残酷な天使

ウワバミ

第1話

 今日はいつにも増して憂鬱な一日だった。高校からの帰り道、駅のプラットフォームで電車の到着を待つ雑踏にまぎれながらそんなことを思った。

 なぜ、あんな目に遭わなければならないかったのか?昨日の出来事を反芻しながら、そればかりを考えていた。

 あいつのせいだ。あいつが全部悪いんだ。やはりあいつを———


 ——————ドンッ!


 そんなことを考えていた時だった。唐突に背中に強い衝撃を感じて前傾にバランスを崩してしまった。束の間の浮遊感の後に腰のあたりに痛みを感じた。

 気がつくと灰色の壁が断崖絶壁のごとくそびえ立ち、その上から人々の視線が一斉に注がれていた。自分の状況を理解するのに時間は掛からなかった。線路に転落したのだ。

 ホーム上の人々が何かを必死に叫んでいる。前方に目をやると電車が金切り声のような甲高い音を軋ませながらこちらへ向かってくる。この迫り来る危機から回避できる時間は残されていなかった。

 

 電車の重圧は、俺をあっけなく押し潰した。

 



 「この度はご愁傷様です」

 「は?」

 目の前で外国の貴族のような洋装に身を包んだ男がお辞儀をしていた。この男は自分を天使と名乗った。

 「あなたは先ほど、駅のホームから突き落とされ、電車に轢かれてお亡くなりになりました。これからあなたの処遇について発表します」

 天使は言い慣れたように淡々とした口調でそういった。

 そうか、俺は死んでしまったのか······。自分が死んだという凶報を耳にしておきながら、俺は意外にも無感動だった。少し悲しくは感じたが、まあいいかとも思った。天使がいるのなら、いわゆる天国だってあるのかもしれない。天国に行ったほうが、代わり映えのしない日常をただ送っているよりもずっと楽しいのかもしれない。

 「俺は天国に行けるのか?」

 「いや、あなたが天国へ行くことはありません」

 「えっ?」

 天使の返答は予想外のものだった。

 「俺は地獄に行くのか?地獄って殺人みたいな罪を犯したような奴が行く場所じゃないのか?」

 「いや、あなたは地獄に行くこともありません」

 またも予想外の返答に拍子抜けすると同時に、感情を交えない事務的な応答にイライラしてきた。

 「結論から言うと、あなたはあの世に行くことはできません。ちょうど本日から施行されたのですが、寿命よりも先に死んでしまった魂をあの世は受けいれられないことになったんですよ。考えてもみてください。あの世は現世に生命が誕生してから全ての魂を受けいれてきたんです。そろそろ、あの世が受けいれられる魂の数が限界に達してしまいます。なので、人口抑制のためにも寿命前に死んだあなたのような魂は受けいれられないのですよ」

 「じゃあ俺はどうなるんだ?」

 「基本的にあの世に行くことができない魂は霊体となり現世をさまよい続けます。あなたの場合は電車に轢かれて殺されているので、その恨みから悪霊にでもなるんじゃないですか?」

「 冗談じゃない!」

 俺は憤慨した。他人に忌み嫌われる存在となって現世で永遠にさまよい続けるなんてことは耐えられない。

 「安心してください。それではあまりにも不憫すぎるという声が多く上がったので、我々も救済措置をご用意しました。これからあなたが死んだ一日をやり直してもらいます。そこで私が言った条件を達成できれば、あなたが死んだことはなくなり、いつも通りの日常を続けることができます」

 「その条件とは?」

 天使の瞳が一瞬ぎらりと光を放ったように感じた。

 「殺せばいいんです」

 「えっ?」

 聞き間違いかと思った。『殺す』なんて残酷なことを天使が口にするのだろうか。

 「あなたのことを殺した人物を逆に殺せばいいんです。前回の挑戦者もそうしていますよ。そうすれば、かわりにそいつが悪霊となり、あなたが生き残ることができます。これが我々が提供できる最大限のチャンスです」

 俺が殺された······?そして、そいつを殺す······?

