第7話 アメシストは透き通りて
§
孤児院の客間。
大きなガラス窓からやわらかな陽の光が差し込んでいる。
ハンナはローテーブル越しに、院長と向かい合っていた。
テーブルの上ではホットココアが湯気を立てている。
院長が入れてくれるホットココアは、昔からハンナの大好物だ。
「そうですか。ここを出て行くのですね」
いつの間にか真っ白になった髪を撫でながら、院長が目を細める。
ハンナは黙って頷いた。
「アパルトマンが爆発したと聞いて、住み込み用に部屋を用意するつもりでしたが、杞憂だったようですね。いつかはこんな日が来るとは思っていました。……マディのように」
そして、院長がローテーブルに置いたのは、小さな木箱だった。
「これは?」
「あなたを拾ったとき、一緒に置かれていたものです。手紙が添えられていました。もしあなたが成長してこの街から旅立つことになったときには、餞別として渡してほしいと」
「失礼します」
ハンナは木箱へと手を伸ばす。
箱を開けて、目を見開いた。
「……!」
そこに収められていたのは、菫色の宝石だった。
ハンナの瞳と同じ色。
深く透き通り、潤むような光を帯びている。
(まさか、これって『十二の精霊』のひとつじゃ……!)
鼓動が早鐘を打つ。
ハンナの両親は、一体、どんな思いでこれを残したというのか。
本当に、十二の精霊はハンナを導き、ハンナの元へ集まってくるというのか。
だとしたら。
(必ず、わたしと師匠は再会する。十二の精霊を巡って)
瞳を潤ませながら、ハンナは院長に頭を下げた。
「ありがとうございます。持ち物は何もなくなってしまったので、これだけ持って行きます」
§
ハンナが孤児院を出たところで、鷹が近づいてきた。
「お待たせしました、グランツさん」
「いえ。こちらこそ急かしてしまいすみません」
グランツの声はやわらかく、ハンナを気遣っているように聞こえた。
ハンナは菫色の宝石を取り出して見せる。
「これを院長から預かったんですが、もしかして、『十二の精霊』でしょうか?」
「……!」
ばさっ、とグランツが大きく羽ばたいた。
「二番目の精霊、アメシストです。流石ハンナさん……」
「やっぱり、そうなんですね」
答え合わせをしてなお、ハンナの声は暗い。
「わたし、もう一度、師匠とちゃんと話をしなきゃいけないと思うんです」
「あなたが世界に出れば、自ずと十二の精霊はあなたに引き寄せられていきます。そこには必ず古代龍王リトヴルムがいます」
世界を守るとか、古代龍を倒すとか、そういう難しいことじゃなく。
ただ、リトに会って、話をしたい。
説得したい。
人間を滅ぼさんとするのは、諦めるように、と。
(そのためにできることは、何でもする……!)
ハンナはアメシストに紐を巻きつけて、ペンダントにすると首から提げた。
オクトベルは山と川に囲まれた街。
子どもの頃から見慣れてきた川を臨む。
(数日前まで、ここから、どこにも行けないと思ってたのに)
それは、ふしぎな感覚だった。
「?」
そして何者かの視線に気づいて――遥か先の対岸を見つめた。
「師匠……!」
川の向こう岸に立っていたのは、美しい白髪をなびかせる、人ならざる者。
遠すぎて表情は分からない。
ただ、言えるのは。
ハンナが泣きそうになっている、ということだけ。
鼻の奥が熱い。
今は泣きたくない。だから、泣かない。
「会いに行きます。待っててください!」
瞬きのうちに、リトの姿は消えていた。
「行きましょう、グランツさん」
「はい。どんなところへも、お供いたします」
ここがはじまりだ。
ハンナはようやく、一歩を踏み出す。
濁らないで、アメシスト。 shinobu | 偲 凪生 @heartrium
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