第5話 光の射さない希望の褥
§
ハンナたちが向かったのは、噴水広場だ。
ハンナの家へ招くことも、リトたちの宿へ行くなんてこともありえない。ということで選ばれたのが開けた場所である噴水広場。
なるべく端の芝生に、ふたりは輪になって座った。
グランツはリトの肩に留まっている。
夕暮れのそよ風が心地いい。
子どもたちは噴水の中心ではしゃぎまわっているし、恋人たちは寄り添い語らい合っている。
とてものどかな光景だ。
リトが懐から何かを取り出した。
『天と地が互いを創造するとき
滑らかな祈りは世界を侵す
光の射さない希望の
十番目の精霊は眠る』
羊皮紙に刻まれた文字を読み上げたのはグランツだ。
古代文字で書かれていて、ハンナでは読むことができない。
(光の射さない希望の褥。たしかに、鍾乳洞っぽいけれど……)
ぼろぼろだが歴史的価値のありそうな羊皮紙は、博物館に展示されていたとしてもおかしくなさそうだ。
まじまじとハンナは古代文字の羅列を見つめた。
「これが、ふたりの探しているものの在処を示した言葉なんですか?」
「そうだ」
リトの歯切れは悪い。
あまり事情を明かしたくないのだろうということはハンナにも判る。
(探しているものは、『十番目の精霊』?)
だからこそ、敢えてハンナは尋ねようとしなかった。
「ハンナ嬢が古代文字を読めなくて助かりました」
「え?」
「いいえ、ただの独り言です。ということでハンナさん。この言葉からイメージする鍾乳洞以外の場所が思いつきますか?」
グランツに問われて、うーん、とハンナは唸る。
唸りながら、宙に向けて人差し指で地図を描いた。
「オクトベルは山と川に囲まれた土地です。いくつか迷宮はありますが、一番大きいものが鍾乳洞です」
北から西にかけてが山。
南に川。
ハンナたちが今いる噴水広場は、東寄りの地区だ。
「光の射さない……」
「お人よしだって言われないか?」
突然水を差してきたのはリトだった。
「俺たちに協力したって何のメリットもないだろう」
「えぇと、それはその通りなんですけど」
表情のかたいリトに対して、へらりとハンナは笑ってみせた。
「俺たちの素性も知らないのに、よく手伝えるな。とんでもない悪人だったらどうするつもりだ」
「そのときは、そのとき考えます。それに」
ハンナは、リトをまっすぐに見据えた。
「鍾乳洞で、師匠はなんだかんだわたしを助けてくれました。悪い人とは思えません」
「……ふん」
目を逸らしたのはリトの方だった。
立ち上がり、ハンナに背を向ける。
(むしろ、優しいと思うんだけどな)
そんなことを言ったら、リトは怒りそうだったが。
「あ!」
急に大声を上げたハンナに対して、リトは何だよと振り返った。
「希望の褥。分かりました。……わたしの育った孤児院の裏にある、ふしぎな柱だと思います」
§
ハンナたちが目的地へ着く頃には、とっぷりと日は暮れていた。
煉瓦造りの平屋から少し離れた場所にそれはあった。
「古代遺跡の残骸だと噂されてはいるんですが、真偽のほどは分からないんですよね」
探しものの在処が古代文字で書かれているということは、古代遺跡に何らかのかかわりがあってもおかしくない筈だ。
もちろん、確実ではない。
(ただひとつ言えるのは、わたしはそこに捨てられていたということだけ)
人間の背丈ぐらいの高さでぽっきりと折れている、乳白色の柱だったもの。
幼い頃はよくこの場所に来て、自分の家族が迎えに来てくれないかと待ち続けていたものだ。
「ハンナさんは孤児だったのですね」
グランツからの問いかけにハンナは頷いた。
「わたしのなかにある、一番古い記憶です。大きな手のひらがわたしの頭を撫でてくれる。それから少しずつ離れていく。遠ざかっていく……」
(この場所こそわたしにとって、光の射さない希望の褥だった)
「どうですか? 我が主」
「ふん」
リトは柱に近づき、そっと触れた。
それから何かを感じ取ったかのように瞳を細める。
「……確かに、これは古代遺跡だ。まさか残っているとは思わなかったな……」
「師匠?」
(なんだろう。まるで、懐かしむような……)
「で、これのどこが希望の褥だって?」
「柱の根元を見てください」
不自然な穴。穴というよりは、何かを埋めきれなかったような跡だ。
「なるほど。そうきたか」
にやり、とリトが口角を上げる。
初めて見せる愉快気な表情に思わずハンナの心臓が跳ねる。
「我が主。どうしますか?」
「強行突破しかないだろう。ふたりとも離れていろ」
「ハンナさん、こちらへ」
ただならぬリトの雰囲気に、ハンナはグランツに呼ばれるまま距離を取る。
「――」
リトの唇から紡がれる呪文は、ハンナには聞き取れない。
(もしかして、これすらも古代言語なんじゃ……師匠っていったい、何者なの!?)
