趣味友達の山田さん

かめさん

趣味友達の山田さん

 田中沙耶さやは取引先の建物から出ると、大きなため息を吐いた。今日は打ち合わせのために市まで赴いていた。暗い空をピカピカと照らすビル街を、よれたスーツ姿で地下鉄の駅に向かう。


 今日は隣の市にあるオフィスには戻らずに、取引先からまっすぐ帰宅することにしていたが、予定以上に打ち合わせが長引いてしまった。


 しばらく歩いていると、ゼッケンを身につけてバスケットボールを携えた少年達のイラストが目に飛びこんできた。沙耶が好きなアニメ作品「バスケプリンス」のキャラクターが描かれたポスターが、アニメショップの窓に貼られていた。


――久しぶりに少し見ていこうかな。


 沙耶は店の中に入った。


 店内にはアニメや漫画、ゲームのキャラクターグッズが所せましと並んでいた。沙耶は幼いころからアニメを見たり漫画を読んだりするのが好きだった。そして、五年前に「バスケプリンス」に夢中になってからは、好きなキャラクターのグッズを集めたり、ファンアートをインターネット上で公開したりするようになった。


 店内を見て回っていると、来週に新グッズが発売されるという内容のポスターを発見して、新しい情報に心を躍らせた。


(たまには、発売初日に並んで買いに行こうかな。誠二も反対はしないだろうし)


 自分の趣味に理解を示してくれる夫の反応を予想しつつ、買うかどうか悩んでいると、見覚えのある人が通りかかった。茶色のショートヘアにすらりとした長い脚、そして「バスケプリンス」の缶バッジをいくつもつけたかばん……。


(もしかして、山田さんかな?)


 沙耶は二年前、共に作品集を作った知り合いではないかと思い、鼓動が速くなるのを感じた。こんなところで再会できるなんて。興奮しながら声をかける。


「あの、山田さん。お久しぶりです」

「え?」


 彼女は振り返った。


「ああ。私、山田じゃないです」


 沙耶は言葉を詰まらせた。


「あっ、すみません。失礼しました」


 彼女はくるりと背を向けて去っていく。沙耶の顔は熱くなり、スーツの下に着たシャツが、汗でじっとりと湿っていた。


(人違いだったんだ。きっと、そうだ)


 そう自分に言い聞かせたが、心の奥底では何かが引っかかっていた。



 ネット上に「バスケプリンス」のファンアートを投稿するようになったころ、同じ題材のイラストを描いていた「山田」と出会った。


 初めはその技量の高さに感動してコメントを送っていただけだったが、しだいに返信がくるようになり、沙耶の作品の感想も送ってくれるようになった。いつしかネット上で交流するようになっていた。


 そこで山田が女性であることや、デザインの仕事をしていることを知った。


 そして二年前。山田から「一緒に作品集を作らないか」と、誘われた。自分達のイラスト作品を印刷・製本し、ファンが集まるイベントで配るのだという。聞いた時は、あの山田の作品と一緒に、拙い自分のイラストが載るなんて……と恐れ多い気持ちだった。


 しかし、彼女と一緒に何かを作ってみたい、という気持ちが上回り、誘いを受けることにした。


 何枚もイラストを描いては修正し、印刷所の人と打ち合わせながら作りあげる作業は大変だったが、充実したひとときだった。山田とのやりとりは基本的にオンライン。印刷所の人に会って話をする時に、初めて山田と対面した。それからも数回しか会わなかったが、彼女のことは強く印象に残っていた。


 一日の家事を終え、夫とともにベッドに潜った沙耶はふと、アニメショップでの出来事を思い出す。最後に会ったとき、山田は委尾市に住んでいると言っていた。意外に家が近いね、と盛り上がったときの声が脳裏に蘇る。先ほど出会った人は、確かに記憶の中の彼女と同じ雰囲気をまとっていた。


 同じ市内にいて、同じ作品を愛し、顔立ち、背の高さ、年齢、そして声さえもそっくりな赤の他人が、果たして存在するだろうか? とはいえ、二年前の記憶が正しいと言える自信もなかった。


(もう忘れよう)


 沙耶は頭の中の霧を払うように首を振ると、目を閉じた。



 しかし、委尾市にある取引先のオフィスが入ったビルの一階にあるコンビニで、再び山田らしき人に会った。カジュアルな格好で、アイスクリームを選んでいる。鞄には以前と同じく「バスケプリンス」の缶バッジがついていた。


 また人違いかもしれない。そう考えた沙耶はレジに並んでいる間、彼女の様子を窺う。すると、舞台となる高校のバスケ部のエース「タツヒロ」のバッジが多いことに気がついた。山田が特に気に入っているキャラクターだった。


(今度こそ本物の山田さんかも)


 会計を終えて彼女に近づいたとき、アニメショップでの恥ずかしい記憶が蘇ってきて、立ち止まった。迷っている間に、彼女は店を出てしまった。しかたなく沙耶も店を出る。重い石を腹に抱えたような気持ちだったが、午後からの打ち合わせに備えて資料の確認をしなければならない。


