10話 やった……か?

「そ、そっか……。う、うん、そっか」


 だがその顔は、すぐに消沈したものに変わった。

 まるで園児のように下唇を噛んで、赤城さんは目をそらした。


「わかった。うん、よくわかった。あの……ごめんね? なんか、無理言っちゃって。てか、声のボリュームもおっきかったよね。うわぁ、めっちゃ迷惑だぁ、あたし」

「べつに気にしないでいいと思う。今、あまりお客さんいないし」

「や、ごめん。てか、まじごめん。なんか、きゅうにはずくなってきた」


 赤城さんは、気づけば耳まで真っ赤になっていた。


「やば。いいんちょくん、ぜんぶ忘れといてね? うわー、てかあたし、まじやばいこと言ってたかも。もー、なんでこうひとりで突っ走るんだろ。ばかだなぁー、あたし。てか冷静に、ネトストしてたのもきもいし」

「そんなことないさ。すごい観察力だと思う」

「あはは、なにそのフォロー。ウケる」


 一瞬、場がなごんだようだ。

 これを機に、俺は俺のほうの要望を切り出すことにした。


「赤城さん。俺のほうこそ、ひとつ頼みがある。その、きょうのことは、できれば……」

「わかるよ。だれにも言わないで、でしょ」


 先を言い当てられて、俺は意外に思った。


「言われなくてもそのつもりだよ。だっていいんちょくん、これまでぜんぜん、ゲームが好きそうな素振りなんか見せなかったんだもん。わかんないけど、あんまひとに知られたくないんでしょ? 大会に出るとかも、やっぱその、アレみたいだし」

「……ああ。理由はともかく、そのとおりだ。だから、そうしてもらえると助かる」

「もち。てか、いっしょに内緒にしとこーよ。きょうのこと、なんもなかったことにしよ?」


 それは、こちらとしても助かる提案だった。


「……それじゃあ、俺は帰って勉強があるから、これで」


 去りどきだと察して、俺は席を立った。

 委員長ならクラスの女子を送るべきかと考えたが、まだまだ日が高い、大丈夫だろう。それになにより、俺自身がもう限界だ。


 今さらながら、机のアクリルメニューにメロンフラペの値段が書かれていることに俺は気がついた。トールサイズ690円……これは何サイズだったんだ?

 わからないが、このヴェンティサイズとやらの値段を置いておけば間違いないだろう。

 俺が千円札を取り出すと、赤城さんがブンブンと両手を振った。


「なにしてんの⁉ あたしが払うから、てかもう払ったから、気にしないで!」

「そういうわけにはいかない。同級生に出させるなんて、できない」

「だ、だめだめ! ぜーったいダメ! は、払ったら言ったるかんね! 『匿名熊』のこと、クラス全員に言いふらすから!」


 俺は唖然とした。なんという強い返しのカードだ……。

 しぶしぶ、俺はお金をしまい直した。


「ぷっ」と赤城さんが笑う。「変なのー。まじ不満そうじゃんw」

「それは……だって、そうだろう。クラス委員長として、同級生に奢られるなんて」

「……委員長、かぁ」


 赤城さんは肘をつくと、にんまりと笑った。そのときになって、俺は彼女の八重歯が長いことに、ようやく気がついた。だから、笑うといたずらっぽく見えるのだ。


「そう、だね。いいんちょくんが委員長だから、あたしのわがままも聞いてくれるって思ってたのかも。あーゆーこと言って、実際にやってあげられる、いいんちょくんなら。……でも、よくない癖だよね、最後に甘えるのって。ゲームでも、人生でも」

「――え?」

「なーんでもない。バイバイ、いいんちょくん。あたし、まだもうちょいここいるから、また来週ね。あと最後に、ほんと、無理いってごめんね? 忘れてね」


 じゃね~と明るく手を振って、赤城さんは俺を送った。

 俺が階段を降りるときまで、赤城さんは席から手をふるふるしていた。

 ようやくの解放だった。

 嬉しい……はずなのだが、なぜだか、釈然としないものがあった。

 なぜだ? 赤城さんの言葉が引っかかっているからか?


