『私という人間』

トリニク

第1話

*縦読み推奨 

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     1

 2002年1月8日,岡山県の県北にある病院で,私は生まれた.母によると,生まれた時から眉毛が太くしっかりしていたらしく,看護婦達から「将軍」と呼ばれていたそうだ.そんな私は,幼稚園の頃はきかん坊だった.喧嘩をして相手の歯を折ってしまったり,掃除道具を取ってくれた女の子を蹴って泣かしたり,泣きながら祖父に引きずられて,幼稚園から帰ったりしていたことを今でもはっきりと覚えている.当時の私がなぜこんなに暴れていたのか,理由についてははっきりとは思い出せない.だがおそらくは,思い通りに行かないことがあると,すぐに手が出たり,暴れてしまうタイプの子どもだったのだと思う.



 まさに暴虐無人な将軍のような私だったが,小学校に上がると同時に徐々に大人しくなっていった.もちろん,小学一年生の頃は相変わらず喧嘩,というよりも戦いのようなものが好きで,校内に設置されている畳の上で,よく友達とプロレスごっこをやって遊んでいた.しかし小学校に慣れ始めると,勉強したり,図書館で借りた本や漫画を読んだり,友達とスポーツをしたりすることの方が楽しくなり始めた.

 運動場でサッカーをしている友達に,仲間に入れてと言いに行ったところ,たまたま飛んできたボールが私の頭に当たってぽぉーんと跳ね返り,相手ゴールに入って「お前,俺たちのチームな」と言われてはしゃぎ合った記憶は今でも良い思い出として心に残っているし,小学二年生のときに,九九の暗算速度でクラスのみんなと競い合った記憶は,未だに楽しかった記憶として覚えている.「本当に,当時の私は充実していた」,と心の底から言える,そんな時代だった.

 この頃の記憶にも一つ,嫌な記憶が残っている.小学一,二年生,おそらく小学二年生の頃,私は母によく,「ぶちゃいく」とささやかれながらやさしく抱かれ,一緒の敷布団で眠っていた.当時の私は,「ブサイク」という言葉をこれ以上ない誉め言葉だと認識していたし,母から「ぶちゃいく」と言われると,ものすごく嬉しかった.しかしあるとき,何がきっかけかは思い出せないが,私は「ブサイク」という言葉が悪口の一種であることを知った.もちろん,母は自分に悪口で言っているつもりはなく,愛情表現の一種として「ぶちゃいく」とささやいてくれていたことは理解しているつもりだし,当時の私もそのことは分かっていたと思うが,当時の私にとって,その事実はあまりにも受け入れがたく,ショッキングな出来事だった….

 

 私は小学二年生から,そろばん教室に通うこととなった.当時の私には,兄が一人,妹が一人いて,兄は小学二年生から,妹は小学一年生から剣道を習い始めていた.私も剣道に興味はあったのだが,じっとしていることが苦手だった私は,母親から剣道に向いていないと判断された.そして,剣道の代わりに,そろばんをやらされる羽目になった.なぜ,そろばんが選ばれたのか.それは今でも分からない.


 そろばんは特段楽しくもなかったが,嫌いでもなかった.そろばんをぱちぱちと弾く音は心地よかったし,そろばん教室で新しい友達が出来たりもして嫌な思いはしなかった.ただ,そろばん教室に通っていて一つだけ,困っていたことがあった.それは,そろばん教室の開始時刻が放課後からの習い事にしては早かったことだ.3時半からだったか4時半からだったか…,とにかくそろばん教室がある日は学校からそろばん教室まで走って向かわなければ開始時刻に間に合わなかった.

(ああーもうっ‼)

 「帰りの会」が少しでも長引くと,私はすぐに顔を真っ赤にして涙目になり,「帰りの会」が終わればすぐに駆け出して,そろばん教室までの道のりを,約20分間,休まず必死に走っていた.

 「『無限の体力』やん.」

 友達から,そんなあだ名を付けられた.

 まぁ別に,『無限の体力』と呼ばれること自体は嫌ではなかったが(むしろ嬉しかった),開始時刻をもう少し,せめて歩いていっても間に合うくらい遅めに設定してもらえれば,あんな醜態をさらすことはなかったのになぁとつくづく思う.



