第3話 彼女の名前はマリ


「で、どうして、その店に用事があるんだい?」


 桜並道を進みながら、俺は彼女に尋ねる。

 すると、彼女はにっこりと笑みを浮かべながら、こう答える。


「わたし、誠一さんにお会いするためです」

「俺の親父の客か?」


 俺は思わず首を傾げる。

 誠一、それは俺の父の名前だ。喫茶店ラッセルの店主であり、経営者でもあった。

 そんな父に用事があるとは、思いもよらなかったのだ。


「はい! これから一年間。喫茶店ラッセルに住み込みすることになったのです」

「ちょっと待って。俺、何も聞いていないけど」

「はい?」


 彼女は目を丸くなり、首を傾げた。

 俺は父さんから何一つ何も聞いていない。

 彼女が、この喫茶店ラッセルに住み込み生活を行うなんて、聞いていないのだ。


「君は一体、何者なんだね?」

「あ、自己紹介が遅れました。わたし、リムジャロェーンラット・マリ。苗字が長いので名前のマリと呼んでください」

「日本人じゃないね。君、タイの人か?」

「はい! 微笑みの国。タイからやってきました」


 ニコッリ、と優しい微笑みを浮かべるマリ。

 その笑顔は俺の心臓を抉る。可愛いすぎるのだ。

 俺は恥ずかしさに顔を空の方に向けた。そして、失礼が内容に自己紹介をしだす。


「お、俺は石井春樹。俺のことは名前で呼んでいいよ」

「はい。ハルキさん!」


 彼女は何か喜ぶように、ハニカム。

 だから、その笑顔は反則級だ。微笑みの国から来たせいか、その笑みはあまりにも破壊力が高い。心臓の音がうるさくなるので、俺は話題を変える。


「それより。店に泊まるって本当なの?」

「はい。これが誠一さんへの手紙です」


 そういうと、彼女は英文に書かれた手紙を俺に差し出す。

 俺はぱっと見をして、内容を詳しく読まなかったのだ。

 父さんは英語はできる。コーヒーの貿易する際には海外出張もしている有力人物だ。

 こういう手紙が来るのも想定内なのだ。

 

