君に、さよならと私は言った(フリー台本&小説)

雪月華月

君に、さよならと私は言った

 雨音がしとしとと聞こえる。


 医者でもある「私」が、友人の元をおとずれたのは

雨が長く降る、すこし肌寒いときだった。


 私の友人はほがらかな笑顔で私を出迎えた。


「おお、ひさしぶりじゃないか、急にどうしたんだ」


「君の親族の方に、顔を見に行ってくれないかと頼まれてね、こっちまで来たの」


「はは、僕を心配してくれるのだろう。どうぞ入ってくれ、妻の顔を見てやってくれ」


「……奥様は元気なの?」


「ああ、すこぶる元気なんだか、元気が良すぎたのか、はしゃいで足をくじいてしまったんだ」


 友人は私にそう言いながら茶を差し出した。

奥様にいろいろなことを任せていたという、彼の作る茶は

濃すぎて苦かった。


「あの子は、とてもねぇ……行動力があるからすぐ怪我しちゃうのよね。昔からそうだった」


 友人の妻は私の親友だった。

懐かしいと思ってしまうのが悲しかったが。実際、もう随分と前の話だ。


 私はお土産に持ってきた柑橘系の果物を、そっと割いた。

 彼女が好きな果物だった。


「おお、それを持ってきてくれたんだね……妻も喜ぶだろう」


「大好物だもんね」


「ああ、もっとたくさん食べさせて上げたかった」


 その声は、さきほどまでの夢を見るような声とは違っていた。

私は静かに彼の様子を見た。

 

「君は、今もどってきているの?」


「みたいだ……その柑橘が僕を、現実に戻すなんて皮肉だな」


「だいぶ、君のご親族は君を心配しているよ……病院で治療をと望んでいる」


 彼は私の言葉に、深く息をついた。


「僕はきっともう、だめなんだよ」


 彼の背中は以前よりずっと縮こまっていた。


「彼女がいないって嘘だと思ってるんだから」


 彼と私の親友。

 その夫婦関係はとてもよかった。


 ある時ドライブに一緒にでかけたときなんて

彼女が鼻歌を歌い出したのだが、それが途切れた時、鼻歌の続きを

彼が歌い出したのだ。


「あ、知ってたんだ。この曲」


「君が歌ってるので知った、すごくいい曲だね」


「そうでしょー」


 彼女は嬉しそうに笑った。

 なんだろうか、二人の空間ができていたというか。

ただ温かい空間がそこにあった。


 私は彼女と仲が良い自覚はあったし、夫である彼との関係も良好だったけど。それでもあの二人の空気感はあまりに暖かく、触れることすら、少し恐れ多かった。

 同時に、ずっと眺めたくなる光景でもあった。


 だからこの幸せはずっと続くと思ってた。


 だって幸せそうな二人にはハッピーエンドが似合うでしょって。

素直にそう思ってたから。


「急性の心臓麻痺だっけ、あっけなかったなぁ……寝て起きたら、隣で冷たくなってるんだもの」


「そうだね、すごいドタバタしてたのを覚えてる」


「うん……幸い親族があれこれと助けてくれて、彼女を無事に火葬まで……」


 彼は目を瞑った。目尻から細い筋が流れる。泣いていた。


「嘘なんだよ、嘘なんだ……彼女がいない部屋が、あんなにすかすかで冷たくて、寂しいわけないんだ。彼女は暖かくて、あんなツボに収まるワケがないんだ」


 葬式というのは騒々しいもので、葬式のあとも騒々しくもあって

 でもその騒々しさが、亡くなったという事実から目をそらさせてくれる。私も親友の死が悲しかった。ただ幸い、同時期仕事がとてもいそがしくて、彼女のことを考える時間がなかったことが、幸いだった。


 でも、この家に来た時、いつもだったらすぐに出迎えてくれたはずの、親友の姿がないことに、私は孤独を感じていた。


 ああ、もう、あの子はいないんだって。

そしてそれは、夫である彼が一番感じているのだろう。


 自分以外誰もいなくなったこの家で、独りを感じ続けているのだろう。


「君は医者だから、きっと、僕の話を論理的に考え出すだろう。なんの病気の症状でこうなってしまったのかと考えるのもわかる」


 彼は私を真っ赤に泣き腫らした目で、見ながらこう言った。


「だけど、ひとりぼっちになった私に、彼女は優しく声をかけてくれたんだよ……優しく私を抱きしめてくれたんだ」


 彼は空を見上げる。私も見上げると、雨があがりそうになっていた。


「僕は、ずっと、ここにいる……僕の幸せはここにあるから。君は帰るんだ、もう、二度と来ないでくれ」


 彼は私を優しく突き放した。私は彼との間に大きな川があるような気がした。この世とあの世の間にあるという三途の川だと思った。

 もう、彼は、現実に戻らないかもしれない。それどころか、死を選んでも違和感がない。


 私が泣きそうだった。親友を亡くし、友人もなくそうとしている。

 でもこんな結末を想像していなかったわけでないのだ。


 現実だけが、本当だなんて、ことはない。

幸せな嘘の世界こそが本当だってこともある。

幻覚幻聴の世界のほうが優しいことだってある。


 彼は妻のいる世界を、選んだだけなのだ。

そして私は、彼の望む世界にはいけない、ただ見送るだけなのだ。


 私は震える声で見送った。


「さよなら……またいつか会えたら、そしたら、遊びましょうね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君に、さよならと私は言った(フリー台本&小説) 雪月華月 @hujiiroame

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