 このことはいったん忘れようと、炭酸飲料を勢いよく喉に流しこんだ。



 帰宅後、イラスト投稿サイトを開いた。慣れた手つきでサイトを巡っていると、結婚で忙しくて久しく開いていなかったことに気がつく。最後にイラストを投稿したのは半年前。


 コメントもほとんどないなか、ただ一つ目に入ったのが、山田からの「最近、更新が滞っているみたいだけど、どうしたんだろう? 心配だなあ」という書きこみだった。


 活動できていない間も、彼女は気にかけてくれていた! 熱くなった目頭を押さえつつ、山田の作品ページに向かう。彼女は今でもイラストを描き続けていた。山田にメッセージを送ろうと、サイトの個人チャット機能を開く。


 彼女に話したいこと、尋ねたいことは山ほどあった。しばらく投稿できなかった理由、作品は好きだが、正直イラストを描き続けるか悩んでいること、アニメショップとコンビニで山田とよく似た人に出会ったこと。そして、本物の山田にもう一度会いたいということ……。しかし、いきなりこんな話をしても困惑させるだけだった。


 悩んだ結果、送ることができたのは、


「お気遣いありがとうございました。プライベートが忙しくて、更新できていませんでしたが、元気です。ところで、パスケプリンスの新グッズが発売されますね。山田さんも買いに行きますか?」


 という、ささやかなメッセージだった。



 そしてグッズ発売日。試しに誠二を誘ってみると、二つ返事でつきあってくれることになった。


「ねえ、誠二。実は、今日は近くのショップじゃなくて、委尾市の方に行きたいんだよね」

「なんで? 近くの店の方が大きいのに」


 実のところ、山田から、「グッズを発売初日に買いに行くつもりだ」という返事をもらっていた。だから彼女が住む委尾市のショップに行けば、会えるかもしれない、と考えていた。とはいえ誠二にこのことを説明していたら長くなる。


「確かに近所のお店の方が大きいけど、その分、人も集まるでしょう? 少し小さいお店の方が、買える可能性が高いから」


 と、強引に説明すると、事情にあまり詳しくない彼はあっさり納得してくれた。


 二人で委尾市唯一のアニメショップに向かうと、グッズを買い求める人で行列ができていた。沙耶は列に並び、別の商品が見たいという誠二と別れ、十分ほど待つと沙耶の順番が来た。お目当てのキャラクターではなかったが、グッズを買うことができた。


 買い物を終えた後は、誠二と本物の山田を探しながら、ゆっくりと店内を見て回る。しかし混んでいるためか、なかなか見つからなかった。


 そろそろ諦めようか、そう考えはじめたときだった。


「さーやさん、久しぶりだね」


 聞き覚えのある声に振り返ると、茶色のショートヘアにすらりと長い脚、カジュアルな服を着て、「バスケプリンス」の缶バッジをつけた鞄を持った女性が手を振っていた。


「あれ? 山田さん、ですか?」

「そうそう。この前はチャットくれてありがとう。最近はぜんぜん話せてなかったから、すごく嬉しい」

「こちらこそ、会えて嬉しいです」


 ようやく会えた、本物の山田。その姿は二年前に会った時と変わらなかった。そして不思議なことに、以前アニメショップとコンビニで会った人にもよく似ていた。


 本物に会えた喜びが全身を駆け巡り、気がつけば涙があふれていた。


「どうしたの?」


 山田が心配そうに、顔をのぞきこむ。


「やだ、私ったら。会えると思ってなかったからつい」


 手で涙を拭って、笑みを浮かべた。


「まさか、そこまで感動してもらえるなんてね」


 その声音からは、再会を喜びながらも、に落ちていないことが感じとれた。気持ちの整理が追いつかないなか、以前に経験した奇妙な出来事を打ち明ける。


「確かに、最近はこのお店に来てなかったし、さーやさんにも会ってないよね」

「でも本当に似ていたから。山田さんが住んでいる市のお店にいて、姿も似ていて、同じ作品が好きな別の人がいるのかなって、不思議で。私の記憶がおかしいのかもって、不安だったから。また山田さんに会いたかったの」

「そうだったんだ……。ところで、前に会った人が持っていた鞄って、もしかしてこれ?」


 山田が見せてくれた布製の鞄は、確かに以前見たものと同じだったので、何度も頷く。なぜ、本物の山田がこれを持っているのだろう。疑問が増えた。


「じゃあ、さーやさんが会ったのってもしかしたら……」


 と、山田が言いかけたところで、「おーい」と誠二に声をかけられた。


「もしかして、連れの人?」

「ええ。誘ったらついてきてくれたの」

「そっか。邪魔するのも悪いし、今日はこの辺にしよう。近いうちにまた会おうね」

「はい、また会いましょう」


 山田は沙耶の前を足早に去っていく。


「誰かと話していたみたいだけど、大丈夫だった?」


 隣に来た誠二が口を開く。


「うん。昔の友達に会っただけだから。今日はありがとう」


 そう答える沙耶の顔はいくぶんか晴れやかだった。



 それから一カ月後、山田に誘われた沙耶は、委尾市内のカフェに出かけた。カフェには山田がいて、ドリンクとおすすめのケーキを注文すると、積もる話をする。沙耶は結婚したことや、イラスト制作を続けるか悩んでいることを打ち明けた。


