2 欠けた名前の元へ

 ひとまず、安全を確保するために五人で力を感じる場所に行くことにする。

 名無しの彼女は、奈央や澄に導かれながら出かけ着に着替えた。戸締まり確認をし終えたあと、一つでも名前を取り戻したほうがいいらしく、  が玄関を施錠する。

 確認をし終えると直文が先導して案内していく。あとについていきながら、  は周囲を見回した。花の香り、水と町中から漂ういい匂い。見覚えがないと思うが、見慣れている感覚があり困惑した。

 歩いているうちに公園を通り過ぎ、高架道路の静清バイパスの下を通った。近くには新田。隣には田んぼや畑などの農地があり、その間に挟まっている道路を通る。彼女は目に映る風景を眺めた。

 田植えや水がはられていない田んぼ。竜爪山と言う遠くにある山を見つめる。何故か懐かしい雰囲気を感じ、風と草木の香りを感じていると直文が足を止める。

 

「はなびちゃん、でよかったか」

「……? はい、そう呼ばれてますね」


 不思議そうに言う彼女に直文は振り向いて聞く。


「君はここを知っているかな」


 彼女は周囲を見る。建材の材料がストックのために置かれている場所があり、反対側は大内新田と呼ばれて、草が生い茂っている場所がある。彼女は周囲を見ながら、奥にある山を見ながら暫し思案して思ったことを口にする。


「今の私に見覚えはありません。ですが……すごく懐かしくて、心地が良いなと思います」

「ここは、もしかすると俺と君に関わる場所なのかもしれない。ここの近くに力を感じる」


 名無しの少女は首を横に動かす。普通の風景のように感じるが、確かに胸のうちが温かくなるようなものを感じた。奈央は周囲を見て、ハッとしたように声を上げた。


「ここ、はなびちゃんが好きな通学路で久田さんと初めて会った場所だって、はなびちゃんそう話してた!」

「……久田直文さんと、初めてあった?」


 初めて聞いたことらしく、直文と  は互いに顔をみる。直文は表情で驚いていないものの雰囲気で若干驚いているような気がし、恐る恐る  は聞いてみた。


「久田直文さん、驚いてますか?」

「……俺の表情動いてないのに、わかるのか。うん、一応は」

「あっ、当たってた。よかったぁ……。なんかそうかなと思ったのです」


 頬を赤くして微笑む彼女に、直文はじっと見つめ口を開く。


「俺のことは直文と名前で呼んでほしい。頼む」

「えっ、よろしいのですか?」


 直文は頷くと、  は嬉しそうに名前を呼ぶ。


「では、直文さん。よろしくお願いします」


 彼女から名前を呼ばれ、微かに頬を赤くした。


「──うん」


 弾んだ声を出す直文の顔を見つめ、茂吉はニヤニヤとする。


「へぇ、なおくん。気になってるー?」

「当然、気になるだろ。俺がこの子とどういう関係なのか。もっくんは知ってるのか?」

「知ってるけど教えない。ところで、直文はどこまで覚えているんだ」

「上司からある村の調査の任務を与えられる前までだ」


 淡々と答える直文に茂吉は厄介そうに頭を掻いた。


「……なるほど、思い出ごと取られてるのか」

「思い出? ……彼女に関することなのか?」


 聞かれるが、茂吉は首を横に振り笑みを消す。


「だから、教えてやれないんだって。何処で何を聞かれてるのかわからない以上な」

「相手側の動機と正体が判明しない限り無理、思い出すしかほかないということか。なるほど、把握した」


 直文の言葉に頷き、名無しの少女は二人の話を聞いて茂吉に訪ねた。


「あの寺尾さん。私と直文さんは仲が良かったのですか?」

「うん、良かったよ。とてもね」


 肯定する茂吉に、直文は無表情であるが「そうなのか」と声色で驚いていた。同じように  も驚いていた。仲の良さはわからないが、直文と仲良くなれると  はわかっていた。無表情である故に、彼からちゃんとしたコミュニケーションが取れなかったのだろう。だが、無表情なだけでちゃんと気持ちがあることは短時間でなんとなく名無しの少女は理解した。彼の目の前に来て、  は顔を見る。


「でしたら、直文さん。もう一度、一から仲良くなりませんか?」


 彼女の提案に直文は瞬きをする。


「──……えっ、仲良く? 君と俺が一から?」


 間をおいてから動揺しているのが声でわかる。  は笑顔で頷いた。


「お互い記憶がないっていうだけは気まずいではありませんか。なら、一から仲良くしてお互いを知っていったほうがいいかなと思うのです。私も出来る限り思い出してみます。それまで、こんな私と仲良くしてくれますか?」