 ……でも、このよく文章を読まないことが後々響いてくるのだ。


 俺は手紙をマリに返すと、彼女が迷子になっていることを尋ねた。


「そういえば、迷子になるなんて、珍しいね。この時代、スマホもあるのに」

「そうなんですよ。スマホのGPSの位置がおかしくなって」


 そういうと、マリは自分のスマホを取り出して、位置表示アプリを開いて俺に見せた。

 けど、残念ながら表示しているところはあまりにも遠く、全然違う場所を表示していた。

 回線の問題も考えたが、ボロくて古いスマホだから、壊れている可能性が高いのだ。


「それ、壊れているんじゃないの?」

「そ、そんな〜」


 マリは涙目になり、手にしているスマホを眺めた。

 ずん、と画面がブラックアウトをする。どうやら、限界を超えてしまったらしい。

 それを見た俺は励ます言葉は見つからず、直接に事実を語る。


「古いスマホなんだな」

「はい。7年も使っていました」

「電化製品として寿命を超えているな。新しく購入するのがおすすめだな」


 スマホの寿命は大々3から4年。5年を超えれば、かなりの劣化している。7年をもてば、かなり古物に近いのだろう。

 彼女はそんなことも知らずに、愛着して使っていたのか。

 ちょっとかわいそうだけど、新しく買い直すのが一番の手っ取りっ早く、コスパがいい方法だ。


 そんなこんなで俺たちは桜並の道を歩き通ると、住宅街に入る。

 ここの住宅街に俺の父が経営している喫茶店があるのだ。あと数百メートルを歩けば、店に到着する。

 その際に何かを話さないと、空気が重くなる。

 俺は勇気を振り絞って、何もないかのようにして、彼女の来日のことを尋ねる。


「日本に着いたのは、今日なのか?」

「はい。今朝つきました。荷物は輸送で来ていますので、持っているのは二、三日分の洋服だけです」

「そうか。なら、うちの洗濯機で洗えば、何日ももつな」


 俺は自分の洗濯物について考慮する。

 つい昨日、洗濯したばかりなので、今日は洗濯する予定はない。

 彼女の洗濯物と自分の洗濯物を分けないといけないな、と考えた。


 それにしても、本日日本に着いたなんて。

 それも今朝に着いたのに、ここまで来るのは、ちょっと可哀想だと思った。


「一人で来たのか?」

「いいえ。途中まで父様と一緒だったのですか、仕事で別れました」

「え? お父さんと一緒だったの?」

「はい。ダンディーで優しいお父様です」


 娘さんを一人にするなんて、なんていう父親だ。

 せめて店のところまで送ってやればいいのに。

 まあ、他家族の事情なんて、口にするのは良くないと思い、俺は何も言わずに渋々と前に進んで行った。


「にゃあ」

「あ。猫さんだ」


 俺がタバコ屋を超える所で、一匹のキジトラ猫が道を阻みながら泣き出す。

 にゃん、と泣き出すとすりすりとマリの足に寄ってきた。

 こいつはここでは有名な猫だ。ボス猫とも知られている。このタバコやさんの店主が飼っている猫だ。俺の店にもやってきて、図々しく、餌を欲しがるデブ猫だ。

 

けれど、可愛いやつなのだ。呼んだら来るボス猫なのだ。

 名前は雉丸。キジトラだから、雉丸らしい。


「にゃんにゃん♩」

「にゃ〜」


 雉丸は尻尾をフリフリと左右に揺らしてから、マリの足をすりすりとする。

 マリも、しゃがみ込み、猫と遊ぶ。雉丸の腹の部分を撫でてやる。

 雉丸も彼女のて心地よさに気に入ったのか、グルル、と泣きながら転がり出す。

 マリは猫の信頼を勝ち取ったのだ。


「ハルキさん! 見てください。猫が寝転がっています」

「よかったな。こいつは気分屋なんだ。そんな簡単に手懐けられるやつではないぞ?」


 俺は雉丸に近寄り、しゃがみ込むとそいつの尻尾に触れようとする。

 が、雉丸は尻尾を立てて、シャア、と逆鱗に触れた。

 雉丸はその場から逃げ出したのだ。


 ……悲しいな。お前と俺の仲じゃないか。

 いつも煮干しを与えているじゃないか。


 猫に振られたので、俺は立ち上がり、喫茶店ラッセルの前まで歩く。「準備中」の看板がかけられているため、中に客はいないはずだ。

 鍵を開けようとするが、どうやらこの中に人が入っていた。

 きっと父さんなのだろう、と思った。

 俺は堂々と扉を開ける。


「ただいま。父さん」


 店の中に入ると、ツリーロクの店のカウンターには一人の眼鏡をかけた男性がコーヒーのサイフォンをいじっていた。身長は俺と同じで、ちょっとぽっちゃりしている体型だ。どうやらコーヒーを淹れていたのだ。