 「待ってくれ。俺は殺されたのか?誰に?」

 「あなたのクラスメイトのJです」

 その名を聞いた瞬間、一気に頭に血が上る感覚を覚えた。Jが?あいつが俺を殺したのか。

 「もちろん、殺すなんてことはせずに人生最後の一日を謳歌してもらっても構いませんが。もちろん、一日が終わるまでに殺すことができなければ自動的にあなたは死ぬことになりますが。とにかく、これは全員が強制参加ですので。」

 天使は俺の疑問を全て置き去りにしてそう言った。

「それでは健闘を祈ります」

「おい、ちょっと待ってく———」

 天使のかけ声とともに、俺はまばゆい光に包まれていった。




 Jはクラスの中心的な人物だ。みんなから好かれているのが、クラスの空気感で伝わってくる。成績は優秀だし、運動はできる。にも関わらず驕った様子はなく、誰にでも平等に接する。よくできた好青年というのが彼の周りからの印象だろう。

 しかし、俺はJのことが嫌いだった。その完璧主義の裏に何か打算めいたものがある気がしてならなかった。

 あいつと俺は家が近所だったり、ゲームの趣味が合ったこともあり、小学生のころまでは仲が良かった。しかし、中学、高校と上がっていくうちにあいつと仲良くやってることに違和感を覚え始めた。あいつは優秀すぎた。ある日、クラスメイトにこんなことを言われた。

「お前らって、全然タイプが違うのに仲が良いの意外だよな」

 その言葉はひどく衝撃だった。しかし、妙に納得もした。そうか。俺とJは全然違う。現に、あいつは運動部で県大会で好成績を収めながら、俺よりも好成績を出して上位の高校に入学している。対して、俺は有名無実化された実質帰宅部みたいな部活に所属して、やることがないから惰性で勉強してギリギリでJと同じ高校に受かった。俺はあいつとは釣り合わない。自分が持っていないものをあいつは全て持っている。俺はそれに気がついてから、Jとは距離を置くようにした。

 しかし、それでもJは執拗に俺に絡んできた。俺がJといると平穏な学校生活が脅かされることをあいつは気づいていなかった。いや、気づいていたからこそ、態度を変えた俺に対しての嫌がらせのつもりでそんな行動をしていたのかもしれない。とにかく、俺と関わるメリットがないあいつが俺に絡んでくることに打算めいたものを感じるのだ。から、Jのことが嫌いだったし、あいつも俺のことが嫌いだったと思う。そして、殺された直接の原因にも心当たりがある。おそらく昨日のあの出来事なのだろう。あれは完全にJが悪いのだ。逆恨みもいいところだ。そんなことで俺を生きるか悪霊になるかの岐路に立たせたあいつが許せない。今日、俺は人殺しをするために登校するのだ。鞄の中には家から持ち出した包丁を忍ばせていた。

 そんなことを考えているうちに学校に到着した。昨日とおとといの二日間にわたり文化祭があり、その痕跡が随所に残っていた。今日は午前中に文化祭の片付けをして、午後に通常授業が行われることになっている。あんなことがなければ、素直に文化祭を楽しむことができただろうに。



 朝のホームルームでは欠席であることを告げられた。みんなは意外な反応をしていて、もちろん俺も例外ではなかった。薄々気づいていたが、天使は一日をやり直すという言い方をしていたが、俺は一度体験したはずの今日一日の記憶がなかった。(ただし、殺されたときの記憶はある)あいつは俺を殺すために休んだんだ。なおさらJに対しての怒りが湧いてきた。



 


 午前中は文化祭の片付けである。重苦しい空気の中で作業をすることになってしまった。俺はなるべく一人でできる分担を選んだ。壁に貼られたセロハンテープを丁寧にはがしてポスターなどを回収していった。Jは学校を休んだ。滅多にないことだから、想定すらしていなかった。作業に徹しながら、天使の言ったことを整理した。

 どうやら俺は死んでしまったらしい。しかし、生き返るためのチャンスを与えられた。

【自分が死んだ一日をやりなおして、クラスメイトであるJを殺すこと】

 これが天使から課された試練だ。今日一日が終わるまでにあいつを殺せばいつも通りの日常を送ることができる。しかし、失敗したら悪霊となった永遠に現世をさまよい続けることになる。俺は今日、生きるために人殺しをする。自分に人を殺せる度胸があるとは思わない。しかし、どうか今日一日だけは人を殺させてくださいと心の底から願った。そんなことを考えながら、Jを殺す方法を画策していた時だった。

「昨日のこと、気にする必要ないからな」

いきなり横から声がした。声の主は通りすがりに俺に声をかけたようで、潰した段ボールを抱えて数メートル先を歩いていた。確か彼も文化祭の係だった。気にする必要はない?違うんだな。やはり、クラスメイトは俺が全ての元凶だと思っているのだろう。一度は俺の立場に立ってもらいたいものだ。俺は改めて、こんな状況に追いやったJへの報復を決意した。




 あいつは俺を駅のホームから突き落としに来る。駅に向かう道中であいつを待ち伏せして殺す。

 適当な理由を付けて午後の授業の前に早退し、Jの家に向かった。空がいつもよりも青い。今から人を殺すには似つかわしくない、ひどく穏やかな午後だった。

 Jの家が見える位置に隠れて、あいつが家から出てくるのを待った。あいつを尾行して人がいないところで背後から刺す。その存在を確かめるように、鞄の奥底にしまった包丁の柄に触れた。手が震えていた。当然だ。自分を殺した相手だとはいえ、これから人を殺すのだ。心穏やかでいる方が異常である。

 しばらく待ち続けると、Jの家の玄関が開いた。俺はJの姿を認めた。Jは私服姿で、迷うこと無く駅の方へと歩き出した。俺は尾行を開始した。数十メートル後ろを息を潜めてついていく。天使も一緒になってついてきたが、不思議なことに足音が全くしなかった。俺はJを殺すタイミングを見計らっていた。目撃者がいたからではない。単純にJを殺す決心が付かないのだ。そうこうしているうちに駅までの道のりの半分を過ぎてしまった。どんどん焦りが募っていく。

 その時、なんとJが立ち止まった。そこは川の上に掛かった橋で、Jは橋の防護柵に寄りかかり、何をするともなく川の方を眺め始めた。その表情は何か考え事をしているようだった。自分がそうであるように、あいつもまた人を殺すことに葛藤があるのかもしれない。チャンスだと思った。橋の上からあいつを落とせば、事故とみなされるかもしれない。俺は念のため鞄から包丁を取り出すと、決意を込めるように包丁の柄を力強く握った。

「あいつは俺を殺したんだ。死んで当然だよな」

 自分の行為を正当化するように、そう呟いた。緊張で手に汗が滲んだ。俺はあいつを殺す覚悟を決めるために、昨日までの出来事を思い浮かべた。




 うちのクラスは文化祭の出し物で劇をやることになった。演目はJの完全オリジナル。Jはなぜか文化祭の出し物に異様に気合いが入っていた。そんなJの情熱に呼応するかのように、どんどん文化祭の出し物に対するクラスの熱は高まっていった。本気で企画を成功させようとしているのが、クラスの空気感から伝わってきた。俺はステージの上に立つようなことはしたくなかったので、当然裏方に回った。係りの指示を受け、ひたすらセロハンテープを貼るなどして小道具を作ることに徹した。裏方に回った他の人たちと協力しながら準備を着々と進めていった。表に出るようなことをしなくてもクラスの歯車の一部として機能できていることが嬉しかった。

 しかし文化祭当日、出演者のひとりが休んでしまった。代わりに出演者を急いできめなければいけない事態となったが、その代わりの出演者はJの鶴の一声で決まってしまった。

「おまえ、代わりに出てくれないか?」

そのセリフはなぜか俺に向けられたものだった。

 いや、無理無理無理。俺は丁寧に断りの旨を伝えようとしたが、既にクラスでは俺が出る雰囲気になっていた。強調しておくが、自分の意思で劇に出たわけではないのだ。

 そんなことで、俺にも裏方ではない仕事が回ってきてしまった。幸いにも、それほど重要な役ではなく、台詞も少ししかないのだが、ものすごい重役を背負わされた気分になった。舞台の袖に立ち、自分の番を待っているときは生きた心地がしなかった。後ろから互いを激励する言葉が聞こえてくる。クラスメイトは劇が絶対に成功させようと思って緊張しているのに対し、自分は失敗を恐れた臆病な緊張をしていることに気づき、少しの間自己嫌悪に陥った。