 小学校5,6年生の頃に転機が訪れた.中学校の噂を聞いたのである.誰から聞いたのかは覚えていない,確か友達あたりから聞いた話だと思うのだが,何やら中学校に入ると,宿題をしてこなかったり,成績が悪いと留年してしまうそうなのだ.私は怖くなった.だって,あんまり宿題はやってこない派の人間だったから.加えて授業中の態度も良い方ではなかった.もちろん,私語はあんまりしない方だったし,先生からの質問にもそれなりに手を挙げて答えていた.問題は,椅子の座り方だった.私は椅子の座り方があまり良くなかったのだ.いつも片足を椅子の上に挙げ,片足だけ体育座りの格好で授業を受けていた.意識的にではない.無意識にその座り方をしていた.なんというか,その座り方が,当時の私にはしっくりきた.

「どういう座り方しょん?」

 担任の先生から,そんなご指摘を受けたこともあった.そんな私だから,その噂に恐怖した.このままの自分では留年してしまうかも,と思った.

 私は,中学生になったら,もっと真面目になろうと決めた.




     2

 中学生になり,黒のブレザーとスラックスを身に着けるようになった私は,まず姿勢を正しくするように心掛けた.足が机の下に収まるように意識し,背筋もピンと伸ばすように意識した.宿題も毎日欠かさずやるようになった.早寝早起きを心掛け,夜の午後8時から9時頃には就寝し,朝の3時から4時頃には起きるようになった.小学校からの友達のノリにも乗らなくなった.小学生の頃は,よく昼休みの時間に,頭を上下左右に振り,肩を振って思いっきり腕をぶらぶらさせ,前腕を上下に振りながら回る激しいダンスを教室で一人踊っていた.『めちゃくちゃダンス』という愛称を付けられていたそのダンスは,中学生になるとまるっきりしなくなった.

「『めちゃくちゃダンス』やってや.」

「無理.」

 中学校に入ってからは,とにかく優等生であり続け,悪目立ちすることはしないように心掛けた.次第にそれは心掛ける必要がなくなっていき,自然にできるようになった.というより,それが自然体になった.そのおかげか先生からは好かれるようになったが,小学生の頃によく遊んでいた友達とは疎遠になっていった….



 部活動を選ぶ際,私は陸上部に入ろうと考えていた.学校からそろばん教室まで走っていた経験から,体力には自身があり,持久走に興味があった.しかし,結局陸上部には入らなかった.

「一緒にソフトテニス部入らん?」

内田といった.髭の薄っすら生えた,クラスの中でも一,二を争うくらい背の高い奴だった.彼とは小学校からの付き合いだったが,二人きりで話したことはなく,そこまで仲の良い関係ではなかった.彼は友達に片っ端から声をかけていき,私の友達の多くがその誘いに乗っていた.私もその流れに乗り,ソフトテニス部に入部することを決めた.


 ソフトテニス部での活動は楽しかった.部活内では思いっきりふざけられた.友達との試合中,ぱぁーんとうまく決められたら,「フォースと共にあらんことを」と決め台詞を吐いてカッコつけたり,「ごりらごりらごりらぁっ!」と叫んでスマッシュを決めようとし,見事に空ぶったりして笑いを引き起こしたときは気分が良かった.雪が降る中,半袖半ズボンで活動する姿を友達にいじられるのも,アイデンティティを感じられて嬉しかった.部活の雰囲気は自由で,軽く,和気あいあいとしていた.授業中やクラスでふざけられなくなっていた私にとって,とても居心地が良かった.ソフトテニス部では本当の自分がさらけ出せる,そんな気がしていた.そんな部活動でも,決していい思い出ばかりではなかった.


 私は,ソフトテニス自体はそこまで上手くなかった.部活内でも下から数えて5本の指に入るくらいには上手くなかった.ソフトテニスの試合は基本ダブルスで,試合に出るためには誰かとペアを組まなければならない.そんな時,私は決まって最後まで取り残された.

 「今回は試合にでません.」

 「なんでぇ?まだ○○君(私)が残っとるやん.」

 「○○君とはペア組みたくありません.」

 「なんでペア組みたくないんやぁ.下手やからかぁ.」

 「…….」

 ある時,内田と先生がそんな会話をしているのを見て,私は少しだけ,胸がキューッとなった….



 私は引っ越しが怖かった.周りに知っている人がいなくなり,環境が新しくなることが怖かった.新しい環境で,自分が上手く生きていく姿が想像できず恐ろしかった.だから,親の再婚で県北から県南に引っ越すことが決まったとき,私は愕然とした.永遠に続いていくと思い,安心しきっていた日常がガラガラと崩れ落ちていくようだった.親に迷惑を掛けたくなかった私は,引っ越したくないという気持ちを親にぶつけることはしなかった.ぶつけようともしなかった.そのせいか,その頃の私の中には暗いしこりのようなものがずぅーっと残っていた.親を怨むことすらあった.真夜中にふいに目が覚めて,ぐぅーっと目頭が熱くなり,嫌だなぁ嫌だなぁと顔をゆがませながらむせび泣くこともあった.そうして,長く暗い日々は過ぎていき,中学三年生の春,とうとう私は県南に引っ越した.