 父さんは俺を見ると、どこか楽しそうに笑みを浮かべて俺は歓迎する。


「おお! 来たか! 息子よ。今日はお前に大事なことを伝えないといけないことがある」

「少女が居候してくるのだろ?」

「なぜ知っている!?」


 オーマイゴッド、と言い放ち、膝から崩れ落ちた。

 どうやらサプライズをしていたのだろうが、失敗だ。

 俺はため息を吐き出すと、手にしている重い荷物を近くの椅子に置く。


「あ、あの〜誠一さんでしょうか?」


 ひょっこりと、俺の後ろからマリは顔を出す。

どうやら、彼女は店に入るのを躊躇していたのだ。

確認するように俺の父の名前を呼ぶと、父さんは目をピカピカに光らせて、こちらへとやってくる。


「おう! マリか! 大きくなったな。よく来た! 久しいな〜」

「は、はい! マリです。これからお世話になります」


 父さんはマリを一瞥すると、再会を喜ぶように笑うと、手を伸ばす。

 マリも差し伸べた手に触れると二人は握手を交わした。

 その後、二人は手を離すと、マリは自分の手を合わせて、お辞儀をする。

 これはサワディーといい、タイ文化の挨拶であったのだ。


「父さん。説明をお願い」


 彼女が挨拶を終わると、俺は父さんに事情を尋ねる。

 いきなり、この店に居候が来ることは想定の範囲外だ。

 俺としては、店を手伝う猫の手が増えることは悪いことはないが、相手は女性だ。女性と同じ屋根の下に暮らすのは、思春期にとってはちょっと度が過ぎているものだ。

 

「そうだったな。お前には黙っていたな」


 父さんは申し訳ない、と言い放つと、マリのことを説明し出す。


「今日から、マリがうちに泊まることになった。一年間、この店で住み込み働くことになったのだよ」

「なんで、俺に伏せていたのだよ?」

「サプライズってやつさ!」


 父さんはウインクをしだす。

 本当に殴りたい笑顔であったのだ。

 父さんのお茶目心は時々度を超えていることもある。前もお客さん1000人目のプレセントに巨大コーヒーカップでコーヒーを提供したり。

 巨大なパンケーキタワーをお客さんを困らせたりしていた。

 でも、それは冗談が通じるから許されたのだ。

 今回はちょっと度が過ぎていたのだ。


「父さん。今回の悪戯は度が過ぎているよ。だって、彼女が一緒に住むんだよ」

「ん? こんな美少女が一緒に住むのは嫌か」

「嫌ではないけど……」


 俺の視線は無意識にマリの方へと向ける。

 天使のような肌が白くて、笑みも美しい人。美人では間違いない部類だ。眉毛も長く、美貌の持ち主。だからこそ、彼女に申し訳ないと思うのだ。彼女と一緒に住む金魚の糞、釣り合わないのだ。俺と彼女は。


「君は、なんとも思わないのか?」

「はい? なぜでしょう?」

「俺、男だぞ? 男しかいないとこに住むのだぞ? 君」

「でも、誠一さんもハルキさんもいい人です」


 満面な笑みで答えるマリだった。

 本当に眩しいくらいの笑みに、俺は狼狽する。

 この子は天然だ。紛れもない天然で、斜め上のことを行動するものだ。

 俺はちょっと苦手かもしれないのだ。


「今日の午後は店を閉めていいぞ」

「え? 店を開けないの?」

「マリの歓迎パーティーを開こうと思うだ」


 父さんはパンと手を叩くと、マリは顔を丸くし、感動しだす。


「わあ! パーティーだなんて、私のために開いていいのですか?」

「いいに決まっているじゃないか! 君は僕の親友の娘だ。僕の娘だと過言でもないさ」


 ワハハ。と笑い出す父さん。


「それはできないよ。父さん」

「なぜだ?」

「俺、パーティーようの買い出ししていないし、カレーの買い出ししかしていないよ」


 本当に調子がいいのだ。父さんは知らないだろうけど、冷蔵庫の中は空っぽだ。

 俺が買い出ししたものは今晩店に出すカレーしかないのだ。

 だから、パーティーなんて、開催することなんてできないのだ。

 その事実を突き止めて、俺は父さんに忠告する。


「ふむ。それは僕が悪い。春樹に伝えていなかった所為だね」

「今から買い出しし直す?」

「いや、いい。パーティーは外食にしよう」

「外食って……」

「そうだ。あのファミレスでパーティーを開催しよう!」


 父さんは堂々と宣言すると俺は呆れた表情になった。

 やっぱり、計画的には考えていないのだった。だから、こうもファミレスという単語が出てきたのだろう。

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