 直文はじっと見て頭を掻いていた。困惑したようなものを感じるが、次第に頬をかすかに赤くして無表情の彼は口を開く。


「──うん、よろしく」

「はい、よろしくお願いします」


 声が弾んでおり、喜んでいるのがわかった。名無しの少女は愛称のとおり、大輪の花火の笑顔を浮かべる。その顔を見て直文は一瞬だけ目を丸くし、赤い顔のまま真顔に戻った。

 茂吉達はその変化に気付いて驚き、  はびっくりして表情を明るくさせた。


「直文さん。顔が赤くなって一瞬だけ顔で驚きませんでした? びっくりしてましたよ」

「えっ、そうなのか?」

「はい、もうこのように」


 自分の顔を触る直文に、びっくりした様を顔で指し示す。無表情のままきょとんとする直文と  のやり取りを奈央は不思議そうに見ており、茂吉は興味深そうに見ていた。名無しの少女は直文の背後を見て、キラリと一瞬だけ光るものが見えた。


「あれ?」


 今度は  が目を丸くし、その光るものがあった場所へと彼女は歩みだす。


「きみ、もしかして」


 直文が彼女の行動の意味に気付いた時には、  は光った場所に手を伸ばした。なにかに触れたような気がし、彼女はそれを拳で掴んだ。

 瞬間、まばゆい光が一瞬だけ放たれた。彼女だけでなく、直文たちも呆然とした。自分の掴んだものを拳を開いてみてみる。中に赤、黒、青、白、金と五色を放つ小さな玉が現れ、彼女は瞬きをした。


「……温かい。これは……?」


 茂吉が近づき、その中身を確認する。


「……これ、直文の力で具現させた宝玉だ。──もしかして」


 何かに気付いたらしく、  に声をかけた。


「はなびちゃん。祈るように握ってごらん」

「……寺尾さん。こう──えっ」


 握った瞬間、両手の中に宝玉が取り込まれた感覚があり彼女は目を丸くした。映像が頭の中で過る。自分に向かって微笑む男女と、ダンス教室でダンスを踊り、みなと祭の踊りを楽しむ朝顔のように可愛らしい友人。──夜の空に打ち上がる色とりどりの花。煙たい匂いであるが、一瞬だけ咲いて消える様が情緒あるもの。


【たーまやー! かーぎやぁー!】

 

 元気な小さい頃の自分の声に父親が笑っていた。


【おとうさん、はなびきれいだよ! パァンだよ。すごいよ!】

【興奮しているなぁ。花火、好きになったか?】

【うん、だいすきになった! たーまやぁー! かーぎやぁー!】


「君!」


 彼女ははっとすると、直文が表情を変えないまま両肩を掴んで真正面にいる。隣には奈央が心配そうに声をかけていた。


「はなびちゃん。大丈夫!?」

「う、うん。大丈夫」


 彼女は困惑しつつ頷いた。直文は安心したように肩を下げ、優しく聞く。


「異変はないか。不調は?」

「ええっと、不調はないですが、多分一部だけ記憶が戻りました」


 素直に言うと、直文は声色を真剣にする。


「どこまで?」

「……自分に名前があったことは思い出しました。ダンス教室に通ってみなと祭で踊った記憶。花火が大好きになった記憶といえばいいのでしょうか。言葉にするのが難しいです」


 困ったように話す彼女だが、直文は口を動かした。


「──いや、名前があったと思い出しただけで良かったよ」


 ホッとして話す彼に、彼女は不思議そうであった。澄は思い当たるのか二人に話す。


「確か、はなびが総踊りに出たのは四歳の頃だって話していた。花火を見たくてというのもあるけど、その前にやってた総踊りが楽しそうだったからって聞いたよ」


 彼女の言葉に頷いて、名無しの少女は話す。


「はい、そこでダンス友達の一凛いちかちゃんに出会ったんです。それ以降は思い出せる気はしないので、たぶん五歳までの記憶は戻ってきたのではないかと」

「記憶を細分化されているんだろうね。……ちょっと失礼」


 茂吉が近付き、その少女の手を翳す。すると、彼女の体の中から文字の一部が現れた。茂吉が真っ白な札を出し刀印を作り、呪文を言うとその紙に漢字が吸い込まれ、札の下に刻まれる。

 息をつくと、澄が声を掛ける。


「茂吉くん。何をしたんだい?」

「名前の保護。これは俺が持っていって、取り戻すまで本部で保管しておく。安全を喫して、身代わりは仕込んでおこう。直文、やり方はわかるか?」


 茂吉が札を仕舞うと、陰陽師が使うような形代を出し直文に渡す。受け取り、直文は首肯する。


「要領は得ている」


 直文は何かを呟く五色の光が宿り、形代を名無しの彼女に飛ばす。形代が彼女の中に入り込む。彼女は目の前が更に明瞭になった気がし、瞬きをする。直文のやった様子に、茂吉はため息を付いて笑う。


「この麒麟児。記憶を失ってもやり方はわかるって、チートか」

「? どんなものにも臨機応変に対応しなくちゃいけないのが、俺達の当たり前だろ? それに、俺は麒麟児じゃなくて直文だ」


 サラリという不思議そうに言うと直文に、茂吉は苦笑していた。

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