リトが穴に向かって右手を突き出した。手のひらに炎のような光が生まれる。つまんで引っ張る。矢となる。
いつの間にか、リトは光でできた弓をつがえていた。
リト自身の輪郭が輝いている。
あまりにも、美しい光景だった。
まるで宗教画のような。
神話のような。
視線を逸らせない。
呼吸を忘れるほど、ハンナはリトに見惚れていた――
やがて、リトの詠唱が終わる。
「――」
一点集中。穴を埋めていた土や砂が舞い上がる。砂埃は砂嵐となって、一気に視界を覆った。
ハンナは両手で口を覆いながら叫ぶ。
「えええええ!」
(こ、こんな魔法、見たことない……っ!)
「しまった。出力を間違えた」
そんなリトの言葉と同時に、ハンナの足元から地面が消えた。
正確には、その場所ですら埋め立て地だったのだ。
「きゃあああああ!」
落下していき――
ぽすっ。
「きゃっ」
ハンナを受け止めたのは、やわらかな布の塊だった。
恐る恐る手に取ってみると、たくさんの服。年季は入っているが白く絹のような素材だ。
そのデザインは、神官の制服というのがしっくりくる。
地面に足をつけて、ハンナは頭上を見上げた。
(う、嘘でしょ)
空は満天の星空。
さっきまでいた場所が、遠い。
「……師匠? グランツさん?」
辺りを見渡してみるもののふたりの姿は見当たらない。
(どうしよう……)
薄暗く視界も悪い。震えを感じて、ハンナは両腕で自らを抱きしめた。
どうやら本当に地下神殿らしい。
孤児院の下まで続いているのだろうか。もしそうだとしたら、かなりの規模となる。
「きゃっ」
ハンナの脇を駆け抜けていったのはねずみだ。
(迷宮よりも迷宮っぽいんだけど……。とにかく、リトさんたちを見つけて、地上に戻らなきゃ)
リトたちが負傷しているとはとうてい思えなかった。
つまり、ハンナは自力で彼らと合流しなければならない。
流石にハンナを置いて地上に上がるような薄情さはないと信じたいが、時間帯的にもここで一晩を明かすのは絶対に避けたかった。
(まさかとは思うけど、モンスターが現れたりして……いやいやいやいや!)
自らの想像にハンナは背筋が凍る。
「師匠ー! グランツさーん!」
しかしこだますら返ってこなかった。
「うぅ……」
ハンナはその場にしゃがみこみ、ずずっ、と鼻をすする。
「帰りたい……」
そのとき違和感に気づいた。
気づいてしまった。
(……? 何か、光ってる……?)
まるでハンナを導くかのように、何かが点々と光っている。
つまんで拾ってみると見覚えがあった。
「スライムの、核?」
恐る恐るハンナは立ち上がった。
足は自然と動いて、光を辿って行く。
あちらこちらに、人間が生活していたらしき痕跡があった。
きちんと畳まれた布は神官服のようなものとはまた別だった。
瓶のなかに入った香辛料。腐ったものはなさそうだ。
最近ではない。少なくとも、十年は経過している。
(わたし……この場所を知ってる、気がする……)
いつの間にか恐怖は薄れていた。
ハンナは迷わず、光の続いた先の扉に手をかけた。
がちゃり。
「わぁ……」
思わず声が漏れた。
どうやら古代神殿の心臓部らしい。
身廊の先に祭壇が見えた。
ゆっくりと進むと、祭壇の上に、一冊の本が置かれていた。
ハンナは手を伸ばしてそれを開く。
ぶわぁっ……!
溢れたのは、目映い光。
「――正解だ」
背後から声がしてハンナは勢いよく振り返る。
両腕を組んだリトと、グランツがいた。
リトが身廊を歩いてハンナへ近づいてくる。
そしてハンナの横に立つと、くり抜かれた本の中に収められていた何かを取り、掲げてみせた。
「見つけたぞ」
七色の光はリトの手へと収束していく。
やがて光が収まると、そこには美しい石が握られていた。
代わりに、リトの瞳に宝石の輝きがゆらりと映る。
「十番目の精霊。オパール」
それは、七色に輝きを放つ宝石。
「ハンナさんが導いてくれました。ありがとうございます」
グランツがハンナの前へと回り込んだ。
「でも、わたしはなにも」
「いえ。貴女の存在こそが、鍵でした」
「それは、どういう――」
言いかけてハンナは息を呑む。
気づいてしまった。
「……っ!」
リトが、満足げに口元を歪ませていることを。
神聖さとは程遠い、禍々しさを湛えていることを……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます