ルパードの滴

@Shining3301

第1話

 私は小さい頃からよく期待の眼差しを向けられていた。親はもちろん、友達や親など、様々な人に向けられたその視線は、ある意味私をつなぎ止めるものだったのかもしれない。

「あ、おはよう!」

 私に合うたび、毎回のように挨拶をしてくれていた友達。

「うん、おはよう。」

 そのときの私は何も変わらず挨拶を返していた。

「今日の定期テストの数学Aマジやばいんだけど! 頼むから赤点だけは避けたい~!」

「だったら勉強してくればいいのに……」

「まぁそうなんだけどね? いいなぁ、頭のいい人はすぐに理解できちゃうんでしょ?」

「そんなことないよ。授業でもわかんないとこは自分で勉強して初めて理解してるんだから」

 そんな風にいつもの会話を繰り返していた。

 私はいつも大事なテストは常に成績トップだった。もちろん、天才ではないからがんばって全部の教科を勉強した。それはもちろん良い点数を取るため。

 けど、もう一つ、大きな理由があった。親からの信頼。それを裏切りたくなかった。だから必死に勉強した。

「数学Aは確か確率がメインだったよね。いろんな考え方があるからしっかりやってないとまずいんじゃない?」

「そーなの! あー先生と親に怒られる未来しか見えないよ~!」

「まぁ、とにかく解いてみるまで赤点かどうかはわかんないし、がんばってみたら?」

「そうだね~。やってみるまで何が起こるか分からない!」


 ◇


 最後に受けた定期テストはいつも通り良い点数をとれた。教師には褒められ、親からはいつも通りだからこれからもがんばってね、としか言われない。確かこのときの友達、赤点が……。これ書いてるとき思わず笑っちゃった。

「うぅ、結局赤点取っちゃった……。最悪……」

「ま、まぁ。ドンマイ、としか……」

「親にも怒られたし、担任からはもうちょっと真面目にやれって言われたし、散々だよ!」

 このときの会話はなぜか印象的だった。多分、経験してないから。

「それに比べて君といったらさ。今回も成績トップじゃん。テスト返されるときも、毎回先生からおまえはすごいなって言われてるし。クラスの周りももう当たり前になってきて驚かなくなってきてるもん」

「あはは……」

 そう、当たり前。これが当たり前。私もそう思っていた。

「そんだけいつも良い点数取っていたら親も毎回褒めてくれるでしょ? 私なんてほとんど学面で褒められたことないのに」

「いや、親はほとんど褒めてくれないよ」

「え、なんで?」

「多分、高得点が当たり前なんじゃないかな。ほとんどおんなじような数字持ってきている訳だし。」

「そんなレベルなの? なんかもう尊敬のレベルなんだけど」

 友達からやクラスの皆からは尊敬の念を向けられた。すごいだとか。次元が違うだとか。住んでる世界が違うだとか。そんなことをたくさん言われてきた。

「定期的に勉強していたら毎回そこそこの点数ならとれると思うよ」

「それが簡単じゃないから苦労してるんだよ~。それにまたすぐに今度は模試があるじゃん? ここでも私はひどい点数を取って、また怒られて……頭、痛くなってきた……」

「模試は定期テストとは違ってすぐ点数が上がるわけじゃないから、もうそこはどうしようもないね」

「模試でも毎回点数いい君に言われるとなんかもう皮肉にしか聞こえない」

「えぇ……」

 定期テストが終わってすぐ模試があった。もちろん一筋縄ではいかないにしても、それなりの点数は毎回とれていた。だから今回もしっかりやればいつものように点数はとれると思った。

「なら、今日うちで勉強会する? 少ししか時間ないけど」

「いいの!? ありがとう!」


 ◇


「おはよ~!」

「あ、おはよう」

 模試当日。

「模試だねー。ある程度は勉強したから少しは解けるはず!」

「だと良いね」

 模試は問題なく進んだ。私もそう思っていた。いつものようにスラスラと解いていった。所々分からない部分もあったが、そこは飛ばして別の問題を取り組んだ。右斜め前の友達をちらっと見たらかなり唸って問題とにらめっこしていたことは今でも覚えている。そうして全教科の模試が終わった。

「だめだこりゃ」

「あはは……」

 友達と帰りながら模試の話をしていたのも覚えている。

「私はだめだったけど、そっちは解けた?」

「まぁ、ボチボチかな」

「とか言って、高得点だろうなぁ」

 このときの私は、いつも通り解けた感触だったから何も不安なんて感じなかった。むしろいつもよりも良いとさえ思っていた。

「ただいまー」

「おかえり。模試はどうだった?」

「うん、良い感じ」

 私の母はバツイチで私含め二人家族。今思えば家で母との会話は成績のことと日課報告ぐらいだったかも。雑談とかもほとんどなかったし、今更異常だったと気づいたよ。

「そう。ならいいのだけれど。アナタには良い大学に行って就職してもらわないとね」



 そうして模試の返却日。私は絶句した。

 全教科でいつもより二十点ほど下がっていた。きっと、いや、ここから確実に変わっていった。

 まず担任に呼び出されたっけ。

「どうした今回。全然だめだったじゃないか。何かあったのか?」

「い、いえ、特に何かがあったというわけでは……」

「サボってたのか」

 この言葉は私を大きく揺るがしたと思う。心臓は飛び跳ね、若干汗をかいていたのも覚えている。

「え」

「だめじゃないか。一回サボればズルズル引きずるんだから」

「あ、あの、そういう訳じゃ……」

「言い訳して正当化しようとしない」

 ホントにそういうわけじゃなかった。だけど聞き入れてもらえなかった。

 そのあと家に帰ってからはもっとひどかった。

「なんなのこの点数は! もっとまじめにやりなさい!」

 お母さんにこっぴどく叱られた。今までで一番つよく言われたと思う。

「ごめんなさい……」

「次こんな点数取ったら許さないからね」

 最後に言われた台詞はまるで脅迫だった。

 次の日からはまた普通に授業が始まったんだけど、昨日のことと模試の結果で言われたことがずっと心に残ってた。

「よし、それじゃあここの問題を……そこのお前、解いてみろ」

 当てられたのは私だった。特に何かが難しいというわけではなかったから、そのまま黒板の前まで行って回答を書き記した。

「できました」

 私は人間。

「珍しいな、お前がミスをするなんて」

 完璧なんかじゃないのに。

「しかも単なるケアレスミスだ」

 みんな珍しがって私を見つめていた。多分、完璧だと思っていた人間のミスは、それほどに珍しいのだろう。

「まぁいい。席に戻りなさい」

「……」

 いやだと思った。あの空間が。見ないでほしかった。ヒソヒソと聞こえてくる驚嘆の声も聞こえてきてた。

 ミスしてごめんなさい。間違えてごめんなさい。私がこんなミスをしなければ良かっただけの話だったから。


 ◇


 それからも、些細なミスを頻繁にするようになった。

「また忘れたのか」

 授業に持ってこなければならない必要なものを持ってき忘れた。

「また変なミスしてたぞ、これで何度目だ」

 小テストでさえも変なミスが目立った。

「前と比べて随分と落ちたな」

 挙げ句の果てには成績に関わるような大きなテストで思うような点数がとれなかったりもした。

「もういいわ、ろくでなし」

 私の母は何かと支配したがるから、毎日のことを報告しなければならなかった。だから、そのたびに怒られた。どうしてこんなこともできないのか、なぜ急に点数が下がっているのか、それはお前がサボっているからだろなど、毎度のように全否定され、何も言い返せなかった。クラスの人からもあらぬ噂などが出回るようになった。

「ねぇ、最近なんだか様子が変だよ? まるで前とは別人のよう」

 友達からも、もはや心配しかされなくなった。このとき、まるで私の外から中までのすべてが消えてなくなった気がした。

「あんたは私の期待を裏切ったのね」

 親からは見放され、

「もう勉強は飽きたのか?」

 先生からは呆れられた。

 私にはもう何も残っていなかった。人は他より何か秀でている者を凝視しがちだから。その些細な変化も、見逃してはくれなかった。

 多分、心が弱かったんだと思う。今までの普通を繰り返していたから、突然のイレギュラーに心が耐え切れなかったんだと思う。

 期待は裏切りに、尊敬は辟易に変わり、眼差しはより一層鋭いものへとなった。

 こうして私は耐えきれなくて、どうしようもなくて決意した。これで最期。この紙も余白がない。最後に送る私の言葉。そんな私は、そんな私は、オランダの涙。

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