濁らないで、アメシスト。

shinobu | 偲 凪生

第1章 この出逢いを運命と呼ぶならば

第1話 流れ星のような嵐

§






「ハンナ。申し訳ないが、今日から君はここで働けなくなった」

「……え?」


 ハンナはすみれ色の目を丸くして、次に、自分の耳を疑った。

 いつものように冒険者ギルドに出勤したところで、小太りのギルド長から申し訳なさそうに告げられたのが、突然のクビだったから。

 そのまま、ハンナは言葉に詰まって立ち尽くす。


「君が不正登録に関わっていたという告発があった」


 ギルド長が額に浮かぶ脂汗を拭こうとスーツのポケットから絹のハンカチを取り出した。

 しかしその手は微妙に震えている。

 ハンナ以上にギルド長は動揺しているようだった。


「ふ、ふ、不正?」

「私にも詳しいことは分からないんだ。君の品行方正な働きぶりは知っているが、クビにしろという上からの指示には逆らうことができない」

「いやいや、ギルド長がここのトップですよね?」

「分かってくれ、ハンナ。今までよくやってくれた」

「……」


 呆気にとられたハンナの両腕に、こことぞとばかりギルド長は荷物を載せていく。とはいえ、制服も筆記具も支給なので、渡されたのはマグカップとかハンドクリームといったこまごまとしたもののみ。


「これまでありがとう、ハンナ」


 ばたんっ!

 そのまま裏口から追い立てられるように出されて、扉は容赦なく閉められた。


「ちょ、ちょっと! いきなりクビだなんてあんまりです、ギルド長!!」


 我に返ったハンナが叫ぶも、もう遅い。

 顔なじみの衛兵たちが何事かとハンナに近づいてきた。


「おい、大丈夫か」

「いきなりクビだって? お前、何したんだよ」

「むしろ何かやらかしたのはギルド長の方だろう」


 野太い心配はハンナの耳を通り過ぎていく。

 冷や汗が止まらない。


(思い出せ。昨日、何かおかしなことは――あった)


 記憶を辿れるだけ辿って、やがて、血の気がさーっと引いていくのを感じていた。


(まさか、あの人が……?)




§




 冒険者ギルドの受付となって、早三年。

 正直なところ、ハンナはものすごく仕事ができるタイプではない。

 誇れることといえば、一日も欠勤したことがないくらいの、ごく普通の事務員だ。


 受付の仕事とは冒険者の管理である。


 冒険者。

 この世界に点在する『迷宮』へ入ることのできる唯一の職業。


 迷宮には、手に入れば一生遊んで暮らすことのできるような財宝が眠っている。

 それと同時に、出会ってしまえば最後、決して生きて帰ることのできないモンスターも棲息している。

 一攫千金を夢見る人間は後を絶たない。

 だからこそそんな人々を管理するために冒険者という職業による、迷宮へ入れる人間の餞別が必要なのだ。


 冒険者の資格は、筆記試験と実技試験をクリアすればほとんどの人間が取得することができる。

 ただランクによって入れる迷宮の区分がされているのだ。

 また、迷宮は各地に点在するため、冒険者たちは国を超えて活動している。


 ハンナは朝から途切れることのない冒険者対応に追われていた。

 山と川に囲まれたこのオクトベルという街には大小さまざまな迷宮があり、踏破しようと冒険者たちはギルドの受付へひっきりなしにやってくる。


「次の方、どうぞ」


 少し距離を開けて待っていた冒険者が応じて数歩前に進んだ。水晶板のカード型冒険者証がすっとカウンターに置かれる。

 ハンナは手を伸ばして冒険者証を手に取った。


 魔法石でできた箱の上に冒険者証を置いて、ハンナは指先から微量の魔力を流した。

 すると、空中に経歴が浮かび上がるようにして表示される。


(前回は隣国の迷宮? すごい。こんなに記録があるなんて) 


