマホを手にして、連絡しようとしてみる。

 が、メッセージを打つ前に、手が止まった。

 だめだ。翠は近々、大事な模試が控えている。

 それが終わるまでは、翠断ちをしようと決めていたじゃないか。軽い冗談を送るくらいならともかく、こんなことは相談できない。

 そうでなくとも、俺は常日頃から翠に頼りすぎだ。


 これは俺の問題だ。俺が自分で解決しなければ……。

 俺は椅子に座ると、ノートを開いてみた。空白のページに向けて、ペンを構える。とりあえず、思いつくかぎり解決策を書き出していこうと試みる。

 その姿勢のまま、何時間も経過してしまった。




 なんとかの考え休むに似たり。

 その事実を、俺はこの短期間で二度も味わわされる羽目になってしまった。

 欠席は、はやくも三日目に突入していた。これまでの一年二カ月は無遅刻無欠席だったというのに、いきなり×がみっつだ。


 イヨちゃん先生はとにかく心配のようで、毎日山のようなメッセージが届いた。俺は、イヨちゃん先生の家宅訪問を防ぐのにせいいっぱいだった。

 さいわい、翠は俺の欠席に気づいていないようだった。べつのクラスだし、俺が欠席しているからといって噂になることもないから、まだ事態を知らないようだ。


 ばあちゃんは、俺の不調に気づいているが、あまり干渉してくることはなかった。

「夏バテには果物だよ」と砂糖を振ったグレープフルーツをくれたから、俺は部屋でのそのそと食べた。

 グレープフルーツはうまかったが、状況はまったく好転しなかった。

 むしろ、精神状態は悪化の一途をたどっていた。

 あまりにも焦るせいで、本当に頭がくらくらするようになっていたのだ。


 俺は暗い部屋のなかで、心療内科の案内をスマホで見ていた。

 専門の人間に相談してはどうだろうと考えたはいいものの、実際に足が動くことはなかった。

 もしも通院したとして、いったいどう話せばいいというんだ?


「あのー、自分は委員長という皮を被っていなければ他人と会話することができない社会不適合者なのですが、最近になって突然、なぜだか委員長モードに入れなくなりました。どうすればいいですか――」


 そう聞いたら、お医者が委員長に戻れる薬をくれるというのか?

 ばかげたことを。そもそも、委員長になれないんだから、心療内科の先生に事情を説明することだってまともにできないというのに。


 …………詰み、か。

 俺は体育座りを解除して、ごろんと横たわった。


 もう終わりだ……。

 俺はこのまま、中卒のゲーム好き人間になるのか。

 まあ、そもそも進路さえ考えついていなかったのだから、遅かれ早かれこうなっていたのかもしれないが、しかし、まさか卒業さえもできないとは。


 絶望する俺のとなりで、スマホが光った。

 そこに表示されていた名をみて、俺は驚いた。


『赤城愛莉が、あなたをともだちに追加しました』


 クラス全体で入っている連絡アプリからの通知だった。どうやら、グループから俺の名前を探し出したらしい。

 トーク画面を開くと、すぐにメッセージが続いた。


『愛莉だよ! 突然ごめんね』

『いいんちょくんさ。もしかして、最近学校来てないの、あたしのせいだったりする?』

『だとしたら、ホントにごめん』

『もしそうだったら、ちょっと話したいな』

『あとで電話していい?』


 俺はすばやい動きでスマホをタップした。

 友だち認証をして、メッセージを返す。


『心配してくれてありがとう、赤城さん。ただの夏風邪だから心配いらないよ』

『気にしないでほしい。電話も大丈夫』


 電話だけは困る。だってひとことも話せないのだから。


『そう? ならよかった』

『また恥ずいこと言っちゃったw 自意識過剰女ゆるしてw』

『はやく治してね! みんな心配してるから』


 みんな心配しているわけがないのだが、いい社交辞令だった。

 俺はスマホを閉じると、そのまま目をつむった。

 気づけば、またあのときの赤城さんの涙が頭をよぎっていた。


 ――いいんちょくんが委員長だから、あたし、わがまま言っても聞いてくれるって思ってたのかも。

 ――あーゆーこと言って、実際にやってあげられる、いいんちょくんなら……


 赤城さんの最後の言葉がこだましていた。

 それから逃げるように枕に頭をうずめると、気づいたときには、俺は午睡に陥っていた。

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