第19話 マリと音楽会

 俺たちは駅から電車を乗り、上野駅に降りたのだ。

 上野のコンサートホールに向かっていく。

 人混みの中、俺たちは手を繋ぎ、離れ離れにならないように一緒に歩いた。


「コンサート、楽しみだね」

「ええ。そうですね」


 俺たちはそう微笑み合いながら、扉をくぐる。

 席は中央の所にあり、俺たちは席に座る。

 俺はパンフレットを開くと、そこには今日の演奏メニューをが記載されている。

 今回、演奏されるのは管弦楽組曲第3番BWV1068だ。

 編成はトランペット3台、ティンパニ1台、オーボエ2台、ヴァイオリン2台、ヴィオラ1台、チェロ1台と言う構成。オーソドックスの構成だ。

 しかも、演奏するのは光輪高校の管弦楽部だ。

 光輪高校の管弦楽部、日本で最も知名度が高い管弦楽部だ。

 何も去年は全国1位を獲得した高校だ。音楽の腕は右に出るものはいない。高校生だとはいえ、全員プロを目指しているのだ。特にメインヴァイオリンの片沼くんの腕は言うまでもない。

 彼はプロ並みのプロだ。俺より腕はいいのだ。


「楽しみですね」

「ああ。そうだな」


 俺たちは腕を掴みながら、音楽を単横することにした。

 でも、俺にはこの場所が好きではない。

 なぜならば、ここは母さんが最後に演奏した舞台であるからだ。

 ここは、母さんが最後に立ったステージ。最後に演奏した場所。

 俺のトラウマを植え付けた場所でもあったのだ。

 俺は手を振るわせた。

 でも……


「大丈夫ですか?」


 マリは俺の手を優しく包む。

 震えた手が自然に抑えていく。


「あ、ああ。ごめんなマリ」

「いいえ。どういたしまして」


 にっこりと天使のように笑うマリ。

 俺はその笑顔に何度でも救われたのか、俺も笑顔になる。

 そんなところで、時間になり。演奏が開始される。

 まず初めに演奏されるのは、序曲だ。

 管弦楽部の腕の見せところだ。この序曲は遅いテンポではあるが、観客を飽きないように演奏できるのかコツの一つだ。

 序曲が終わると、メインディッシュのG線上のアリアが演奏される。

 片沼くんは前へと出て、メインヴァイオリンとして演奏する。

 彼の腕は手腕であった。

 さすがは光輪高校、日本一位を獲得した高校だ。

 あまりにもうますぎて、俺は言葉を失った。


「母さん……」

 

 俺は亡霊の母さんの姿を見る。

 彼女はG線上のアリアを完璧に演奏していた。片沼くんを母さんに見誤る。

 彼の腕は確かのものだったのだ。

 俺は空気を吸うだけで、その旋律に戦慄する。

 片沼は天才ヴァイオリニストなのだ。


 やがて、演奏が全て終了したところ。

 俺はただ一人だけ、涙を流していた。

 悲しいことがあったことではない。母さんのことを思い出したからではない。

 ただ、この演奏があまりにも感動的であるからだ。

 俺はこのコンサートを一生忘れることはないだろう、と心の中に思ったのだ。


「ハルキさん。ハンカチです」

「ありがとう。マリ」


 マリは俺にハンカチを差し伸べると、俺はそのハンカチをとり涙を拭う。

 男なのに、泣くなんて情けないな、と心のどこかで思ったのだ。

 俺たちは最後までそのばを居残ったのだ。

 コンサートの余韻があまりにも大きく響いたので、俺は一歩も歩くことができなかったのだ。

 マリはそんな俺を見捨てることなく、ただ隣でただずんでいた。

 

「そろそろ帰りましょう」

「そうだな」


 マリに導かられることで、俺はやっと重い腰を椅子から立ち上がる。

 そこから出口へと歩いていくのであったが……


「石井くん」

「ん?」


 俺は呼ばれるまま振り向くと、そこには片沼くんが立っていた。

 彼はにっこりと笑うと共に俺を呼び寄せる。

 彼は俺のことを知っている。7年前には共演したことがあるのだから。


「石井くん。君が来るだなんて、俺は嬉しいよ」


 片沼くんは俺の手を掴み握手し出した。

 長年の再会であるのだ。俺は嬉しく感じた。あの有名な片沼くんが俺のことをまだ覚えていてくれたのが、嬉しかった。


「片沼くんこそ、腕を上げたね」

「そうでもないさ。俺はただ、毎日練習しただけだよ」


 さすがは天才ヴァイオリニスト。

 毎日の努力をただの練習で捉えていた。

 毎日練習するのが苦ではない人間だけしかそんなことは言えないのだ。

 昔の俺みたいだ。


「そういえば、ヴァイオリンはやめたのか?」

「ああ。才能がないからな」

「もったいないな。君の腕はピカイチだったじゃないか」

「今は下手くそだ。きらきら星でさえも演奏できない」


 俺たちは再会を笑い合った。

 昔はもっと楽しくヴァイオリンを演奏できたのに、今はこうして別れた道をお互い歩いている。彼はヴァイオリニスト、俺は喫茶店のマスターそう言う道になったのだ。


「そうだ。俺、喫茶店を経営しているんだ。だから、もし美味しいコーヒーを飲みたかったら、うちに来てよ」

「それはいいことを聞いた。石井くんの家は久しぶりになるな」


 俺は笑い合っている中、マリの存在を完全に忘れてしまったため、慌ててマリの紹介をする。


「おっと、マリ。すまない。彼は片沼くん。光輪高校の管弦楽部のヴァイオリンのエースだ。片沼くん。彼女いはマリ。俺の婚約者だ」

「初めまして、片沼さん」

「おう、初めましてマリさん」


 片沼くんはマリに手を差し伸べて、握手したす。


「ん? 腕が細い。マリさんはピアノをしているのですか?」

「ええ。嗜み程度はやっています」

「そうか。やっぱりね。君からは音楽の勘がする」


 片沼くんはどうやらマリを気に入ったらしい。

 この人は音楽が好きなんだな、と改め思う。

 昔から何も変わっていないのだ。音楽一筋で、他のことは考えていない。尊敬できる人だ。


「そうだ。片沼くん。俺、来月孤児院でヴァイオリンを披露するんだけど、七年間のブランクがあってうまく演奏できないだ。何かアドバイスある?」

「そうだな。練習あるのみだね」

「練習か……」

「まあ、音楽ってそれしかないよ」


 確かに、片沼くんの言う通り。音楽ってそんなことしかないのだな。練習しか上手くなる方法はない。

 何もともあれ、今日から特訓だ。

 帰ったらすぐにでもヴァイオリンを演奏してみよう。


「あ、俺。そろそろみんなの所に行かないと」

「呼び止めてごめんね。片沼くん」

「また、話そうね」

 

 俺は片沼くんと別れを言うと、片沼くんはみんなのところへと戻った。

 観客はもうすでに外に出ている。俺たちはその後を追うように会場の外へと出ていく。


「片沼さんはいい人ですね」

「ああ。それで、ヴァイオリンの腕もいいし、完璧な人だよ」


 俺たちは談笑しながら、道を歩いた。

 今日の月は満月で綺麗だったのだ。

 俺は思わず立ちとまり、月を見上げる。


「月が綺麗ですね」

「ああ。綺麗だ」


 俺たちはそう言いながら、駅の方に歩く。

 今日は帰って、ヴァイオリンの練習をしてから就寝しよう。

 来月の孤児院でのチャリティーコンサートは絶対に失敗してはならない。

 俺とマリで成功させるのだ。







 

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