 普段ならば個人情報をまじまじと見ることはしないが、ありえない量の冒険履歴が記載されていて、ハンナの目は釘付けになる。

 あまり冒険者の顔を見ないようにしているのに、このときばかりは好奇心から顔を上げた。

 そして息を呑む。


(きれいな女の人……)


 背の高い、すらりとした女性だった。

 さらさらと流れるような白髪を後ろでひとつに束ねている。切れ長の瞳はほのかに紅い。知的で冷静、といった表現がぴったりな涼し気な顔の持ち主だ。

 冒険者ギルドへは、己の力を誇示するために敢えて重装備でやってくる者も少なくない。しかし彼女はこれから街のレストランで食事をしに行くような、仕立てのいいシャツを着ていた。


「あの?」

「すっ、すみません」


 思わず見惚れていたハンナ。女性の声かけではっと我に返ると、慌てて冒険者証に必要な情報を載せた。


『リト・ユヴェーレン オクトベルでの冒険を許可する』


 空中に記された文字はそのまま水晶板に刻み込まれる。

 一瞬発光した後、新たな一文は冒険者証になじんだ。


「お待たせしました。それでは、よい冒険を」

「ありがとう」


(声もきれい……)


 決して高くはない聞きやすい音程の声。発音もきれいで、耳に残りやすい。

 付け加えるならば、後ろ姿も、歩き方も、堂々としていて美しい。


(いいなぁ)


 ふわりと、本音が奥底から湧き上がった。

 容姿のことではない。


(いろんな国の迷宮に行けて)


 今は冒険者ギルドで働いているが、ハンナも、かつては冒険者に憧れていたのだ。

 くせ毛の茶髪も、平べったい体型も、21年生きていれば馴染んで諦めはつく。

 だけど、冒険者になりたかったという想いは、時々こんな風に燻るのだった。




§




「お先に失礼します」


 ハンナが業務を終えて私服に着替えて裏口から出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。

 雨でも降ったのだろうか、少し空気が湿っている。

 道中でくせ毛がひどくならないように手櫛で整えてから、ハンナは歩き出した。


(晩ご飯、どこで食べようかな)


 一人暮らしだが料理はあまりやらない。嫌いではないが、ついついたくさん作りすぎてしまうからだ。

 行きつけの食堂や酒場のメニューを頭に浮かべる。


(今日は賑やかな酒場でエールを飲むのもいいかも)


 そのときだった。


「えっ?」


 ハンナの目の前を、何かが勢いよく通りすぎていった。


(流れ星――みたいな、白い、髪?)


 一瞬の出来事。姿はもう見えない。

 しかし白い髪で思い出すのは一人しかいない。

 昼間にギルドで受付した、リト・ユヴェーレンという冒険者だ。今晩はこの街で夜を楽しみ、明日の朝から迷宮へ行くのかもしれない。

 ただ、その鼻には違和感が残っていた。


(血の……におい?)


 迷うことなくハンナは走り出した。

 姿は見えないが、血のにおいはわずかに残っている。

 跡を辿っていくと建物と建物の僅かな隙間に入り込む影が見えた気がして、ハンナは駆け寄った。


「あのっ、大丈夫ですか?」


 話しかけた相手は間違いなくリト・ユヴェーレンだった。


「!?」


 突然話しかけられるとは思っていなかったのか、びくっと肩を震わせる。

 しかしその瞳に怯えや恐怖は見られなかった。

 単純に、ハンナに見つけられたことを驚いているようにも見えた。


 改めて照明に照らされた彼女の肩は、服の上からでも分かるくらいに赤く染まっていた。

 視覚で認識してしまうと、よけいに血のにおいが際立つ。


「昼間に冒険者ギルドで受付した、ハンナといいます」


 ハンナは臆さずに口を開いた。 


「あの、お怪我されてますよね? もしよかったら手当てさせてください」


 ギルドでも怪我の応急手当をする機会がある。もし自分の手に負えないようであれば警備詰所に連れて行き、そこから神殿で診てもらった方がいいかどうか判断してもらえばいい。

 ハンナはそう考えて手を伸ばす。

 しかし、それは簡単に振り払われた。


「心配は要らない。これくらい、大丈夫だ」


 リトの声は僅かにこわばっている。

 負傷人特有の震えはない。しかし、強がっているだけかもしれないと、ハンナは言葉を強めた。


「大丈夫には見えません。服を脱いでもらっていいですか」

「……」


(え? 今、舌打ちした?)