 いよいよ出番がやってきた。ステージの上に出ると、真っ暗な体育館の中にある唯一の照明が俺を照らした。ヤバイ。ステージの上に立って、大勢に注目されるのは初めてだった。ヤバイヤバイ。台詞を言おう、言わなきゃと思った。しかし、なぜか出てこなかった。ヤバイヤバイヤバイ。緊張で頭が真っ白になり、焦りがどんどん周囲に伝播しはじめた。そこからのことはよく覚えていない。少なくとも、俺のミスで劇が失敗に終わったことだけは明白だった。

 Jは自分で脚本を作ってしまうほどこの劇に気合いを入れていた。しかし、それを俺が台無しにしてしまった、とJを含めたクラスメイトは思っているはずだ。だが、元凶は全てJにある。俺を困らせるために出演させたのだろうが、Jの姿にとってはそれが裏目に出た。そして、劇を台無しにした俺を恨んで、プラットホームから突き落としたのだろう。




 Jの数メートル後ろに立った。心臓の音がJに聞こえてしまうのではないかと思うくらい激しく脈打つ。大丈夫だ。深く深呼吸して前を向く。と、Jと目が合っていた。互いにその場で硬直した。ほんの数秒の出来事のはずなのに、えらく長く感じられた。景色が歪んだ。俺は冷静ではなかった。Jが何か言葉を発したが、水中の音のように鈍って聞こえた。俺は無我夢中でJに向かって走り出した。

 気がつくと、俺の両手に握られた殺意はJの身体を貫いていた。




 日が沈み始めていた。自分の荒い息づかいの音が夕刻の街に溶けていく。俺はJを殺したんだ。その事実だけ、身体の底の部分に重くのしかかっていた。少し歩いた先にある児童公園に入ってそこにあったベンチに腰かけた。

 俺の服は血でべったりと汚れていた。本来ならすぐにでもこの場を立ち去るべきなのは分かっているのだが、復讐を果たしてやったという充足感が俺をこの場に留まらせた。現実離れしたような心地だった。俺はしばらく何も考えずに、鮮血のような赤色に染まった夕空を眺めていた。

「おめでとうございます。あなたは挑戦に成功しました」

 いつの間にか天使が姿を現していた。俺はこれまで通りの日常を取り戻したことに、複雑な思いがありながらも安堵していた。俺は微笑を浮かべた。

「あいつは死んで当然だったよな」

 天使に同意を求めるように呟いた。そうでもしなくちゃ、殺人なんて肯定できない。天使はそれに対して何も答えなかった。

「なぜJはあなたのことを殺したと思いますか?」

 天使は意味ありげに俺にそう尋ねた。そんなのは、俺が文化祭を台無しにしたからに決まっている。

「どうして、あいつは俺のことを殺したんだ?」

 天使の瞳がひどく冷酷なものに変化したように感じた。天使は一拍置いてこう言った。

「あなたがJを殺したからですよ」

 俺は固まった。その言葉の意味が全く分からなかった。不意に、記憶がフラッシュバックするように、あるはずのない記憶が蘇ってきた。それは俺がJを殺している記憶。

 刹那、俺は一つ恐ろしく残酷な仮説に思い至った。寿命前に死んだ人物はその日一日をやり直す。そして、その日のうちに自分を殺した人物を殺す必要がある。まさか!

「ええ、その通りですよ」

 天使は嘲るようにそう言った。

「あなたは文化祭でのミスによりクラスで居場所をなくしてしまったように感じ、その元凶であるJを殺した。しかし、運が悪いことにもうあの世にいくことができない。これは、この制度を最大限に利用した罰なんです。どちらかが諦めるか復讐に失敗するまで、あなたたちは永遠に殺して、殺され続けるんです。たった今、Jは死にました。Jは寿命前に死んだので死んだ一日をやり直す権利が生まれます。もちろん、あなたを殺すために」

 その瞬間、景色が歪み、意識が闇へと落ちていくのを感じた。


 


「この度はご愁傷です。あなたはたった今殺されてしまいました。これからあなたには復讐を行ってもらいます」

 Jを目のにした天使はそう言って、冷たい笑みを浮かべた。


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