「もう結婚? 実生活のパートナーか……考えたことなかったな。でも、夫さんが辞めて欲しいって言っている訳じゃないんでしょ? この前だって、一緒にお店に来てくれたんだし」


「はい。ですが、元々そんな上手な絵じゃなかったし、キャラクターとはいえ、夫以外の人を好きだというのは不誠実かもしれない、と思っていて」


「現実と創作は別物だと思うけど。でもこの前、友達がさ、彼氏がアイドルファンで辛いって言ってたんだよね。私はさーやさんに続けて欲しいけど、難しい問題なのかも」


 そう山田が言ったとき、一人の女性が沙耶達の席に近づいてきた。その人は、背丈も顔立ちも髪型も山田と瓜二つだった。違いがあるとすれば、きちんとしたジャケットを着こなしていることくらい。


「遅くなってごめん。仕事が思ったより長引いてさ」

「待ってないから大丈夫。ほら華音かのん、あんたが好きなさーやさんだよ」

「え、本当? わあ。本物のさーやさん、なんですよね」


 かのん、と呼ばれた山田そっくりの人物に見つめられ、どぎまぎしながら立ち上がる。チャットで誘われた時、「妹も連れてきて良いですか?」という文言があったことを思い出した。不思議に思いつつも「ぜひ会いたいです」と返事したが、目の前の彼女がそうだろうか。


「はじめまして。波音はのんの双子の妹で、川島華音といいます」


 本来はここで挨拶を返すべきなのに、沙耶は声を出せなかった。はのん、って誰? と一瞬考えてしまったのだ。状況的に山田以外、あり得ない。華音が山田の双子の妹ということは、川島波音というのが、山田の本名だろう。


「あっ、山田ってペンネームで、当然本名は山田さんではないですよね」


 山田は、二人の会話がぎこちない理由に気がつき、頭を抱える。


「そうそう。本名は川島なんだ。この子もバスケプリンスのファンなんだけど、創作活動はしないから、ペンネームを持ってないもんね」


 山田は華音の肩に手を置いた。


「え、もしかして波音、さーやさんにペンネームしか名乗らずに会ってたの?」


 華音が山田に信じられない、と言いたげに尋ねた。


「みんなペンネームで活動するから、知らなくても困らないんだよ」


「じゃあ、さーやさんも本名を名乗っていないんですか?」


「はい。でもほとんど変わりませんよ。本名は田中沙耶というので」


「へえ、さやって名前だから『さーや』さんなんだ」


 華音の言葉に沙耶は頷いた。華音は、山田の手を振り払い、沙耶に一歩近づく。


「さーやさんが姉の友達だって知ってたけど、会えるなんて夢みたいです。しかも、すでに二回も会っていたなんて! あーあ、あのとき会ったのがさーやさんって分かっていれば、サインとかもらっていたのに」


「ええ、そんな大げさな」


「ホント、私さーやさんのファンなんですよ。バスケプリンスの中ではリョースケが好きだけど、作者の次にリョースケを描くのが上手いのは、さーやさんだって本気で思ってますから。あ、せっかくなので、サインをいただいてもいいですか?」


 華音が鞄を漁る様子からは、本気で自分の作品を気に入ってくれているのが伝わってきた。それを待つ間、沙耶は山田に気になっていたことを尋ねることにした。なぜ「山田」というペンネームにしたのか、すぐに分かったはずなのに見落としていた、その理由を。


「あの、ペンネームの『山田』ってもしかして、タツヒロ君の名字からですか?」


 山田タツヒロ。「バスケプリンス」の中で彼女が一番好きなキャラクターの名前。山田の耳がだんだん、赤くなった。


「もしかしなくても、そうだよ。ほら、山田さんって呼ばれると、タツヒロのお嫁さんになれた気がして」


「何それ。ちょっと怖っ」


 手帳を取り出した華音が顔をしかめる。


「そこまで言う必要なくない?」


 山田が頬を膨らませた。


「まあいいや。はい、サインお願いします」


 華音にペンと手帳を差し出されて、初めてのサインをどう書けばいいのか分からず、首を傾げる。しかし、目を輝かせる華音の期待に応えたくて、ふるえる手で「さーや」と書きこんだ。


「さーやさん、最近イラストの投稿止まっていますけど、新しい作品は描かないんですか?」


 寂しそうに尋ねる華音。結婚を機に辞めることすら考えていたファンアート制作。けれど、自分の拙い作品でも、待ってくれる人がいる。我ながら単純だと思うけれど、体の奥底からまた描きたい、という気持ちが沸きあがってきた。


「近いうちにまた描こうかな、と思っています」


 そう答えると、二人は満面の笑みを浮かべて頷いた。

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