 彼女の態度に、ハンナはようやく自分がおせっかいをしているのかもしれないと思い至る。

 それと同時にリトは勢いよくシャツを破って肩を露わにした。白い肌には血がべったりとついていた。

 ただ、傷口は――ハンナの目の前でみるみるうちに塞がっていった。


「大丈夫だと言っただろう」


 リトが、ハンナを冷たい眼差しで見下ろした。


(そんな、まさか)


 ハンナはハンナで、あると思っていたものがないことに動揺する。

 破れたシャツから覗くリトの胸板は厚く、どんなに平らに近いとしても女性ならば感じられる曲線的な膨らみがなかった。


(……この人、男性だったの!?)


「これくらいの怪我、自然に治癒する」

「ごっ、ごめんなさい……」


(しかもこんな強力な治癒魔法、はじめて見た。だからあんなに冒険履歴があったの?)


 明らかにリトは不機嫌だ。

 ハンナは委縮して、女性だと勘違いしていたことも合わせて謝罪を述べようと口を開く。

 すると誰かがハンナの背後に立った。


「お迎えに上がりましたよ~」


 場の重たい雰囲気に似つかわしくない、軽やかな声だ。


「……遅い」


 リトがハンナの横を通り、闖入者の前に立つ。

 ハンナは肩越しに振り返った。迎えに来た、と告げたのは、夜闇に紛れてしまいそうな立派な鷹だった。


「た、鷹が喋ってる!? モンスター!?」

「やだなぁ。モンスターなんかじゃありません。僕はれっきとした使い魔ですよ」


「いい加減にしろ。お前が遅いせいで人間に見つかってしまった」


「それはそれは大変失礼しました、我が主」


 言葉に反して、まったく悪びれていない。

 鷹は大きく空中で羽を動かすと、リトの肩に留まった。それから、じっとハンナを見てくる。

 

「おや? あなたはギルドの受付嬢ですね?」

「え? どうしてそれを」

「昼間に我が主の受付を担当したでしょう。ところで、冒険者ギルドの職員は口が堅いことで有名です。今見聞きしたことは、他言無用でお願いしますね?」

「は、……はい!」


 こくこくこく。ハンナは何度も頷く。

 強力な治癒魔法の使い手。

 鷹の姿をした使い魔。

 どちらも、かなりのイレギュラー事案である。下手したら騒動が起きかねないことくらいハンナにだって分かる。


「僕が来てよかったですねぇ。このままだと、あなたは我が主に殺されていましたよ」

「!?」


 ハンナは弾かれたようにリトを見た。

 一切否定しないどころか、ハンナに対して反応すらしない。


「主も、むやみやたらに人を殺そうとしてはいけませんからね?」

「……」

「どうせ最初の怪我も、無理やりの場所を聞き出そうとしたからでしょう」


 リトを主と呼んだ男は、部下には見えない気安さで主の肩を組む。

 しかしリトはそれを払おうとしない。 


「それでは、失礼します。よい夜を」


 無言でリトはハンナを一瞥した。

 ハンナは思わず姿勢を正すが、特に何か話しかけられることはなかった。


 そのままリトたちは颯爽と歩いて行ってしまう。

 はらりと鷹の羽根が地面に落ちる。

 ハンナはしゃがんで、それを拾い上げた。何の変哲もない、ふつうの鳥の羽根だ。


(流れ星じゃなくて、嵐……)

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