 パァ―ン パァ―ン

 新しい学校でも,ソフトテニス部に入った.その学校のソフトテニス部は,私の知っている,和気あいあいとしたソフトテニス部ではなかった.

「もっと走れやぁ!声はりあげろぉ!」

 部内には,キリッとした雰囲気が漂っていた.顧問の先生は厳しく,とてもふざけられる雰囲気ではなかった.ふざけ合える相手もいなかった.この厳しく,殺伐とした環境で,私のソフトテニスの技術は幾分か上達した.幾分か上達したが,上手い部類まで至ることはできなかった.試合でも,練習試合でちらほら勝つくらいで,本試合では一度も勝つことができなかった.後輩にも,歯が立たなかった….

 


 志望校を決める時,私は当初,県北の高校に行きたかった.県北に戻りたかった.私は以前の友達と会いたかった.以前の友達と一緒に学びたかった.しかし,担任の先生に説得され,金銭面で両親の負担になるようなことはしたくないなという思いもあり,県南の高校を志望校として定めた.「岡山城東高校」という名前だった.全く聞いたことのない高校だった.偏差値と,先生の言葉だけで決めた.本当にこれでいいのだろうかと,定めた当初は思った.


 「ようこそ!城東高校へ!」

 オープンスクールに行ったとき,明るさを感じたことを覚えている.

 あの日は,夏の暑い日だった.空は快晴で,時計台は高くそびえたち,校舎全体が白く輝いて見えた.

 ぱぁーん ぱぁーん

「ふぁいとぉーふぁーいとぉー‼」

 テニスコートでは,ソフトテニス部の先輩たちが生き生きと練習していた.球も,嬉しそうにテニスネットの上を飛び交っていた.校内は広く,中庭の芝生も若々しかった.帰り際にもらった時計台と青空の背景が印刷されたクリアファイルも,綺麗で美しく,くすんでいた私の心に,小さな光の雫がポツンと広がっていくような感覚を覚えた.

 そうして私は,その学校に進学することを決意した.




     3


 長い受験が終わり,私は晴れて,岡山城東高校に進学することとなった.

 

 その高校は活気に満ち溢れ,個性で溢れていた.

 

 ジャニーズ好きやラグビー部,ピアノの弾けるナルシスト.その学校に通っている人は皆,何かしら目立つものを持っていた.


 (もっと勉強しとけばよかった.)

 そんな不安を受験直後に経験した私は,入学当初からも気を抜かず,真面目に勉強していた.最初真ん中くらいだった学力は次第に上がっていき,半年が過ぎる頃には学年上位10%の仲間入りをしていた.

 「○○君って頭いいよな.」

 学力の高い人が集まるその高校では,「学力」こそが尊敬の対象であった.その頃には,クラスの中心的な地位を築くことができていた.

 個性的で自分を持っているクラスメートたち,そんなみんなに受け入れられている自分.


「イクスキューズミー?」

「ぼくは,きみを,許さない.」

 そんな冗談が言えるくらい,私はクラスに打ち解けていた.


 高校でも,ソフトテニス部に入部した.そこは,オープンスクールで想像していた通りの場所だった.和気あいあいとまでは行かないが,軽めの雰囲気で,あまり上手くない私でも日の光を浴びながら気軽にプレーすることができた.部内の人間関係もよく,よく冗談を言い合ったり,いじり合ったりしていた.


 友達もできた.丸山君といった.同じ部活の気軽に話せる友人だった.大柄でおおらかで,動きものっそりしていたが,球を打つときだけは別人のように変わり,ハヤブサが獲物を捕らえるかのごとく素早く腕を振る人物だった.彼は,自分から冗談を言うタイプではなかったが,私の言う冗談はいつも温かく受け止めてくれた.時々私の冗談に鋭いツッコミを入れてくれて,それも心地よかった.信頼できる人物だったし,引っ越してから初めてできた,心から気の許せる友人だった.



 学年でも上位の成績となっていた私であったが,たったの一度も一位を取ったことがなかった.一つだけでもいいから,何かの科目で学年一位になりたいと考えていた.そんな私だから,高校二年生から始まる日本史の勉強には人一倍力を入れた.

