早く実行しないと先を越されちゃう

浅賀ソルト

早く実行しないと先を越されちゃう

もうずいぶん前のことだが、無差別テロの手段としてトラックで群衆につっこむというのがあった。私はそのニュースを見てから、車で群衆に突っ込むという妄想に囚われることになった。

子供の頃、海外のデモ制圧の映像で、群衆に発砲する軍隊や機動隊の映像を見た。人道的にも人権の上でも大変意義のある報道なのだけど、私は銃声を聞いて悲鳴を上げながら逃げまどう人々をかわいそうと思うよりも、なんだか愉快な気分になった。

一緒に観ていた父が、まったく迷惑な連中だなと言っていたのも印象深い。父は人混みが嫌いで、マラソン大会の交通規制や花火大会の交通規制のたびに舌打ちして何やら罵倒を繰り返していた。父に言わせるとそういうのは群れて人の邪魔ばかりしている最悪な連中ということだった。

そして金曜ロードショーのラピュタである。これも最高だった。ははは、見ろ。人がゴミのようだ。あのムスカの喜びは私の喜びでもあった。

小学生のとき、ちょっとしたクイズ大会のようなものを体育館でやった。四択問題を出されて正解だと思う四隅にみんなが集まるのだ。出題されるたびに全校生徒がわーっと移動するのだけど簡単な問題では全員が広い体育館の四分の一に密集することになった。私は自分が巨大な怪物になったつもりになってその密集した一団に奇声と歓声を上げながらぶつかっていった。ぶつかっても文句は言われなかった。私はすごく興奮していたが、人は私が大会の雰囲気に興奮しているんだと思っていた。

そうではない。私は自分がみんなをどんどん弾き飛ばして群衆の反対側まで突っ切るという夢想に夢中になっていた。

渋谷のスクランブル交差点に人が集まる姿はニュースになる。

テレビを見ていた父は舌打ちをし、「あんな馬鹿はまとめて殺しちまえばいいんだ」と言った。「イカれてる」

私はトラックの運転手ではなく、教師という職に就いた。そして普通の県立高校に車で通勤するようになった。高校は辺鄙なところにあり、多くの教師が車で通勤していた。私だけが特別ではなかった。

教師というのはストレスの多い仕事である。

そして通勤の途中ではたくさんの高校生の群を運転中に見ることになる仕事でもある。

私は運転しながら、「いつやるんだ?」ということを考えるようになっていた。

「やらないよ」と運転中に声を出すようになった。

そのうち、自分の口で「いつやるんだ?」と口に出し、「やらないよ」と自分で返事をするのが運転中の習慣になった。

ある日、下校時間になり、校門から生徒たちが出ていく姿を職員室で見ていると、その背中に妄想のトラックが突っ込んできた。

妄想の中だが、そのトラックの計画はうまくいかなかった。たくさんの生徒がいるといっても密集はしていない。最初の数人を轢いたあとは若くて健康的な彼らは一気に逃げて散らばってしまう。そうなったら反転して次の獲物を探そうにもトラックはもう二度と誰も轢くことはできない。

下校姿の生徒たちを見ながら、ここに突っ込むのは全然爽快じゃないなと思った。

そんなことを考えながら見ていると、表の通りを普通じゃないスピードの車が通りすぎていった。そして何か鈍い音が聞こえた。

映画だと派手な音がするのだが、実際の交通事故の音というのは非常に小さいのだとこのとき初めて知った。

校門の外で騒ぎが起き、私も何があったのかと出ていった。

走って行き、校門を出るとき、私は少し息を弾ませていた。期待をしていたのだと思う。

表の通りを見た。車がガードレールにめり込んで停車していた。小さい悲鳴と大きい悲鳴が聞こえ、スマホのシャッター音があちこちから聞こえた。制服を着た誰かが路上に倒れていた。その生徒たちの周りに学生が群がっている。一方で停車した車の方にも生徒達が群がり中を覗いていた。

私は近くまで走った。ガードレールの内側の歩道ではなく車道を走って近づいていった。

私にとってはどうでもいい情報だが、路上にブレーキ跡はまったくなかった。

停車している位置と反対側のガードレールも大きく凹んでいた。そちらにも人垣ができている。私はそちらに駆け寄った。女生徒が倒れており、頭から血を流していた。意識はないようだが外傷はなかった。

ちょっと離れたところでブレーキとアクセルを間違えた老人が、止まろうとしてアクセルをベタ踏みしたのだろう。そのままこの通学路で制御不能になって反対車線のガードレールにぶつかり、そこで女生徒を弾き飛ばした。車は反動で元の車線に戻りそちらのガードレールにぶつかって停止した、といった塩梅だった。

速度も足りなかった。遠くから通りすぎるのを見ただけだがせいぜい80キロといったところだ。ガードレールに跳ね返される程度で、その向こうを歩いている生徒を殺すには不十分だ。通学路はガードがきちんとしている。

この調子だとバウンドした方にいた生徒も大したことないな。

私は車の方に寄った。怒号のような声が聞こえる。こういうときは動かしちゃ駄目なんだよ。けどガソリンに引火とかするんじゃないの? そこまで壊れてないだろ。

運転席にいるのは老人だった。見覚えもあるような気がしたがどこで見たかは覚えていない。シートベルトをしていて、頭から血を流しぐったりしている。

こちらは意識はあるようで、目を開いてまわりを見ていた。といっても状況はまだ理解できていないようだったが。

電柱にぶつかったようで、ガードレールの歩道側には被害がほぼなし。こちらの男子生徒は転んで怪我をした程度。

警察に連絡して、あと救急車も呼ばなくては。

「怪我をした生徒の知り合いはいるか?」私は言った。あとは身元確認か。

というわけで事故処理はその後、淡々と進んだ。別に私は目撃者ではないので参考人にもならなかった。近所の大人がちゃんと目撃していたし、怪我をした生徒は私の担任ではなかったので、そちらの処理も私の仕事ではなかった。

へこんだガードレールしか残らなかった。

私は翌日からそのガードレールを見ながら通勤することになった。

なんとなく、もう時間がない。ぐずぐずしていると手遅れになるぞ、という気がした。やるなら早くやらないと駄目だ。

私は県内の大きい祭りの開催を調べ、週末に車で向かった。

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