 委員長だから頼みを聞いてもらえると思った……。

 その発言は、いったいどういう意味だ?


 それが気になったから、俺はそのまま帰らずに、もとの場所に戻ってしまった。まるで容疑者を尾行する刑事のように、壁に背を預けて、ひそかに赤城さんを覗いた。

 まったく委員長らしくない行動で自責の念を覚えるが、自分を止められなかった。


 赤城さんは、スマホを操作していた。つまらなさそうに人差し指で何度かスクロールすると、すぐにスリープさせて、机に置いた。


 次の瞬間、俺は驚いた。

 赤城さんの片目から、突然、ツーと涙が垂れたからだった。

 それは赤城さんの白い頬を伝って、静かに流れていった。


 なにか見てはいけないものを見た気がして、俺はすばやく、それでいて音もなく、その場から離れた。

 心臓が早鐘を打っていたが、俺は駆け足で店から逃げ去った。







 ――情報量が、あまりにも多かった。


 俺は、帰り道のことをほとんど覚えていなかった。気がついたら、青葉台の坂の途中にある古い民家、わが家へと帰っていた。

 いつもどおり、ばあちゃんは仕事でいない。

 つまり、俺だけだ。

 普段なら、すぐにパソコンの電源を入れて、ルシオンを起動する。が、そういう気分にはなれなかった。

 俺は制服も脱がずに、自室のベッドに倒れこんだ。

 すぐに眠ってしまうと思った。だが、そうはならなかった。

 思考とも呼べない、とりとめのない考えが頭を支配していた気もするが、疲れ切った頭では、その内容を意識することもできなかった。

 ただひたすら、おそらく三十分くらい、俺は横になって静止していた。


 ……なにが、悪かったのだろうか。


 ようやく、俺は自分の考えのみなもとを発見した。

 そうだ――なにかが悪かった。

 俺は、ことの原因を探していたらしい。

 なにかが悪かったから、赤城さんは泣いていたのだ。


 クラスメイトを、それも女の子を泣かせてしまった――。


 なんということだ。

 俺は、そういうことをしたいわけじゃない。本当だ。

 俺は普通には社会生活を送れない身だが、だからといって、どういうかたちであれ、だれかにしわ寄せをしたくはなかった。

 それでも、俺にはできないことがある。

 たとえば、ルシオンの大会に出て注目を浴びるとか。

 それでいて、俺はなにかを決定的に間違えている。

 考えろ、俺の脳みそ。

 もとを辿るんだ。すべてのもとを。


 ……俺が、配信などをしていたからか?


 よくよく考えれば、軽率なおこないだったかもしれない。不運や偶然こそあれど、現に赤城さんという知り合いに身バレしてしまったことはたしかだ。

 匿名熊が俺だと知られるような事態にならなければ、なにも問題は起こらなかったのではないか? たとえそれが赤城さんの課題を根本的に解決するものではなかったとしても……。


 そもそも、俺はどうして配信などしていたのだろう。

 ただルシオンをプレイするのは、べつにいい。ルシオンは神ゲーだ。まごうかたなき神ゲーだ。ルシオンよりもおもしろいものは、この世に存在しない。

 だから俺がルシオンから離れられないのは、しかたがない。

 だが、なにもべつに配信する必要はなかったんじゃないか?

 俺は、いったいなにを求めていたんだ?

 ひとに自分のプレイを見せて、なにを。


 ――エニグマはもう、とっくに死んだというのに。


 ……いや、やめにしよう。

 自分を責めて納得しようとするのはよくないと、翠にも怒られたことがある。

 俺は悪くないはずだ。

 俺はただ、好きなゲームを趣味で配信していただけだ。

 その結果、まわりまわってだれかが泣くようなことがあったとしても、俺には関係ない。

 そう、理屈ではそうだとわかっている。


 それでも、涙を流す赤城さんの横顔が、いつまで経っても消えてくれなかった。

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