 人目もはばからず,日本史の教科書を読みながら,駅から高校までの約20分の道のりを徒歩で通学するようにした.友達からあぶねぇだろと軽く注意されることもあったが,「足元は見えとるけん大丈夫や」と意に返さず,頑なにそれを続けた.その甲斐あって,日本史のテストでは毎回一位をとることができた.一位を取ることは,私の脳を快感で埋め尽くした.


 「○○君頭いいな.」

 「○○すごいな.」

 「○○,今度のテスト勝負しようや.」

 クラスメートからの評価も,より一層上げることができた.


 「あっ,君が○○君なんや.」

 同じクラスじゃない同級生からも,声をかけられるようになった.


 高揚感.高揚感.私が将軍.周りが家来.「岡山城東高校」は,まさに私の「城」であった.



 高校三年生の春,私は防衛大学校を受験することに決めた.祖父が元自衛官,叔父が現役の自衛官というやたらと自衛官に縁のある家系で,小学生の頃から,自衛官に興味があった.


「○○ならいけるやろ.先輩も受かったし.」

 野球部の友達からも,そんなことを言ってもらえた.

 叔父からも,問題集を送ってもらえた.


 新幹線に乗り,電車とバスに揺られながら,母と一緒に防大のオープンキャンパスに行った.青々とした並木道.蟻のように行き交うライバル達.緑に囲まれた白い校内は広く荘厳で,身が引き締まる思いだった.



 みんなから応援されていた.みんなが私を信じていた.私も自分を信頼していた.だからこそ,みんなの期待を裏切らないよう,いや,みんなに堂々と顔向けできるよう,私は死ぬ気で勉強した.わき目もふらず勉強した.もはや私には,失敗は許されなかった.

 

 防大には,一次試験と二次試験があり,一次は学力試験,二次は口述試験だった,

 

 私は見事,一次試験に合格した.


 家族から祝福された.友達におめでとうと言ってもらえた.嬉しかった.喜ばしかった.オレンジ色の自信と希望に満たされていくようだった.そして,


 わたしは,二次試験に落ちた.












     4

「…ふぅー.」


(続きどうしたらええんかなぁ….)

 カラになった食器を見つめながら,私は悶々としていた.


「○○,久しぶり.」

急に誰かに話しかけられ,私はビクッとして顔を上げる.


「…おおっ⁉丸山君.この学校やったんや.久しぶり.」

「おう.俺も○○がおってびっくりしたわ.高校以来やなぁ.」

「うん,そうやな.」 

 丸山君は,トレーを置いて,私の向かいの席に座った.


「…….」

 丸山君は,高校の頃よりも頬が少しこけていたが,相変わらずおおらかな雰囲気を漂わせていた.


「それ,まだ持っとんやな.」

「ん?ああ.…まぁ物持ちはええ方やからな.」

 私のトレーの横には,膨んだクリアファイルがあった.表紙には,岡山城東高校の時計台と背景の青空が印刷されている.色は,もうすっかり褪せていた.


「ふーん….何挟んどん?」

「小説.いま小説の授業受けとってな.『私という人間』ってタイトルで小説書かにゃいけんのんよ.」

「へぇー小説っ!小説家なるんっ⁉」

「いや,流石に目指してないよ.無理やろうし.」

 食い気味の反応に,私は笑ってごまかした.


「ふーん….」

 丸山は,カレーを一口頬張る.


「…就職活動はどんな感じなん?」


 何気ないその質問に,私はドキッとした.


「…一応公務員試験受けた.」

「へぇー,公務員になるんや.」

「いや,ならん.ていうか全落ちした.」

「えっ⁉全落ち?」

「うん.一次の筆記は全部受かったんやけどなぁ.やっぱ二次がダメやったわ.」

 私はへらへら笑って答えた.力のない,上辺だけの笑みだった.私の反応に,丸山は若干引きつっているような気がした.


「ふーん.…なんか変わったな.○○.」

「そうか?」

「うん.」

「…….」


 私は,いてもたってもいられなくなる.コップに残っていた水をクイッと喉に流し込んだ.


「…それじゃ,そろそろ行くわ.」

私はクリアファイルをカバンにしまい,紐を肩にかける.


「おう.またな.」

「うん.」

 目を見ずに返事をした.トレーを持ち上げ,逃げるようにその場から立ち去る.


「…….」


 私は,重めの足取りで,片づけ台へと向かっていく.


「…….」


(まっ,いいや.)

コトッ


騒がしい食堂に,小さな音が小さく響いた.


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『私という人間』 トリニク @tori29daisuki

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