第20話 頑張る自分


 昼休みになると、俺は昼ご飯を抜きにして、音楽室でヴァイオリンの演奏をする。

 音楽部には許可をいただいているので、俺はこの部活で練習することができる。

 あと1ヶ月もない期間に、俺はカノンをマスターしなければならない。

 演奏する曲としてはきらきら星とカノンの2曲だ。

 初歩的な曲だとはいえ、甘く見ていたら痛い目に遭うのだ。

 音楽は誠実だ。人の努力に属するものだと、母さんは言っていた。

 俺はみっともない姿をマリの前に出したくはない。

 だから、毎日昼休みに練習していたのだ。


「ああ。くそ。最初から……」


 失敗するたび、俺は最初からやり直す手法で練習している。

 リズム、旋律、音のテンポ、この三つのどれかが一つでも欠けていれば、最初からやり直し。ちょっとスパルタな練習方法をしていたのだ。

 でも、俺は苦には思わない。

 成功することで、成果が見えているからだ。

 マリと一緒に音楽を演奏する。

 それは俺が夢見ているものだからだ。

 だから、俺は苦だと思わないのだ。


「くそ。もう一回」


 テンポがずれたので、もう一回最初から演奏する。

 俺はそれを繰り返し、昼休みの全てを費やしてしまったのだ。



 放課後。俺はまっすぐと、家に帰る。

 帰路に着く際はイヤホンをつけて、一生カノンを聴く。

 スマホに繋げて音楽を鳴らす。他人に迷惑をかけないように音量を下げて俺はいつもカノンをきく。それはテンポを把握するためでもあったのだ。

 カノン。別名3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調。バーロッグ時代のドイツの作曲家、ヨハン・バッヘルベルの室内楽曲だ。管弦楽曲の一つだ。

 母さんはこのカノンが大好きだった。

 いつもの演奏では、この曲があったのだ。

 ちなみに俺が聞いているのは、母さんが演奏しているカノンだ。

 7年前にはなるが、録音してあったのだ。

 カノンを何周か聞いていると、俺は家の前に到着する。

 扉を開くとともに、俺はイヤホンを外す。


「ただいま。父さん」

「おう。おかえり」


 父さんは相変わらず、猫じゃらしで雉丸と遊んでいたのだ。

 今日も、客はいないのだった。いつもの平日のことではあるが、改めて思うと悲しくなる。

 うちって、儲かっていないのかな? と思えた。

 俺は2階の自室に行こうとする。


「じゃあ、俺は自室にいるから。忙しくなったら呼んでね」

「ちょっと待て。春樹。たまには肩の力を抜けて父さんと会話しようぜ」


 父さんは煮干しを投げると、雉丸は煮干しを食いついた。

 雉丸は煮干しを咥えながら、店の外へとあ走っていった。

 まるで空気を呼んでくれたかのように、俺と父さん会話を避けてくれたのだ。

 こいつ、人間の言葉を理解できているのか? とたまに思う。


「最近の学校はどうだ?」

「どうとは普通だよ。父さん」

「いや、マリが来たから何か特別なイベントの一つや二つないのか?」

「父さん。何を期待しているかわからないけど、俺とマリの関係は学校では至って普通だよ」

「つまらないな」

 

 父さんはそういうと、サイフォンに火をつける。コーヒーを淹れたのだ。

 父さんがどう思うかはわからないが、学校では俺はマリを極力避けている。

 彼女は彼女なりのグループを作っている。隠キャの俺が絡むわけにはいかないのだ。


「でもさあ。春樹よ」

「何? 父さん」

「最近お前の笑顔が増えたな」

「え?」


 俺は思わず口元に触れた。いつも、下がっていて、微笑みが枯れていた。


「まあ、そんなに積極的に増えたわけではないけれど、確実に増えているな」

「それは気のせいだよ。父さん」

「む。そんなことはないぞ。お前が婚約者ができてからお前は笑うようになったな」


 父さんはそういうと、コーヒーを飲む。

 

「母さんが死んでから、お前の表情は死んだような魚の目だ。でも、マリが来てから、ほんの少しだけ、お前の目に光が宿ったような気がする」

「根拠はないよ。父さん」

「いや、根拠はあるさ。お前がヴァイオリンを再会した。それも、マリのためだろ?」


 図星だ。

 俺はヴァイオリンを再会したのはマリのためだ。

 彼女は俺と演奏したいと思ったのだ。

 マリといると心地よく感じるからだ。

 でも、素直じゃない俺はそんなことを口にすることなく、そっぽをむく。

 

「来月。孤児院で演奏があるんだ。だから、練習をしている」

「練習頑張れよ。大恥かかせるなよ」

「わかっている」


 俺はちょっとイラつかせた言葉を発すると、二階の自室にいく。

 着替えをすると、俺はヴァイオリンの練習に取り掛かる。

 昼休みと同じく、練習をする。テンポが一つでも違っていたら、旋律が一つでもチアgっていたら、最初からやり直しなのだ。

 俺は再度繰り返しをしながら、猛特訓をした。

 完璧に演奏できるまで俺は諦めない。

 短い期間の1ヶ月ではあるが、できないことはない。

 人間練習すればなんでもできるんだ。

 特に、マリと一緒なら俺はなんでもできる気がしたのだ。

 そんな練習をしているときに、俺は父さんの言葉を思い出す。


「最近のお前の笑顔が増えた……」


 そんなことを思うと、俺は自然に笑った。

 確かに、自分の笑顔は増えている。

 それはきっと、マリと一緒に過ごしているからだ。


「さあ、練習しないと」


 俺は自分にそう言いながら、ヴァイオリンの演奏に集中した。

 今日も完遂することはできず、難航に落ちいている。

 俺は天才ヴァイオリニストのヤッシャ・ハイフェッツではない。一般庶民の石井春樹だ。だから、俺は努力でしか成果を得られることしかできない男なのだ。

 






 

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